artscapeレビュー
その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー
TURN/陸から海へ ひとがはじめからもっている力
会期:2015/02/01~2015/03/29
鞆の津ミュージアム[広島県]
日比野克彦監修による連続企画展。鞆の津ミュージアムをはじめ、全国4会場を巡回しながら、「ひとがはじめからもっている力」を再認識させる作品を見せた。参加したのは、会場によって異なるとはいえ、Chim↑Pomやサエボーグ、中原浩大、田中偉一郎、岡本太郎、マルセル・デュシャンなど、古今東西さまざまなアーティスト、27組。全般的な傾向として、日比野自身や中原浩大といったベテランのアーティストが、おそらく「ひとがはじめからもっている力」を意図した作品を発表したため大失敗していたのに対し、比較的若いアーティストはそのようなテーマと無関係に作品を制作しているため、それぞれ鮮烈な印象を残すことに成功していた。
淺井裕介は土蔵の内部に、彼が近年熱心に取り組んでいるマスキングテープを貼り合わせた作品を制作した。暗い空間の四方八方に手足を突っ張った、有機的な生命体のような作品は、絵画でもあり彫刻でもあり、しかしそのいずれでもないような不思議な魅力を放っていた。
岩谷圭介は日本で初めて風船による宇宙撮影を成功させた人物。実際に風船を上昇させ、そのカメラから見える光景を撮影した映像を発表した。回転しながら徐々に高度を上げていく風船は、厚い雲を突き抜け、大気圏外へ入る。黒い宇宙空間と青い地球の対比が目覚ましい。やがて風船が破裂すると、落下。映像には、GPSを頼りに回収する様子まで記録されている。岩谷のプロジェクトが素晴らしいのは、必要最低限の技術を自分で開発することによって、通常、国家や巨大資本に牛耳られている宇宙空間を個人の手の中に見事に取り返している点にある。大空を飛ぶ自由を奪還しているのが八谷和彦だとすれば、岩谷圭介は宇宙を「我が物」にしようとしていると言えよう。アクセスしがたいエリアに接近しうる糸口をつけた意義が大きいのはもちろん、ほんとうに優れているのは、まさしくその壮大な想像力なのだ。
だが、個別の作品はともかく、展覧会全体に視角を広げてみれば、疑問がないわけではない。例えば「TURN」というコンセプトは、海から陸への転回によって、「ひとがはじめからもっている力」への視点の転換を暗示していることは理解できるにしても、そのパースペクティヴがあまりにも広すぎるため、それが具体的に何を指しているのか、いまいち理解しにくい。言い換えれば、「TURN」によって対象化される事象と、「アール・ブリュット」や「アウトサイダー・アート」、あるいは「ポコラート」が指示する事象の区別が判然としないのである。このようなコンセプトの曖昧さは、必然的に「ひとがはじめからもっている力」の曖昧さと結びついている。「ひとがはじめからもっている力」という理念は、稚拙な描写であろうと、単純なかたちの造形であろうと、シンプルな想像力であろうと、どんな作品であれ回収しうる広がりを持ちえている。ところが、厳密に考えてみると、この美術館の前回の展覧会「花咲くジイさん〜我が道を行く超経験者たち〜」で披露されていたような、老人の想像力や創造力、そしてエロスは周到に排除されていることに気づかされる。老人の止むに止まれぬ創作活動が「ひとがはじめからもっている力」の発露ではないと言い切ることができるのだろうか。
「TURN」のような装置が、社会的な弱者や周縁化された人々を包摂するノーマライゼーションの政治学に貢献することは想像に難くない。だが、いみじくも岩谷の風船宇宙撮影が端的に示しているように、アートの可能性は、そのような社会の同調圧力ないしは限界を鮮やかに突き抜ける運動性にこそあるのではなかったか。社会をより豊かにするためには、「ひとがはじめからもっている力」などという無難なテーマではなく、大気圏外へと突破するアートの力をこそ理念とすべきである。
2015/02/07(土)(福住廉)
成田亨 美術/特撮/怪獣
会期:2015/01/06~2015/02/11
福岡市美術館[福岡県]
成田亨の本格的な回顧展。ウルトラマンの怪獣をデザインしたことで知られているが、その前後に制作された絵画や彫刻なども含めて700点あまりの作品が一挙に展示された。
何より眼を引いたのは、数々の怪獣を描いた絵コンテ。強弱のある線と濃淡をつけた水彩の色彩を組み合わせた怪獣の描写がとてつもなくすばらしい。昆虫や動物など、怪獣の着想の源となったイメージも併せて展示されていたので、成田の想像力の展開過程も理解できるようになっていたが、やはり最大の見どころはその想像力を実際にフォルムに置き換えた手わざにある。線とかたちの有機的な結合の巧みさに何度も唸らされた。ウルトラマンという大衆文化を生み出した根底には、成田の類まれな描写力が隠されていたのだ。
本展の醍醐味が怪獣デザイナーとしての成田亨の全貌を解き明かすことにあることは疑いない。けれども、その余韻として残されるのは、むしろ大衆芸術と純粋芸術が重なり合う余白である。ウルトラマンシリーズ以後の成田のクリエイションが次第に先鋭化していき、そのデザインの重心も有機性から抽象性に移り変わっていった事実を考えれば、成田を大衆芸術から純粋芸術への移行過程に位置づけることはできなくはない。けれども、成田はジャンルを横断するように大衆芸術から純粋芸術へ転身したわけではあるまい。晩年盛んに描いていた油彩画には、カネゴンやピグモンといった自らが生み出した怪獣がたびたび登場しているからだ。成田にとって、自らの立ち位置はそもそも最初から大衆芸術と純粋芸術が重複する領域にあったのだ。
多くの場合、現代美術を中心に考える思考方法によると、純粋芸術を大衆芸術から切り分ける傾向がある。そのことによって美術の自立性を唱導しようとしたわけだが、成田亨の豊かな創作活動が示しているのは、そのような制度上の区分があくまでも人為的につくられたものにすぎないという厳然たる事実である。
80年代以後、成田の想像力は神話的な物語へと向かった。龍や天狗など、誰もが知るキャラクターであるがゆえに、成田の想像力がそれらを十分に開花させたとは言い難いが、それでもここには重大な意味がある。なぜなら成田がはじめから大衆芸術と純粋芸術が重複する領域に立脚していたとすれば、成田の想像力はそもそも最初から神話を物語っていたとも考えられるからだ。晩年になって根源的な神話に立ち返ったのではなく、ウルトラマンシリーズの怪獣をデザインしていた頃から成田は神話的な想像力を発動していたのではなかったか。成田自身が的確に指摘しているように、「神話は歴史ではなく人の想像力」の問題なのだとすれば、純粋芸術であれ大衆芸術であれ、想像力をもって何かを創作することは、必然的に神話の水準に到達するはずだ。成田亨の功績は、現代美術やサブカルチャーという制度的区分にかかわらず、ものづくりの極限化が神話にいたる道筋を、私たちの目前に示した点にある。
2015/02/05(木)(福住廉)
シャレにしてオツなり 宮武外骨・没後60周年記念
会期:2015/01/10~2015/02/11、2015/02/14~2015/03/01
伊丹市立美術館[兵庫県]
宮武外骨は、江戸時代に生まれ、明治から大正、昭和にかけて活躍した反骨のジャーナリスト。官憲による度重なる弾圧を、媒体を次から次へと創刊することでかいくぐり、何度逮捕されても決して体制に飼い慣らされることなく、鋭い批判精神によって政府や資本家を糾弾した。本展は、外骨が手がけた『滑稽新聞』や『スコブル』、『面白半分』といった印刷物をはじめ50点弱の資料を展示したもの。比較的小規模とはいえ、外骨の批評的活動のエッセンスが凝縮した好企画だった。
すでによく知られているように、外骨の活動は批判的なジャーナリズムを中心にしながらも、決してそれだけにとどまらなかった。吉原の遊女たちの言葉づかいをまとめた『アリンス語辞彙』、賭博の歴史について体系的に論じた『賭博史』など、その射程は言語論や史学にまで及び、じつに広範囲なフィールドで活躍した。とりわけ後者は、賭博、すなわち博打の定義から由来、種類などを詳細に解明した画期的な書物で、この分野における古典として読み継がれている。
この本の執筆を持ちかけたのは、民俗学者の折口信夫だった。外骨によれば、その際折口は「賭博のことを書いた本は古来ひとつもないが、これも国民性研究のひとつとしてぜひなければならぬ物で、あなたのような人がやるべきことだろうと思います。われわれの如き教職に携わっている者共は、賭博研究の専門書がないので、いつも困ることがあるのです、あなた一流の編纂式でやってくださいませんか」と言ったという。ここに認められるのは、アカデミズムの研究者の限界と、その穴を充填しうる在野の研究者との、ある種の補完関係である。
「歴史は民衆生活の表裏を基礎とした叙述でなくばならぬ」。賭博が表なのか裏なのかはさておき、民衆生活に根を下ろしていることは、いまも昔もさして変わらない。重要なのは、その事実を歴史研究の主題として対象化した慧眼と、それを実行に移した行動力である。アカデミズムであれ在野であれ、はたして美術史は、その2つを持ちえているだろうか。
2015/01/12(月)(福住廉)
加川広重 巨大絵画が繋ぐ東北と神戸2015
会期:2015/01/10~2015/01/18
デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)[兵庫県]
画家の加川広重が東日本大震災の被災地を描いた巨大絵画を神戸で展示することにより、阪神・淡路大震災を経験した人々が当時を思い出し、同時に今困難な状況にある人たちと思いを共有しようとするプロジェクト。加川のほか、建築家・宮本佳明の《福島第一原発神社》の展示、写真家・山岸剛の個展をはじめとする写真展、コンサート、ダンス、パフォーマンス、トーク、ワークショップ、朗読、映画上映など多彩なイベントが行なわれた。筆者自身、まさかこれほど大規模なイベントだとは知らずに会場に赴き、その充実ぶりに驚かされた。会場のデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)は、デザインを基軸にした市民の交流と実践と情報発信の場として2012年に開設された施設だが、こうしたプロジェクトの現場として機能しているならつくった甲斐があるというものだ。
2015/01/11(日)(小吹隆文)
プレビュー:『DJもしもし 個展』
会期:2015/01/26~2015/02/01
momurag[京都府]
テクノに合わせて踊りながら、うどんを踏むという「テクノうどん」の考案者であり、六畳一間の小さな展示空間に作品を搬入していく様子を公開するというインスタレーション「うるさい」立ち上げのメンバーでもある、DJもしもしが京都にやってくる。書道だったり染め物だったりの作品をつくっていると思われるが、まったく底知れないごちゃごちゃした感じが魅力。京都でもトップクラスのごちゃごちゃ度を誇るスペースであるmomuragには格好のアーティスト。
2015/01/06(火)(松永大地)