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シャレにしてオツなり 宮武外骨・没後60周年記念

2015年02月01日号

会期:2015/01/10~2015/02/11、2015/02/14~2015/03/01

伊丹市立美術館[兵庫県]

宮武外骨は、江戸時代に生まれ、明治から大正、昭和にかけて活躍した反骨のジャーナリスト。官憲による度重なる弾圧を、媒体を次から次へと創刊することでかいくぐり、何度逮捕されても決して体制に飼い慣らされることなく、鋭い批判精神によって政府や資本家を糾弾した。本展は、外骨が手がけた『滑稽新聞』や『スコブル』、『面白半分』といった印刷物をはじめ50点弱の資料を展示したもの。比較的小規模とはいえ、外骨の批評的活動のエッセンスが凝縮した好企画だった。
すでによく知られているように、外骨の活動は批判的なジャーナリズムを中心にしながらも、決してそれだけにとどまらなかった。吉原の遊女たちの言葉づかいをまとめた『アリンス語辞彙』、賭博の歴史について体系的に論じた『賭博史』など、その射程は言語論や史学にまで及び、じつに広範囲なフィールドで活躍した。とりわけ後者は、賭博、すなわち博打の定義から由来、種類などを詳細に解明した画期的な書物で、この分野における古典として読み継がれている。
この本の執筆を持ちかけたのは、民俗学者の折口信夫だった。外骨によれば、その際折口は「賭博のことを書いた本は古来ひとつもないが、これも国民性研究のひとつとしてぜひなければならぬ物で、あなたのような人がやるべきことだろうと思います。われわれの如き教職に携わっている者共は、賭博研究の専門書がないので、いつも困ることがあるのです、あなた一流の編纂式でやってくださいませんか」と言ったという。ここに認められるのは、アカデミズムの研究者の限界と、その穴を充填しうる在野の研究者との、ある種の補完関係である。
「歴史は民衆生活の表裏を基礎とした叙述でなくばならぬ」。賭博が表なのか裏なのかはさておき、民衆生活に根を下ろしていることは、いまも昔もさして変わらない。重要なのは、その事実を歴史研究の主題として対象化した慧眼と、それを実行に移した行動力である。アカデミズムであれ在野であれ、はたして美術史は、その2つを持ちえているだろうか。

2015/01/12(月)(福住廉)

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