artscapeレビュー
成田亨 美術/特撮/怪獣
2015年03月01日号
会期:2015/01/06~2015/02/11
福岡市美術館[福岡県]
成田亨の本格的な回顧展。ウルトラマンの怪獣をデザインしたことで知られているが、その前後に制作された絵画や彫刻なども含めて700点あまりの作品が一挙に展示された。
何より眼を引いたのは、数々の怪獣を描いた絵コンテ。強弱のある線と濃淡をつけた水彩の色彩を組み合わせた怪獣の描写がとてつもなくすばらしい。昆虫や動物など、怪獣の着想の源となったイメージも併せて展示されていたので、成田の想像力の展開過程も理解できるようになっていたが、やはり最大の見どころはその想像力を実際にフォルムに置き換えた手わざにある。線とかたちの有機的な結合の巧みさに何度も唸らされた。ウルトラマンという大衆文化を生み出した根底には、成田の類まれな描写力が隠されていたのだ。
本展の醍醐味が怪獣デザイナーとしての成田亨の全貌を解き明かすことにあることは疑いない。けれども、その余韻として残されるのは、むしろ大衆芸術と純粋芸術が重なり合う余白である。ウルトラマンシリーズ以後の成田のクリエイションが次第に先鋭化していき、そのデザインの重心も有機性から抽象性に移り変わっていった事実を考えれば、成田を大衆芸術から純粋芸術への移行過程に位置づけることはできなくはない。けれども、成田はジャンルを横断するように大衆芸術から純粋芸術へ転身したわけではあるまい。晩年盛んに描いていた油彩画には、カネゴンやピグモンといった自らが生み出した怪獣がたびたび登場しているからだ。成田にとって、自らの立ち位置はそもそも最初から大衆芸術と純粋芸術が重複する領域にあったのだ。
多くの場合、現代美術を中心に考える思考方法によると、純粋芸術を大衆芸術から切り分ける傾向がある。そのことによって美術の自立性を唱導しようとしたわけだが、成田亨の豊かな創作活動が示しているのは、そのような制度上の区分があくまでも人為的につくられたものにすぎないという厳然たる事実である。
80年代以後、成田の想像力は神話的な物語へと向かった。龍や天狗など、誰もが知るキャラクターであるがゆえに、成田の想像力がそれらを十分に開花させたとは言い難いが、それでもここには重大な意味がある。なぜなら成田がはじめから大衆芸術と純粋芸術が重複する領域に立脚していたとすれば、成田の想像力はそもそも最初から神話を物語っていたとも考えられるからだ。晩年になって根源的な神話に立ち返ったのではなく、ウルトラマンシリーズの怪獣をデザインしていた頃から成田は神話的な想像力を発動していたのではなかったか。成田自身が的確に指摘しているように、「神話は歴史ではなく人の想像力」の問題なのだとすれば、純粋芸術であれ大衆芸術であれ、想像力をもって何かを創作することは、必然的に神話の水準に到達するはずだ。成田亨の功績は、現代美術やサブカルチャーという制度的区分にかかわらず、ものづくりの極限化が神話にいたる道筋を、私たちの目前に示した点にある。
2015/02/05(木)(福住廉)