artscapeレビュー
その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー
オオサカがとんがっていた時代─戦後大阪の前衛美術 焼け跡から万博前夜まで─
会期:2013/04/27~2013/07/06
大阪大学総合学術博物館[大阪府]
戦後から1970年大阪万博前夜までの大阪の文化状況を、美術、建築、音楽を中心に振り返る企画展。出品物のうち、資料類は約70件。具体美術協会のものが大半を占めたが、パンリアル美術協会、デモクラート美術家協会、生活美術連盟の資料も少数ながら見ることができた。作品は約40点で、前田藤四郎、池田遊子、早川良雄、瑛久、泉茂、白髪一雄、嶋本昭三、元永定正、村上三郎、田中敦子、ジョルジュ・マチウ、サム・フランシスなどがラインアップされていた。具体美術協会に比して他の団体の割合が少ないのは、現存する資料の豊富さが如実に関係している。このことから、活動記録を残すことの重要性を痛感した。また、本展は大学の博物館で行なわれたが、本来ならこのような企画は地元の美術館がとっくの昔に行なっておくべきものだ。その背景には、美術館の活動が思うに任せない1990年代以降の状況があると思われるが、必要なことが行なわれない現状を嘆かわしく思う。
2013/04/27(土)(小吹隆文)
プレビュー:リサーチ☆パラダイス 潜水と浮上
会期:2013/05/18~2013/06/09
ARTZONE[京都府]
ブブ・ド・ラ・マドレーヌと山田創平が、2010年から大分・別府で地域住民へのインタビューや地域の歴史・文学などをリサーチして制作したインスタレーションを、ARTZONEバージョンとして展示する。ほかには、京都という地域をカメラで調査する「キョート・サーヴェイ・プロジェクト」に参加した、穐山史佳、金田奈津美、早瀬道生らの写真作品、ファッション業界のルールを越えて服づくりを楽しむ市井の人々をリサーチした、中川めぐみの「野生のデザイナー」などを展示。社会に沈潜している諸々をリサーチすことで、無限に広がる創造の原野を開拓する。
2013/04/20(土)(小吹隆文)
オカザえもん
新聞社からオカザえもんのコメントを依頼される。ゆるキャラは「デザイン」だが、オカザえもんは「アート」だ。デザインは一定の技術で、親しみやすく、わかりやすく、かわいいことを狙うが、アートは機能を満たすものではない。また、そもそもゆるキャラとは何か。人を立ち止まらせ、考えさせる。あるいは、不安にさせるのは、デザインではなく、アートだからであろう(実際、オカザえもんを見て泣き出す子どももいるという)。なお、これを生みだした斉と公平太は、アーツチャレンジ第二回の公募で、僕が審査員だったとき強力に推したアーティストである。二度目の挑戦で「愛知」にひっかけて、LOVEちくんを出し、「二回目のイベントでないとできないものがある。再チャレンジだ」の書き出しで講評を書いた。それゆえ、後のあいちトリエンナーレ2010の参加やオカザえもんのブレイクは嬉しい。ちなみに、斉と公平太さんが前回のあいちトリエンナーレ2010でつくったキャラ、長者町くんの漫画は、以下のFacebookから読むことができる(Amazonで漫画を購入することも可能)。
http://www.facebook.com/chojamachikun
2013/04/17(水)(五十嵐太郎)
添田唖蝉坊・知道展 明治・大正のストリート・シンガー
会期:2013/03/02~2013/04/14
神奈川近代文学館[神奈川県]
明治・大正時代の演歌師、添田唖蝉坊と、その息子、知道についての展覧会。遺族から同館に寄贈された「添田唖蝉坊・知道文庫」の貴重な資料をもとに展示が構成された。
「演歌師」とは、現在のような大衆音楽としての演歌の歌手ではなく、路上で歌を唄いながら演説する者のこと。自由民権運動の活動家たちが政府の弾圧を回避するために歌を装って政治的な主張を伝えた「壮士節」をもとに、唖蝉坊が開発し、知道が育んだ。だから、彼ら父子を「ストリート・シンガー」と言えなくもないが、そうだとしても、彼らが歌い上げていたのは政治的社会的な主張の強いメッセージ・ソングだった。
事実、唖蝉坊は幸徳秋水や堺利彦、荒畑寒村といった活動家と親交があり、知道も16歳にして売文社に雑用係として勤務していたという。唖蝉坊は日露戦争までは好戦的な歌もつくっていたようだが、「演歌」とは基本的には明治の自由民権運動の只中から生まれた表現なのだ。
しかし、だからといって唖蝉坊の演歌は、政治的な反逆や抵抗を強調する反面、音楽的な魅力に乏しい歌というわけではない。もともと壮士節は歌詞を重視するあまり旋律はおしなべて単調であり、その歌もダミ声でがなり立てる者が多かったという。ところが、会場で流されていた音源に耳を傾けてみると、その楽曲はむしろ柔らかく、軽やかな三味線の伴奏に合わせて小気味よく唄い上げている。明治と大正にかけて大衆のあいだで大流行したというのも、なんとなく頷ける。というのも、思わず口ずさみたくなるからだ。
例えば、1907年に発表された《ああわからない》。メロディラインを再現することは叶わないが、その歌詞を一瞥しただけでも、唖蝉坊の楽曲の柔和性が伝わるはずだ。
ああわからないわからない
今の浮世はわからない
文明開化といふけれど
表面(うわべ)ばかりじゃわからない
瓦斯や電気は立派でも
蒸汽の力は便利でも
メッキ細工か天ぷらか
見かけ倒しの夏玉子
人は不景気々々々と
泣き言ばかり繰返し
年が年中火の車
廻してゐるのがわからない
いたって日常的な言葉で綴られた歌詞を軽やかな旋律に載せて届けること。そのような唖蝉坊の「演歌」は、その後知道に受け継がれ、展示で触れていたように、土取利行をはじめとする弟子たち、さらに高田渡やなぎら健壱、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットらが引き受けた。あるいは、歌によって演説を偽装するという点で言えば、馬鹿馬鹿しくも楽しい活動によって従来の硬直した政治運動を柔らかく再構築している「素人の乱」の歴史的な起源のひとつとして唖蝉坊を位置づけることもできなくはない。
ただその一方で、見逃すことができないのは、唖蝉坊の演歌そのもののなかに時間を超えた批評性があるということだ。先に挙げた《ああわからない》の歌詞を今一度読み返してみれば、そこに3.11以後の日本人が重なって見えないだろうか。見かけ倒しの安全性を疑いもせずに安穏としていたことを一度後悔しながらも、そのことをいとも簡単に忘れてしまい、原発という火の車を再び回転させようとしている日本人は、まさしく「ああ、わからない!」。
2013/04/12(金)(福住廉)
アニメーション美術監督 小林七郎 展 空気を描く美術
会期:2012/12/19~2013/04/14
杉並アニメーションミュージアム[東京都]
アニメーション美術監督の小林七郎の展覧会。『ガンバの冒険』や『ルパン三世カリオストロの城』、『あしたのジョー2』などで知られる日本随一の美術監督で、鬼才・出﨑統と組みながら数々の名作を制作するとともに、男鹿和雄や小倉宏昌、大野広司といった後進の美術監督を育成した。現在は、自身が代表を務めた小林プロダクションを解散し、画家として制作活動に勤しんでいる。
本展は、アニメーション美術監督としての小林の仕事の全貌に迫る好企画。『ガンバの冒険』や『あしたのジョー2』、『少女革命ウテナ』などの背景画をはじめ、数々のスケッチ、そして実際のアニメーション映像が展示された。幻想的な城塞がひときわ印象的な『カリオストロの城』が展示に含まれていなかったのが残念だったが、それでも小林の筆力を存分に堪能できる展示になっていた。
なかでも本展の白眉と言えるのが、映像絵本として見せられた《赤いろうそくと人魚》である。童話作家の小川未明が1921年に発表した童話をもとに小林が新たに描き下ろしたアニメーションで、老夫婦のもとで育てられた人魚の娘の成長を描く悲劇だ。人間社会に希望を見出した母によって老夫婦に預けられたにもかかわらず、当の老夫婦によって裏切られる娘の心情が痛いほど伝わってくる。それは、ひとえにそのような悲劇を物語るに足る一貫して重厚な作画と、悲劇をよりいっそう効果的に物語る演出に由来するのだろう。
通常、アニメーションにおいてはキャラクターの絵柄と背景のそれは異なっていることが多い。前者が明るく平坦に描かれる反面、後者は筆跡を残した絵としてそれぞれ分離されて描写されるのだ。だが、小林による《赤いろうそくと人魚》では、そうした主従関係が相対化され、背景を描くタッチで登場人物も描写しているのである。従属的な立場に甘んじていた背景画が、前面にせり出し、ついに登場人物のシルエットを呑み込んでしまった。思わずそのように形容したくなるほど、物語は統一的に描写されているのだ。これは美術監督の逆襲なのだろうか。いや、むしろ「絵が動く」というアニメーションの原点に立ち返ったということなのかもしれない。
演出に関しては、象徴的なシーンがある。ある晩、老夫婦の家を訪ねてきた人物が戸を叩き、老夫婦はそれを戸内から見やるというシーンで、小林は暗闇の中で縦方向に走る光の筋を、戸を叩く効果音とともに二度描くだけで、それを表現した。一抹の不安に怯える老夫婦の心情に思わず共感を寄せてしまう。戸外の人物が描かれているわけではないが、それが老夫婦によって香具師に売り飛ばされた娘であることは想像に難くない。けれども、あえて光と闇に極端に抽象化して描写することによって、娘と老夫婦とのあいだの、もはや埋め合わせようのない決定的な隔たりを表現したのである。
小林の作画と演出には、アニメーションの本質というより、むしろ絵を描き、それを他者に伝えるという芸の真髄が隠されているのではないだろうか。
2013/04/09(火)(福住廉)