artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

プレビュー:NAMURA ART MEETING ’04-’34 VOL.4 臨界の創造論

会期:2012/10/20~2012/10/21

名村造船所跡地[大阪府]

21世紀初頭の30年間の芸術の変遷を追うことをテーマに、2004年から始まった30年間計画のプロジェクト。4回目の今回は、昨年以来の日本の未曽有の状況を受けて初心に立ち返り、さまざまな人々と語り合う場を提供する。プログラムは、宇治野宗輝、梅田哲也、雨宮庸介、クワクボリョウタ、ヤノベケンジ、DOMMUNE/Rubber(()Cementによるインスタレーション&ライブ・パフォーマンスと、宇川直弘、服部滋樹、水田拓郎、今野裕一、タニノクロウ、DJ SNIFF、山川冬樹、佐々木中らによる真夜中ミーティング&ダイアログ。濃密な一夜になることは間違いない。

2012/09/20(木)(小吹隆文)

プレビュー:鉄道芸術祭VOL.2 やなぎみわプロデュース「駅の劇場」

会期:2012/10/13~2012/12/24

アートエリアB1[大阪府]

京阪電鉄「なにわ橋駅」のコンコース内に位置するという、ユニークな場所性を持つアートエリアB1。その特性とポテンシャルを最大限に引き出すべく開催されるのが、この「鉄道芸術祭」だ。2010年のvol.0では鳥瞰図絵師・吉田初三郎の沿線案内図や鉄道の記録映像が展示され、昨年のvol.1ではゲストアーティストの西野達やその他のアーティストらにより、沿線施設を巻き込んだ独創的な企画が行われた。今年のvol.2ではメインアーティストとしてやなぎみわを招き、19世紀ヨーロッパで流行した「パノラマ館」をベースにした舞台装置を構築。やなぎの「案内嬢プロジェクト」や演劇公演が行なわれるほか、劇団「維新派」の松本雄吉、劇作家・演出家のあごうさとしらによるパフォーマンスやトークが行なわれる。特異なロケーションを生かした飛びきり個性的な芸術表現の誕生を期待したい。

2012/09/20(木)(小吹隆文)

竹内昌義×五十嵐太郎トークイベント「都市と原発──僕たちは何を設計できるのか。再生可能エネルギーの未来、新しい時代の建築を考える」

会期:2012/09/11

青山ブックセンター・本店[東京都]

みかんぐみの竹内昌義と『原発と建築家』(学芸出版社、2012)をめぐってトークを行なう。東日本大震災の後、建築家は仮設住宅や復興計画に参加できても、その全容が見えない、あるいは近づけないため、原発問題に関わりを持ちにくいのだが、エネルギーという切り口から未来をポジティブに考えようとするものだ。その姿勢は、震災前に出した竹内の『未来の住宅 カーボンニュートラルの住宅』(バジリコ、2009)から完全に連続しており、一貫してロジカルに環境ベースに新しい建築の可能性を探索している。

2012/09/11(火)(五十嵐太郎)

国立動物園を考える

会期:2012/09/09

東京大学弥生講堂 一条ホール[東京都]

文字どおり「国立動物園」の設立に向けて議論するシンポジウム。国立動物園を考える会の会長の小菅正夫のほか、NPO法人どうぶつたちの病院沖縄の長嶺隆、東京大学の木下直之がそれぞれ口頭発表した後、到津の森公園園長の岩崎俊郎による司会のもと、登壇者全員で討議した。とりわけ後半の全体討議を聞いていて気がついたのは、動物園が抱える問題と美術館が抱えるそれが、きわめて対照的な関係にあるということ。つまり、毎年4,000万人もの人びとが訪れる動物園は、大衆的な人気と必要性をすでに獲得しているにもかかわらず、国レベルでの支援がほとんど望めない反面、歴史的に文化行政から厚遇されてきた美術館は今になってようやく大衆化に躍起になっている。動物園が当初から地域に根づき、これから地域を超えた総合化に取り組もうしている一方、美の普遍性を標榜してきた美術館は逆に地域社会に何とかして関与しようとしている。双方のあいだには、ちようど真逆のベクトルが行き交っているわけだ。であれば、いっそのこと、「国立美術動物園」という混合施設の可能性を検討してみてもおもしろいだろう。

2012/09/09(日)(福住廉)

「自作自演」リーディング 西村賢太×本谷有希子

会期:2012/09/08

東京芸術劇場[東京都]

東京芸術劇場の東京福袋にて、西村賢太×本谷有希子の作家リーディングと対談を見る。初対面らしいが、好対照の二人で、面白い企画だった。俳優でもなく、読むプロのアナウンサーでもなく、作家本人が自分の書いたテキストを読む、というのは、どのように執筆していたのかを想像させて興味深い。本谷有希子は短編集『嵐のピクニック』から、カーテンの膨らみが気になりだす「私は名前で呼んでいる」と笑える「Q&A」を読む。いずれもだんだん語り手の素性が明らかになると同時に、小さな始まりが異様な事態にドライブしていく。朗読するときの間のとり方は、リズム感があって、やはり演劇をやっている人だ。一方、西村賢太は、『人もいない春』からの抜粋を朗読した。言うまでもなく、これも自分を重ねあわせた私小説である。狭い椅子で苦しそうに、途中で幾度か中断しながら、慣れない朗読を行ない、それ自体がパフォーマンスになり、ひとつのキャラとして成立している。彼の長いセンテンスの文章は、朗読には向かず、黙読的なのがよくわかる。

2012/09/08(土)(五十嵐太郎)