artscapeレビュー
その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー
せんだいスクール・オブ・デザイン 2013年度春学期学内講評会
東北大学片平キャンパスKatahiraX[宮城県]
東北大学にて、せんだいスクール・オブ・デザインの学内発表会を行なう。今回の「演劇/ライブから考える」をテーマにした『S-meme』6号は、チラシの束が乱雑に束ねられたような装幀である。限られたコストで、なるべくカオティックに見せるためには、実はかなり周到に事前の設計が必要なのだが、表面的にはそうしたプロセスはあらわれない。見るものが、それを読み解けるか。またクリエイター・イン・レジデンスでは、スタジオ・ヴェロシティの《瞬間を閉じ込める椅子》を、受講生がどう制作したかのメイキングを詳しく紹介する。当然、タイトル通り、瞬間的にできるものではなく、かなり手がかかるものだ。この椅子は、あいちトリエンナーレにおいて、岡崎市のシビコ屋上で展示される。
2013/07/26(金)(五十嵐太郎)
カタログ&ブックス│2013年7月
展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
「内臓感覚─遠クテ近イ生ノ声」展カタログ
人間の諸感覚の中でもより原始的・根源的な「内臓感覚」を手がかりに、その内なる感覚に響き、語りかけ、新たな知覚の目覚めにつながる現代の表現を巡っていく展覧会「内臓感覚─遠クテ近イ生ノ声」。
その13組の出品作家の作品とテキスト、豊永政史によるアートディレクションで、内臓感覚を揺さぶる渾身の1冊が刊行されました。
[金沢21世紀美術館サイトより]
前橋市における美術館構想 プレイベントの記録 2012・4-13・3
2013年10月にオープンする群馬県前橋市の美術館「アーツ前橋」の準備のためにおこなった、約一年間の事業をまとめた一冊。ZINEをつくるアートスクールをはじめ、韓国人アーティストのペ・ヨンファンを招聘したアーティストインレジデンス、off-Nibrollを講師としたダンスワークショップ、数多くの地域アートプロジェクトなど、地域と芸術文化を結びつける実践が数多く紹介されている。
現代建築家コンセプ・トシリーズ15 菊地宏 バッソコンティヌオ 空間を支配する旋律
1972年生まれの菊地宏が建築を志した90年代から「白い建築」が注目を集めていた。建築が白ければ模型も白く、平面図では色を表現する余地がない。菊地には、建築をめぐるこの状況は、モードのうえにモードを重ね、より視野を狭めて進んでいるように思えた。なぜこれほどまでに建築は自由を奪われてしまったのか、白の呪縛から逃れ、豊かな空間をつくることができるのだろうか──。
菊地の設計活動は、こうした問いと向き合い、歴史や自然のなかに範を探していくものとなった。
空間の豊かさは、自然のリズムと協調することから生まれてくる。菊地は、環境、方角、季節、時間、光、色といった要素と人間をどのように結びつけられるかを丁寧に探り当てる。建築の最新モードから離れ、豊かな空間についてあらためてじっくりと考えるための一冊。
[LIXIL出版サイトより]
リアル・アノニマスデザイン──ネットワーク時代の建築・デザイン・メディア
物と情報は溢れ、誰もがネットで自由に表現できる現在、建築家やデザイナーが「つくるべき」物とは何か。個性際立つ芸術作品?日常に馴染んだ実用品?その両方を同時に成し遂げたとされる20世紀の作家・柳宗理の言葉“アノニマスデザイン”を出発点に、32人のクリエイターが解釈を重ね、デザインの今日的役割を炙り出す。
[学芸出版社サイトより]
Project ‘Mirrors’ 稲垣智子個展
2013年2月5日〜26日に京都芸術センターで行われた「Project ‘Mirrors’ 稲垣智子個展」のカタログ。展覧会では、作家の稲垣自身がキュレーションした「beautiful sʌn」と批評家・高嶋慈がキュレーションした「はざまをひらく」という2つの個展が同時開催された。本カタログは、この2つの個展をもとに編集者・多田智美が制作したもので、それぞれの個展をまとめた2冊のビジュアルブックと、稲垣のインタビューと高嶋の批評テクストをまとめたテクストブック、計3冊をひとつの本に収めている。
2013/07/16(火)(artscape編集部)
あいちトリエンナーレ2013 東京記者会見
建築会館1階 建築会館ホール[東京都]
東京の建築会館を使い、あいちトリエンナーレ2013の記者発表を行なう。やはり、企画途中の昨年や今年の初めの頃に比べて、プログラムが確定したり、コンテンツができはじめると、説明しやすい。今回の特徴は、震災以降という象徴的なテーマ性と、建築/空間的な視点の二本柱と言えるだろう。出品作家からは、青木淳が名古屋市美の空間をどう読み、杉戸洋らの作家との協同作業でどう変えていくかを、また奈良美智がWE-LOWSというユニットとして長者町でどのような場をつくるかを語る。ともに震災経験に触れたが、これを契機に大事な仲間と共有できる場の大切さを再認識したと述べたのが印象的だった。なお、この記者発表の後、青木も杉戸とともに、スパイダースというユニットを結成した。
2013/07/11(木)(五十嵐太郎)
ルパン三世 展
会期:2013/04/27~2013/05/21
松坂屋美術館[愛知県]
アニメーションをめぐる言説でもっとも注意すべき点は、それらがマンガと並ぶ代表的な大衆文化であるがゆえに、誰が語るにしても特定の作品への思い入れが強くなりすぎることである。だからこそアニメーションは、よくも悪くも、世代論と非常に緊密に結びつきやすい。愛のある言説は特定の世代には大きな共感と支持を得やすいが、同時に、異なる世代を不本意にも疎外してしまいかねないというわけだ。
むろん、世代を超越して愛されるアニメーションがないわけではない。《ドラえもん》《サザエさん》《ちびまる子ちゃん》などは視聴者を入れ替えながら長期にわたって連続的に放送されているし、《ルパン三世》も、断続的とはいえ、同じく幅広い世代に愛されているアニメーションのひとつである。
本展は、《ルパン三世》の全貌に迫る好企画。原画やセル画はもちろん、アトランダムにカットアップした映像作品、制作スタッフへのインタビュー、原作者であるモンキー・パンチの原画、そして27年ぶりに放送されたテレビシリーズ《LUPIN the Third─峰不二子という女》の資料などが一挙に展示され、非常に見応えのある展観だった。
例えば歴代のルパンの顔を並べた展示を見ると、「ルパン」という定型的なイメージにさまざまな微細な差異が織り込まれていることがよくわかる。服装はもちろん、目つきや口のかたちからモミアゲの長さにいたるまで、その都度その都度、ルパンは隅々にわたって微調整されているのだ。言い換えれば、そのイメージを生産しているアニメーターたちの個性や表現がそれぞれ確実に作用しているのである。
視覚的なイメージだけではない。ルパンの声優といえば、かつては山田康雄であり、現在は栗田貫一だが、本展で上映されたパイロット版を見ると、当初はまったく別の声優だったことを知って驚いた。その声の質は、60年代のテレビドラマや映画でたびたび耳にする硬質なそれで、現在私たちが知っているあの軽佻浮薄なルパンとは程遠い。さらに銭形警部の納谷悟朗がパイロット版では石川五エ門の声を担当していたように、現在定着しているイメージは、度重なる試行錯誤の結果だった。
その実験的な取り組みをもっとも如実に表わしていたのが、TVシリーズのオープニング映像である。本展では、4つのテレビシリーズのうち、《LUPIN the Third─峰不二子という女》をのぞく3つのオープニング映像が上映されていた。3つの映像を見比べてみると、それぞれアニメーションにおける映像表現の可能性を追究しており興味深いが、なかでも傑出していたのが、第2シリーズ。キャラクターのスピーディーな動きから色の使い方、光と影の陰影表現や焦点の遠近移動といった映画的技法、あるいは光と速度を溶け合わせたり、キャラクターの輪郭のなかに別次元を導入したり、アニメーションならではの技法にも挑戦している。アニメーションのクリエイターたちは、新たな映像表現を求めて格闘していたのだ。
《ルパン三世》が他の長寿アニメーションと決定的に異なるのは、この点にある。偉大なるマンネリズムとは対照的に、新しい映像表現によって新たなるルパンを描写していくこと。最新作の《LUPIN the Third─峰不二子という女》が示しているように、それは現在も進行している運動体なのだ。
2013/05/18(土)(福住廉)
SSD オープンレクチャー 相馬千秋「演劇はなぜ、都市に出るのか?─都市のドラマトゥルギーを引き出す、演劇的想像力の可能性」
会期:2013/05/16
東北大学片平キャンパス都市建築学専攻仮設校舎ギャラリートンチク[宮城県]
今期、せんだいスクール・オブ・デザインのメディア軸は、「演劇/ライブから考える」と題して雑誌制作を行なう。第一回のゲストの相馬千秋は、劇場を飛びだし、都市のドラマトゥルギーを引き出す事例を紹介した。池袋の芸術劇場の前で行なわれたフラッシュ・モブ、フェスティバル・トーキョーにおいて新橋と福島をつなぐ高山明の「光のないII」、移動するトラックが客席となって都市を体験する試みなど、演劇の可能性を開く挑戦だ。
2013/05/16(木)(五十嵐太郎)