artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

プレビュー:奈良・町家の芸術祭 HANARART2013

会期:2013/09/07~2013/11/26

会場:五條新町(9/7~16)、御所市名柄(9/14~16、一部作品は9/7~16)、八木札の辻(9/20~29)、今井町(9/27~10/6)、郡山城下町(10/12~20)、宇陀松山(10/20~27)、奈良きたまち(11/1~10)、桜井本町(11/16~26)[奈良県]

奈良県内に数多く残る伝統的な家並みや町家と斬新なアート作品を組み合わせる、まちづくり型現代アートイベント。今年も県内8カ所を会場に少しずつ時期をずらして開催されるが、その内容は昨年とは大きく異なる。まず、キュレーターを公募する企画展「HANARARTこあ」は、郡山城下町1カ所での開催となり、奥中章人、サラスヴァティ、銅金裕司の3組が選出された。ちなみに「こあ」の審査を行なったのは、中井康之(国立国際美術館主任研究員)である。次に、アーティストが自主的に参加し展覧会やイベントを行なう「HANARARTもあ」。こちらは昨年と同様だ。そして3つ目が、アーティストが会場に長期間滞在して制作と展示を行なう「HANARARTえあ」で、国内作家はもちろん、フランス、台湾、タイの作家も参加している。「HANARART」は日程と会場が分散しているため、すべてを見届けるのは難しい。その代わり、どのエリアに出かけてもアートと地域の魅力を体感するだろう。ちなみに筆者自身が注目しているのは、やはり郡山城下町である。

2013/08/20(火)(小吹隆文)

新時代の「やきもの」への挑戦!

会期:2013/06/18~2013/09/23

滋賀県立陶芸の森陶芸館[滋賀県]

美術館と滞在型スタジオを兼ね備えたやきもの専門文化施設である滋賀県立陶芸の森。同所では1992年の開設以来、48カ国860人以上のアーティストが訪れたという。その取り組みの成果を、主に30~40代の作家を中心に振り返るのが本展だ。会場には54作家の作品が並び、4章に分けて展示されていた。ただし展示面積の半分以上は第1章「胎動と予感 気鋭の作家たち」であり、それが本展の羅列的性格を物語っていたように思う。海外作家を紹介する第2章はまだしも、現代美術作家の取り組みを取り上げた第3章、器作品を紹介する第4章は数的に物足りず、特に第3章で3作家しか取り上げられていないのは疑問である。ただ、やきものオブジェをこれだけ大量かつバリエーション豊かに見られる機会は少なく、その意味で本展は有意義だった。

2013/08/17(土)(小吹隆文)

国際シンポジウム「現代ケンチクの日本」/オープニングシンポジウム「『カタストロフ』という機会─The Opportunity of Catastrophe─」

会期:2013/08/11

愛知芸術文化センター 12階アートスペースA[愛知県]

11日は二連続で国際シンポジウムが行なわれた。「現代ケンチクの日本」はモデレータの渡辺真理さんが、「ARCHITECTURE」の訳語としての「建築」ではなく、いまは世界に発信していく日本独自の「ケンチク」が生まれているのではないかという興味深い仮説を提示したが、時間が足りず、あまりこの議論を展開できなかったのは残念だった。もっとも、アメリカ、ヨーロッパ、アジアから見る日本建築の状況を知ることはできた。
続いて、同じ会場では、ミハイル・カリキスのボイス・パフォーマンスを挟んで、あいちトリエンナーレのテーマに絡めた「カタストロフという機会」のシンポジウムが開催された。筆者はカタログに寄稿する内容を軸に、今回のコンセプトについて語る。連続的に数字を次々に見せる、ジャーによる詩のようなプレゼンテーションはカッコいい。またシンポジウムのプレゼンテーションを通じて、宮本佳明さんの今回の福島第一さかえ原発と、阪神大震災後のゼンカイハウスの共通点に気づいたのも収穫だった。後者は壊れた木造に鉄骨のフレームを挿入、前者も愛知芸術文化センターに原発を転送している。つまり、いずれも異なる建築形式を重ね合わせている。

2013/08/11(日)(五十嵐太郎)

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宮沢賢治 詩と絵の宇宙 雨ニモマケズの心 展

会期:2013/07/13~2013/09/16

世田谷文学館[東京都]

宮沢賢治の没後80年を記念した展覧会。賢治直筆の手紙や葉書、絵本の原画をはじめ、賢治の童話を題材とした絵本の原画や挿絵が展示された。
その原画や挿絵を描いたのは、いわさきちひろ、スズキコージ、田島征三、司修、堀内誠一、棟方志功、矢吹申彦ら錚々たる面々。とりわけ興味深かったのは、そのなかに高松次郎、中西夏之、李禹煥も含まれていた点である。前者のクリエイターたちが描いたのは具象的で写実的な絵画であるのに対し、後者の現代美術家たちが見せたのはあくまでも抽象画。曲線が入り乱れていたり、色が重なっていたりしているだけなので、一瞥したところでは、どこが宮沢賢治の物語と照合しているのか、まったくわからない。抽象化したのだから当然と言えば当然だが、あまりにも超然としたその構えには、ある種の潔さすら感じる。挿絵やイラストレーションとは異なる現代美術の矜持ここにありということなのだろうか。
ただ、抽象化が悪いとは言わないが、これではあまりにも芸がないのではなかろうか。池田龍雄や中村宏、あるいは桂ゆきといった先達がすぐれた絵本の原画や挿絵、ないしは童画を描いていたことを考えると、現代美術家といえども、いやだからこそ描くことができる絵は十分にありうる。ジャンルの問題というより、描き手が潜在させている芸の幅の問題ではないか。

2013/08/11(日)(福住廉)

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あいちトリエンナーレ2013 揺れる大地 われわれはどこに立っているのか 場所、記憶、そして復活

会期:2013/08/10~2013/10/27

名古屋エリア、岡崎エリア[愛知県]

芸術監督に建築学の五十嵐太郎を迎え、東日本大震災後を強く意識させるテーマを掲げた「あいちトリエンナーレ2013」。このテーマを最も体現していたのは、愛知県美術館8階に展示されていた宮本佳明の《福島第一原発神社》だった。本作は昨年に大阪の橘画廊で発表され大きな注目を集めたが、今回はそれを何倍にもスケールアップさせ、インパクトのある提案をさらに加速させていた。また、宮本は愛知県美術館の吹き抜け部分と福島第一原発建屋のスケールがほぼ相似であることに着目して、美術館の床や壁面に原発の図面をテープでトレースする作品も発表しており、今回の主役ともいうべき活躍を見せていた。名古屋エリア全体でいうと、愛知県美術館と納屋橋会場の出来がよく、地震や被災といったテーマ直結の作品だけでなく、コミュニティの境界や分断、明日への希望を掲げた作品など、質の高い表現がバリエーション豊かに出品されていた。また今回新たに会場に加わった岡崎エリアでも、岡崎シビコでの志賀理江子をはじめとする面々による展示が力強く、とても見応えがあった。そんな今回のトリエンナーレにあえて注文を付けるとすれば、会場間の移動をよりスムーズに行なえる方策を考えてほしい。導入済みのベロタクシーに加え、レンタサイクルを実施すれば歓迎されるのではないか。次回に向け是非検討してほしい。

2013/08/09(金)・10(土)(小吹隆文)

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