artscapeレビュー
その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー
カタログ&ブックス│2013年2月
展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
会田誠作品集 天才でごめんなさい
2012年11月17日(土)〜2013年3月31日(日)まで、森美術館で開催中の「会田誠 天才でごめんなさい」展カタログ。「デビュー以来一貫して自らが生きる社会を凝視し続け、批評、風刺あふれるセンセーショナルな作品を発表し続ける会田誠。そのタブーに挑む表現から真の評価が遅れてきた会田の全貌を検証する」[青幻舎サイトより]
SUPER RAT
芸術実行犯Chim↑Pomの全貌! 2005年結成からパルコミュージアムでの個展「Chim↑Pom」までの代表作をすべて網羅。さらに国内外の評論家やキュレーターによるさまざまな論考を併載し、話題沸騰のアーティスト集団に迫る。[パルコ出版サイトより]
アシュラブック
興福寺 阿修羅像から東大寺 不空羂索観音像へ
興福寺の阿修羅像が美少年になった理由とは? 興福寺の阿修羅像は、日本の仏像の中でナンバーワンの「美少年」です。ですが、阿修羅のルーツをたどっていくと、ある疑問にぶつかります。阿修羅はそもそも鬼の神。インドや中国など各地でつくられた像の多くは、すさまじい形相をしているものが多々あり、美少年のイメージから遠くかけはなれています。では、なぜ興福寺の阿修羅像が生まれたのでしょうか? 本書では、美少年が生まれるヒストリーの裏に隠された、人間のさまざまなドラマに迫ります。また、最近の研究により新事実の発覚した、東大寺不空羂索観音像との関係もクローズアップ。さらに、奈良の美仏も多数収録。奈良の仏像の「美しさ」を徹底的に解説。仏像好き必見の一冊です。[美術出版社サイトより]
写真画報
荒木経惟「淫夢」×佐内正史「撮っている」
ふたりの写真家を選出し、それぞれの作品をほぼ同じページ数で掲載する新しい表現スタイルの写真雑誌です。写真表現を拡張する可能性を探りつつ、写真家の本質を対比によって表出させます。特集ではインポッシブルのインスタントフィルムで撮影した新作を発表する荒木経惟と、ストレートで純粋な表現で挑む佐内正史のふたりを取り上げます。それぞれ60 ページに渡るボリューム満点の撮り下ろしの作品ページとインタビューは、見応え十分です。他に最新写真ニュースやブックレビューなどのコラムを掲載しています。
[玄光社サイトより]
地域を変えるソフトパワー
アートプロジェクトがつなぐ人の知恵、まちの経験
東日本大震災が起きる以前から、地域社会の疲弊に対して多くの振興策が実施されてきた。しかし、それらはじゅうぶんな成果を上げられなかった。公共事業による箱モノ行政や、大規模商業施設の誘致がいっときのカンフル剤として機能したとしても、高度成長期より徐々に進んできた地方の過疎化と大都市への一極集中は食い止められず、地域社会は疲弊したままである。そうしたなか、新たな地域再生の試みが少しずつ成果を上げ始めている。多様な地域資源を再活用し、人々のコミュニケーションを応援し、2000年以降地域コミュニティ再生に不可欠な存在として浮かび上がってきたのが、アートプロジェクトである。このアートを社会に開く活動は、地域における小さな拠点開発に長けており、大規模の施設を必要とせず、最小の投資を最大限に活かすことができる。私たちは、全国の様々なアートプロジェクトが備えているそんな機能を、「ソフトパワー」と名付けてみたいと思う。地域に暮らす、あるいは関わる人々の「もやもやとした思い」を受け止め、様々な実践へと展開していくこと。着実に成果を生んでいる各地の取り組みを取材し、一つひとつ紐解いてみたい。柔軟な社会変革、だからソフトパワーなのである。[地域を変えるソフトパワー特設サイトより]
建築映画 マテリアル・サスペンス
建築家・鈴木了二は、建築・都市があたかも主役であるかのようにスクリーンに現れる映画を「建築映画」と定義します。「アクション映画」、「SF映画」や「恋愛映画」といった映画ジャンルとしての「建築映画」。この「建築映画」の出現により、映画は物語から解き放たれ生き生きと語りだし、一方建築は、眠っていた建築性を目覚めさせます。鈴木は近年の作品のなかに「建築映画」の気配を強く感じると語ります。現在という時間・空間における可能性のありかを考察するために欠かすことができないもの、それが「建築映画」なのです。ヴァルター・ベンヤミン、ロラン・バルト、アーウィン・パノフスキーやマーク・ロスコの言葉にも導かれながら発見される、建築と映画のまったく新しい語り方。本書で語られる7人の映画作家たち:ジョン・カサヴェテス、黒沢清、青山真治、ペドロ・コスタ、ブライアン・デ・パルマ、二人のジャック(ジャック・ターナー、ジャック・ロジエ)。黒沢清、ペドロ・コスタとの対話も収録。[LIXIL出版サイトより]
2013/02/15(金)(artscape編集部)
飛騨の円空 千光寺とその周辺の足跡
会期:2013/01/12~2013/04/07
東京国立博物館[東京都]
飛騨・千光寺が所蔵するものを中心に約100体の円空仏を見せた展覧会。《両面宿儺坐像》をはじめ、《賓頭盧尊者坐像》《三十三観音立像》など、円空仏の代表的な作品が一堂に会した。
作品の点数に対して会場の空間がやや狭かった気がしないでもなかったが、それでも林立させた円空仏によって飛騨の森林を再現するという展示のコンセプトはうまく実現されていたように思う。円空仏がまさしく森でつくられたものであることが如実に伝わってきたからだ。
よく知られているように、円空仏の大きな特徴は木材を有効活用してつくられている点であり、なおかつ、顔料や漆で表面を処理しないことによってそのことを詳らかにしている点である。つまり、誰が見ても、第一印象ですでに森林との連続性が伝わってくるのである。
だが、今回改めて円空仏をまとめて見てみると、円空が森林をはじめとした自然のモチーフを取り込みながら造形化していたことが、よくわかった。《龍頭観音菩薩立像》と《聖観音菩薩立像》がまとう衣の表現は、針葉樹を簡略化した記号表現と大きく重なり合っているし、《不動明王立像》の下半身は明らかに魚の鱗であろう。《柿本人磨坐像》の鋭角的な描線にしても、飛騨の山々に今も残る荒々しい岩肌から着想を得たにちがいない。円空仏が自然から彫り出されたというより、むしろ円空仏そのもののなかに自然が凝縮されていると言っても過言ではないだろう。
自然から導き出すのではなく、自然を引き込むような造形のありよう。このような円空仏は、いかなる点においても、近代彫刻とは相容れない。その最も典型的な例証が、円空仏の正面性である。見た目のボリュームとは裏腹に、円空仏のなかにはきわめて薄いものが多い。正面から見ると気がつかないが、少し視点をずらすと、その薄さに驚愕するというわけだ。近代彫刻が周囲360度からの視点に耐えうる造形を目指していたのとは対照的に、円空仏はむしろ正面性を求めている。この点にかぎって言えば、円空仏はむしろ絵画的と言えるのかもしれない。
いや、自然との関係性の観点から言えば、円空はそのようにして正面性に依拠しながらも、同時に、その極薄の造形すらも露呈することで、自然に対する融通無碍な身ぶりを体現していたと言うべきなのかもしれない。円空仏を楽しむ視線は、近代彫刻の不自然さを浮き彫りにするのである。
2013/02/08(金)(福住廉)
JDP復興支援デザインセンター特別フォーラム「復興とデザインの様々なかたち」
会期:2012/11/23~2012/11/25
ビッグサイトのグッドデザイン賞の展覧会にて、JDP復興支援デザインセンター 特別フォーラム 「復興とデザインの様々なかたち」のファシリテーターをつとめる。釜石の仮設住宅、仙台の教育施設、石巻工房、そして逃げ地図など、異なるタイプ、異なる場所のプロジェクト・リーダーたちに語ってもらい、その後に討議を行なう。震災はある意味において、デザインの潜在的な可能性を引きだす契機にもなっていたのではないか。
2012/11/25(日)(五十嵐太郎)
みちのく鬼めぐり
会期:2012/10/06~2012/12/02
東北歴史博物館[宮城県]
鬼についての展覧会。日本酒の「鬼ごろし」にはじまり、鬼の仮面、鬼を描いた錦絵、鬼にまつわる神社、地名、名所など、とにかく東北各地を中心に鬼のイメージを一挙に展示した。昨年、神奈川県立歴史博物館が「天狗」についての充実した展覧会を催したが、それに匹敵するほど見応えのある展覧会である。
鬼といえば、酒呑童子や邪鬼のように人間にとって邪悪な妖怪として理解されているが、本展に陳列された数々の鬼を見ると、必ずしも悪の存在とは限らないことがよくわかる。水不足に悩む村の上流でせき止められていた川の水を鬼が開通させたという伝説が残されているように、鬼はむしろ神に近い存在でもあった。つまり、鬼とは人間社会の周縁に広がる異界に住まう両義的な存在であり、そのことによってこの世の暮らしを合理的に機能させる神話的な存在でもあった。
かつて土門拳は、写真家の意図を超えた偶然性が写真に映りこむ事態を指して「鬼が手伝った」と言い表わした。このように鬼は神話的な存在として実在的に生きているというより、むしろ私たち自身が鬼を生かしながら私たちの暮らしをうまい具合に成立させているのである。山奥の空間的な周縁というより、日常生活の周縁のなかで生かしていると言ってもいい。
鬼が商品のなかに埋没しつつある現在、それを再び暮らしの周縁に取り出し、鬼をうまく生かす知恵を磨くことができれば、経済的な豊かさとは別の水準で、暮らしをより豊かにすることができるのではないだろうか。そのとき、アートはどんなかたちで関わることができるのか。
2012/11/16(金)(福住廉)
墨田まち見世2012/特別企画「どこにいるかわからない」展
会期:2012/11/10~2012/11/25
東向島の「どこにいるのかわからない」展をまわる。路地と屈曲した通りに沿って、空き家、空き地、旧工場などを使い、幾つものアートプロジェクトが展開し、文字通り、道に迷い、どこにいるのかわからなくなるような場所性を体験する。個別の作品もこのコンセプトを意識したものが多い。ここのまちづくりに関わってきた真野洋介のトークでわかったのは、墨東のエリアには、北川貴好、KOSUGE1-16、戸井田雄が入っており、あいちトリエンナーレの長者町の作家とかぶっていること。そして土屋公雄の薫陶を受けた武蔵野美大の建築系ネットワークが強い。ゆえに、展示も空間を使う力作がそろう。
2012/11/16(金)(五十嵐太郎)