artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

Three Phase Session─Draw/Sound/View

会期:2013/04/06

ギャラリーノマル[大阪府]

音楽ユニットの.es(ドットエス)が即興演奏するなか、美術家の名和晃平がライブドローイングを行ない、その模様を美術家の稲垣元則がハンドカメラで映像化した。名和は素材の扱いに一癖ある作家だが、この日も絵の具にシェービングクリームや洗剤らしきものを混ぜたメレンゲ状の画材を駆使しており、その工程をオープンにしたことで観客の興味をそそっていた。.esは計4時間以上にわたる長丁場をだれることなく演奏し続け、稲垣はビジュアルとサウンドの融合を現場で行なうことに成功していた。音楽とライブペインティングの組み合わせは珍しくないが、このイベントは、ペインターが名和晃平だったことと、映像作品というもうひとつの要素を加えたことでオリジナリティーを創出したと言えよう。

2013/04/06(土)(小吹隆文)

つくることが生きること東京展

会期:2013/03/09~2013/03/31

3331 Arts Chiyodaメインギャラリー[東京都]

大規模な自然災害からの復興支援活動をサポートしている「わわプロジェクト」による展覧会。東日本大震災からの現在進行形の復興に焦点を当てている点は、昨年に同会場で催された展覧会と変わらない。異なっていたのは、それらを3.11以前の復興の歴史に位置づけようとしていた点だ。
本展の最大の見どころは、阪神・淡路大震災と新潟中越地震、そして東日本大震災からの復興活動を時系列でまとめた年表にある。つまり、1995年から2004年を経て2011年にいたるまでの16年間、全国各地で展開してきた復興支援活動を一挙に視覚化したのである。むろん、それらの詳細な内実を年表から伺い知ることは叶わない。けれども、年表に記された文字の羅列と集合からは、復興に注がれた人々の熱意がまざまざと感じられた。
とはいえその一方で、時間の経過とともに復興支援活動が減少していく様子が一目瞭然だったことも事実だ。何も記述されない空白が復興の実現を意味していることは間違いない。ただ、その空白の先に新たな自然災害が必ず発生していることを考えれば、そもそも何をもって「復興」とするのか、その定義について再考せざるをえない。
年表から理解できるのは、1995年以来、この国は自然災害が周期的に発生しているという厳然たる事実である。だとすれば、近い将来、新たな自然災害が発生することは避け難いと考えるのが論理的な必然だろう。このような「震災間の時代」において、「復興」とはある特定の自然災害によって破壊された文化的な生活の回復や精神的な辛苦の治癒を明示しているだけでなく、それと同時に、私たちが無根拠に内面化してしまっている自然災害とは無縁の都市生活というイデオロギーの見直しを暗示しているのではないか。アートの創造性や想像力を前者の「復興」に活用するアートプロジェクトは数多い。けれども、それ以上に重要なのは、創造性や想像力によって後者の「復興」を再検証しながら震災と震災のあいだを生き抜く持続的な身ぶりと知恵を練り上げるアートではないだろうか。

2013/03/31(日)(福住廉)

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東日本大震災復興支援「つくることが生きること」東京展

会期:2013/03/09~2013/03/31

アーツ千代田 3331 メインギャラリーA, C, D[東京都]

アーツ千代田3331にて、昨年に引き続き、開催された東日本大震災復興支援「つくることが生きること」東京展を見る。最初の導入部では、リアスアーク美術館による明治三陸沖津波の報道画が出品されていた。そのほかには、宮本隆司、畠山直哉らの写真、阪神・淡路大震災のタイムラインマッピング、漂流物でかわいいオブジェをつくるワタノハスマイルなど、東日本大震災に限定せず、さまざまな展示が集まっている。その後、トークイベント「観光資源のネットワークが描く復興のかたち」のモデレータを務める。アーキエイドからは門脇耕三さん、石巻2.0からは西田司さんが、牡鹿半島における小さな拠点をネットワーク的につなぐ新しい観光の可能性を報告し、大西麻貴さんは気仙沼などの風景をつくるプロジェクトについて紹介した。おそらく、最終的に手垢のついた「観光」という言葉に代わる新しい概念をつむいでいくことが重要ではないかと思われた。

2013/03/30(土)(五十嵐太郎)

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新聞錦絵─潁原退蔵・尾形仂コレクション─

会期:2013/02/09~2013/04/14

福生市郷土資料室[東京都]

新聞錦絵とは、明治7(1874)年から数年間発行された木版多色刷りの一枚物。新聞に掲載された事件や逸話を錦絵と文章でわかりやすく伝えたマスメディアである。本展は、国文学者の潁原退蔵から尾形仂へ受け継がれてきた新聞錦絵のコレクションが同室に寄贈されたことを記念した展覧会。新聞錦絵を中心に約100点の資料が展示された。
新聞錦絵といえば月岡芳年が知られているが、今回展示された新聞錦絵の大半は、「大阪錦絵新聞」のような上方の新聞錦絵。東京の新聞錦絵より判型が一回り小さいが、扇情的な画題を色鮮やかな錦絵と平明な文章で伝える形式は、ほとんど変わらない。取り上げられている出来事は、「夫が浮気した女房を殺害した話」「養女を折檻した鬼婆の話」「外国人が猟に行き誤って子どもを撃ってしまった話」など、センセーショナルな事件が多い。開港によって輸入された西洋由来の鮮やかなインク(とりわけ赤と紫)が、暴力描写を劇的に高めているのも頷ける。
ただ、細かくみてみると、「男性として7年間暮らした女性の話」や「料理屋の娘が華族のお誘いを粋に断った話」、「古狐が娘に化けていた話」など、画題は必ずしも刃傷沙汰に限られているわけではないことがわかる。平たく言い換えれば、「ひどい話」ばかりだけでなく、「おもしろい話」や「良い話」もあったのだ。だとすれば、新聞錦絵とは明治時代に固有のニュース・メディアであったのと同時に、落語や講談のような大衆芸能にも重なりあう、ハイブリッドなメディアだったのではないだろうか。
事実、本展でていねいに解説されていたように、従来の新聞が想定する読者層が知識人だったのとは対照的に、新聞錦絵のそれは一般大衆の婦女子であり、彼らが読みやすいように、新聞錦絵の文章は平仮名を中心に記述され、漢字を用いる場合であっても、すべて振仮名が振られていた。文体も、新聞記事の文章をそのまま転載したわけではなく、同じ内容を五七調に改めることで、言葉が跳ねるようなリズム感をもたらしている。つまり、新聞錦絵の錦絵が劇的に脚色されていたのと同じように、その文章もまた劇的に演出されていたのだ。
「ひどい話」をよりひどく、「おもしろい話」をよりおもしろく、「良い話」をより良く語ること。落語や講談が開発してきた独自の文法と、浮世絵から展開してきた錦絵との合流地点に新聞錦絵を位置づけることができるのではないか。

2013/03/13(水)(福住廉)

黒駒勝蔵対清水次郎長 時代を動かしたアウトローたち

会期:2013/02/09~2013/03/18

山梨県立博物館[山梨県]

博徒、すなわち賭博を生業とする無法者ないしは無宿者についての展覧会。かつての甲斐国、現在の山梨県一帯を縄張りにしていた黒駒勝蔵を中心とした甲州博徒の歴史を文献から明らかにした。
展示から理解できたのは、江戸末期から明治初期にかけては、行政とは異なる博徒を中心とした権力構造が存在しており、それが現在ではタブー視されているのとは対照的に、庶民の暮らしに密着して機能していたこと。そして、黒駒勝蔵は富士山を挟んで清水の次郎長と対立していたが、その抗争の舞台となったのが、物流の経路だった富士川流域だったことである。博徒というアウトローを糸口として、現在とは異なる社会のありかたを想像させた意義は大きい。
しかしながら、展示物の大半が古文書だったため、展覧会としてのエンターテイメント性については、いささか物足りない印象は否めなかった。大半の現代人にとって古文は解読不可能であるから、解説文で説明を補っていたが、その要約のピントが少々甘い。映像や立体で展示にアクセントをつけようとしていたが、いずれも完成度が著しく低いため、完全に裏目に出ていた。
博徒の展覧会なのだから、少なくとも賭場を再現したり、博徒を主人公にした映画を上映したり、古文書から離れて視覚文化を活用するよう発想を転換する必要があったのではないか。常設展では、展示の構成や方法にかなりの工夫が見られただけに、惜しまれる。博物館の展示にアーティストが関わることも考えてよいだろう。

2013/03/04(月)(福住廉)

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