artscapeレビュー
パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー
加藤翼「11.3project」

会期:2011/011/03~2011/11/03
福島県いわき市平豊間兎渡路[福島県]
この土地のシンボルと思われる塩屋崎灯台が遠くで屹立するなか、その1/2スケールの構造物が、ゆっくりとバランスをとりながら引き興されていった。ロープを引く200人ほどの参加者に加藤翼は「せーの」と何度も声をかける。参加者はその声とともにひとつになった。感動的な光景だった。これまでも、参加者が一丸となってロープを引っぱり、構造体を引き倒したり引き興したりするパフォーマンスを加藤は行なってきた。ただし、それは基本的に芸術的な行為であり、それ以外ではなかった。今回のこれは違う。メインイベントの前座にあたる、地元の歌手による歌謡ショーは1時間以上続いた。演歌や懐メロが高らかに鳴り響き、歌手の冗談が笑いを誘う、その声は地震と津波の猛威の爪痕がいたるところに残る場所を癒していた。当地の人々にとって、これはたんなる芸術活動ではない。久しぶりに顔を合わせた人々、笑い顔の影で、いたるところで涙が流れていた。当地でボランティア活動を続けてきた加藤が、その思いを自分の芸術的な方法をとおして表現した。文化の力で「11.3」という日に「3.11」をひっくり返す。社会のなかへ介入し、加藤の作品にひとつの社会的な意味が生まれた。さて、その成果をどう芸術の問題として展開してゆくことになるのか、その点から今後の加藤の活動に注目していきたい。
2011/11/03(木)(木村覚)
バナナ学園純情乙女組『バナ学☆★バトル熱血スポ魂秋の大運動会』
会期:2011/010/26~2011/11/01
グリーンシアター BIG TREE THEATER[東京都]
秋葉原的なもののみならず、モー娘。やらAKB48やらZONEやらオザケンまでもがみじん切りにされ、数十名の出演者たちは歌い踊りながら観客に噛みつき、キスし、ポンポンを投げ、ヤジを飛ばし飛ばされながら、舞台という鍋のなかでぐつぐつ煮込まれる。観客は、爆音のなか、本物の水や豆腐やわかめ(!)が飛ぶなか、出演者たちにおびえ、ヤジを飛ばされ飛ばし返しながら、ひたすらそのカオティックな煮物を鑑賞するというより浴びるのだ。若さという武器が、無意味な、たんなるカロリー消費としてしか使えない現実にいらだちつつも、なりふりかまわず振り回してみる。アゲかサゲしかない青春という名の地獄がここにある。「カオス」という意味では、この「鍋」状態は「カオス*イグザイル」を何十倍か凌駕し、観客にヲタ芸をやらせる巻き込み力は、観客に旗を振らせたロメオ・カステルッチのうながしを何十倍か凌駕する。雨合羽を着た観客が瞬間瞬間の出来事におびえ爆笑するその60分の地獄めぐりは、劇団OM-2を微かに彷彿とさせるものの、圧倒的なへたれ感はあまりに現代的であまりに日本的で「パフォーマンス」なるものの枠から激しく逸脱している。なにも記憶に残らず、ただ体の火照りだけがいつまでも消えない。この感覚こそ彼らが観客の内に刻みつけようとしているものなのだろう。これが演劇なのかダンスなのかアートなのかなんなのかは、さしあたりどうでもいいことだ。すべての価値がフラット化し、ゆえにすべてが限りなく無価値になってゆく焦土と化した世界。そこで灰に火をつけるかのような表現が若い女性作家の手によって遂行されているという事実。そこに未来を感じたい。
★バナナ学園★×F/T=フェスティバナナ!!!!
2011/10/31(月)(木村覚)
プレビュー:クリウィムバアニー『がムだムどムどム』

会期:2011/11/25~2011/11/27
シアタートラム[東京都]
フェスティバル/トーキョー関連など、今月も上演作品が盛りだくさんです。そのなかで期待したいのは、クリウィムバアニーの新作公演『がムだムどムどム』(2011年11月25日~27日@シアタートラム)。イデビアン・クルーで活躍するダンサー菅尾なぎさが振付・演出を行なうダンスグループは、女の子が女の子のフェティッシュな魅力を見出し、採集した女の子性をダンス作品として上演するといったスタイルで、これまでも話題を集めてきた。今回は「歩き回ってみていただく、遊覧型ぱふぉーまんす!!どうじたはつで、こんぜんいったい」だそうで、会いに行けるグループアイドルが国民的人気を獲得する昨今、日本のコンテンポラリーダンスの側にいる者として彼女たちがどんな仕掛けを用意しているのか、期待して待ちたい。
2011/10/31(月)(木村覚)
ロロ『常夏』

会期:2011/10/28~2011/11/05
シアターグリーン BOX in BOX THEATER[東京都]
80年代的なものがところどころで参照されながら、恋愛というか恋愛のドキドキ感へとひたすら向かっていく。そんな相変わらずのロロの新作は、さすがにその純情なユートピアを目指すばかりでは虚しいということか、ところどころに女子のエロいシーンだの男子のカワイコぶりっこのシーンだのがちりばめられ、お話以上に、濃密な部分を適度に避けつつ(その適度さを『週プレ』的と言ってみようか)、若さ溢れるエロティシズムを振りまく役者たちが目立った上演だった。役者たちの(とくに女優陣の)ルックス偏差値が非常に高いことは、良くも悪くも、脚本の元気なさをごまかしてしまう。バナナ学園純情乙女組に似て青春の地獄が描かれているのは間違いない。だが、若い脚本家の三浦直之は、謳歌しなかったはずの80年代的恋愛観をかせきさいだぁレヴェルで(つまり真剣に)信じている気がするのだけれど、だとすると、その思いを誰に向けて放り投げているのかがいまイチよくわからないのだ。アラフォー心をくすぐりたい? いや、そんなはずはない。そんなふうには思いたくない。だから「80年代」はロロの本質ではないとさえ言いたくなる。そうではなくて、〈不可能な恋愛〉を相手への思いだけで突破するという無茶に感動してしまうところこそロロの真骨頂で、それが見たくて、ただそれだけで、観客(少なくともぼく)は足を運ぶのだ。本作でもエビと女の子、ロボットと女の子などの〈不可能な恋愛〉は描かれていた。しかし〈不可能性〉へと問いは深まらなかった。しかし、そこにこそロロの劇的瞬間はあるのではないか、なんて思わずにはいられない。
2011/10/30(日)(木村覚)
岡崎藝術座『レッドと黒の膨張する半球体』

会期:2011/10/28~2011/11/06
にしすがも創造舎 体育館[東京都]
本作はいわば「孤独で恐ろしい肖像画」だった。登場人物による一人称の告白的な語りがそう思わせるだけではない。役者はほぼつねに正面を向き、移動の際にまでその正面(背面)性にこだわる。そんなところにも肖像画的性格は感じられる。しかもこの肖像画はひどく歪んでいる。二人の男が冒頭に現われると、鼻くそをほじりながらにやにやと笑い、屁をこき、尻に触れ匂いを嗅ぐ。その後に登場するもう1人は、観客に背を向け狂ったように全身を激しく揺さぶり、女とともに四つん這い姿になると、尻の穴を観客に向ける。醜悪な身振りに人物のイメージが「歪む」。皮の剥がされた牛が舞台の奥に吊るされているのも手伝い、その歪みはフランシス・ベーコンの絵画を彷彿とさせる。だからといって、そこにベーコンの絵画のような運動感はない。動きは記号的で、ゆえにけっしてダンスになど変貌したりしない。神里雄大の作品はあくまでも演劇である。醜悪な身振りには理由(物語)がある。ここは2032年の日本。震災と原発事故の影響で、20年前から多くの日本人が海外へ移住する一方、居残った者たちはこの醜悪な身振りが習性となった「移民」との共生を余儀なくされている。二人の男は移民の親子。子どもの母は日本人。異文化間に生じる他者への違和感が「歪み」の正体だった。震災以後の日本をこれほど悲惨なイメージで描いた例を、ぼくはほかに知らない。子どもが一人取り残されるシーンに続き、ラストシーンで唐突に現われた1人の女が水を飲んだせいで妊娠できなくなったと告白することで、最後に舞台の焦点は「子ども」へと絞られていった。移民とのあいだに産まれた子どもと産まれない子ども。神里雄大の想像力が描く未来の日本は絶望的で、笑うしかないほどに笑えない。本作は、受け入れがたいほどにリアルな未来の日本人の肖像画である。
牛丼 鷲尾(レッドと黒の膨張する半球体チラ見せ動画)
2011/10/28(金)(木村覚)


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