artscapeレビュー

パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー

金魚(鈴木ユキオ)『揮発性身体論「EVANESCERE」/「密かな儀式の目撃者」』

会期:2012/02/03~2012/02/05

シアタートラム[東京都]

鈴木ユキオは真面目な作家だ。真面目すぎるのではと疑問を抱くこともこれまであった。しかし、杞憂だったのかもしれないと本作を見て思った。彼の真面目さの向かう先が本作で明らかになった。
 本作のタイトルに用いられている「揮発性身体論」とは、筆者が聞き手となったアフタートークでの鈴木の発言によれば、ものが常温で蒸発するイメージを指しているという。2007年の『沈黙とはかりあえるほどに』の時点でつくりだそうとしていた〈強い身体〉〈過剰な身体〉は、見る者に過度にエモーショナルな(言い換えれば「熱い」)印象を与えるところがあった。その点を反省して鈴木が発案したのは「常温」で「蒸発」する「揮発性」の身体というコンセプトだった。「常温」と聞くと、熱すぎず冷たすぎず、ゆえになにも起きない、なんでもない、だからつまらないのでは、といったネガティヴな連想が起こるかもしれない。なるほど本作においても記号として掴みにくいダンサーたちの動きが「アンビエント・ミュージック」に似た「眠さ」を感じさせたことは事実だ。けれども集中して見れば、ダンサーたちの「常温」(いわばゼロ)の身体が、プラス極の力(ある力)とマイナス極の力(ある力に拮抗する別の力)の合計によって成り立っていることに、観客は気づいたはず。常に身体に諸力の拮抗が起きていて、そこにズレが生まれると、そのズレが運動=ダンスとなる。スリルをはらんだ緊張をエモーショナルな外見抜きで呈示すること。「揮発性身体論」とはさしあたり、そうした純粋に運動であることを目指すダンス論と言えるだろう。
 そう、鈴木が求めるのは純粋にダンス的なものである。排除すべきは非ダンス的なもの、例えばそれはエモーショナルな、あるいは芝居がかった、あるいは単に記号的な動作だろう。ダンスをダンスに返す、一種の還元主義的なモダニズムが鈴木の真面目さの真髄なのだ。
 とはいえ、鈴木を単なるモダニストとカテゴライズするのは危険だ。鈴木が志向するのはモダニズムというより純粋にダンス的なもののはずだから。身体の拮抗を持続すること、言い換えれば、身体が狂気の状態であり続けること。前半のソロ作品(「「EVANESCERE」」)で強く感じられたその方向が、後半の女性たちによる作品(「密かな儀式の目撃者」)になるとまだ曖昧になるところがあり、もっと完成度をあげるべきではと思わされた。しかし、壺中天とも大橋可也&ダンサーズとも異質な、グループでありながらダンサー各自の存在感の強さを求める意図はよく伝わったし、すぐエモーショナルなものを表わそうとしてしまうモダンダンスのダンサーではなく、また舞踏の踊り手でもなく、バレエのスキルが浸透している(ゆえに垂直性がしっかりある)ダンサーの身体で自分の理想を実現したいという独自の狙いや、そこで生み出そうとする質の高さも感じられた。鈴木のソロで堪能できるズレのダイナミズムが「振り付け」というレディ・メイド(理念的には誰もがやってみることのできる動作)においても温存されていること、それが鈴木の出演しないグループ作品での目標であるならば、険しいかもしれないが登ってみて欲しい山だと強く思わされた。

鈴木ユキオ新作「揮発性身体論」 Yukio Suzuki "Volatile body"

2012/02/04(土)(木村覚)

プレビュー:鈴木ユキオ『揮発性身体論』、快快『アントン、猫、クリ』

2月は初旬に、先月も紹介した鈴木ユキオの『揮発性身体論』(2012年2月3日~5日@シアタートラム)があります。ぼくは2月4日のアフタートークのゲストに呼ばれました。せっかくの機会なので鈴木の考えるダンス論をじっくり聞いてみたいと思っています。お見過ごしなく。中旬には、快快の『アントン、猫、クリ』(2012年2月16日~20日@nitehi works)が待っています。再演(再々演)とはいえ、彼らの1年半ぶりの本公演。昨年末の忘年会イベントで、本作がごく一部でしたが上演されました。これまでの上演とはかなり異なるテイストを感じさせるだけではなく、相当ハイクオリティーな舞台になる予感たっぷりでした。捩子ぴじんが出演者としてラインアップされていることでも注目されていますが、役者が発した言葉をさらに身体によってどう舞台に具現化するのか、そこに快快らしいはっとするようなアイディアが展開されることでしょう。快快はただのパーティ・ピープルじゃない、というところをぜひ世間に見せつけて欲しいものです。

鈴木ユキオ新作「揮発性身体論」 Yukio Suzuki "Volatile body"

faifai「アントン、猫、クリ」ダイジェスト "Anton, the cat, Kuri"

2012/01/31(火)(木村覚)

パパ・タラフマラ「SHIP IN A VIEW」

会期:2012/01/27~2012/01/29

THEATRE1010[東京都]

北千住にて、パパ・タラフマラの公演「SHIP IN A VIEW」を見る。駅前では、解散するということで、解散反対のポスターを持った人もいた。ほとんど予備知識がないまま鑑賞を始めたのだが、意味のわかる言葉を初めて聞くのは、開演しておよそ30分後である。かといって、海辺の街で具体的な物語がドライブするわけではなく、激しい身体運動と前衛音楽による、適度な抽象表現が観衆の記憶を刺激し、引喩の場を生む。集団による、異なる時間が同時存在するようなポリフォニー的なコレオグラフィーも迫力があった。最初から最後まで、一瞬も緊張が途切れることがない舞台である。解散ということで刊行された『ロング・グッドバイ』(青弓社)を読むと、その背景のひとつとして、日本における芸術活動支援の推移と問題にも触れられており、興味深い。また改めてアートとのコラボレーションが多いことがわかる。ヤノベケンジ、会田誠、インゴ・ギュンターなど。なるほど、以前、彼らのにぎやかな「パンク・ドンキホーテ」を見たときは、舞台美術がトラフだった。家型がどんどん崩れ、解体し、パズルのように変形し、最後は妻面も逆さになるという舞台である。

2012/01/28(土)(五十嵐太郎)

鈴木昭男×宮北裕美×鈴木孝平「新春!こころのかくれんぼう」(コレクション展 第1期 関連イベント)

会期:2012/01/15

京都市美術館[京都府]

宮北裕美の個展に行った翌日だが、コレクション展 第1期「京都にさぐる 美術の『こころ』」を開催中の京都市美術館でも宮北と鈴木昭男、そして映像作家の鈴木孝平によるライブパフォーマンスが行なわれるというので見に行った。美術館の敷地内をめぐるというツアー形式。らせん階段のある一階ホールに観客が集まり、赤いリンゴ(レプリカ)を手に持った宮北が登場して静かにパフォーマンスが始まったのだが、しばらくすると彼女の姿は消え、ホールに設置された巨大スクリーンに別の場所で踊っている宮北が映し出された。そこに階段の上から鈴木昭男が現われて、過去の展覧会カタログを載せた台車とハタキをつかったパフォーマンスや創作楽器アナラポスの演奏などが行なわれ、その後、一般鑑賞者のいる展示室を通り抜けて、美術館の外、別棟のレクチャールームへと移動するという流れ。宮北と鈴木昭男の真剣な(?)鬼ごっこのような掛け合いを遠巻きに見ながら、観客も二人にぞろぞろとついて行くことになるのだが、面白かったのは観客のなかに小さな子どもがいて、最後には出演アーティストよりも注目を集めていたこと。レクチャールームに集まった人々が着席し、静かに会場の様子を見守るなかで「ねえ、なんで電気消えたの?」「ねえ、なんで寝てるの?」というかわいらしい声が立て続けに聞こえてくるから、一斉に失笑が起こる。「ハーメルンの笛吹き」についてきた子どものような大人の集団が、ここで別の「笛吹き」にさらわれた、という感じだった。美術館に眠る「こころ」や「記憶」を掘り起こすというテーマがあったこのイベント。想定外のハプニングもあって予定通りとはいかなかったようだが、それでも参加者のいろいろな「記憶」を刺激するものになって、その結果は吉と出ていた気がした。


ライブ風景。宮北(左)と鈴木(右)

2012/01/15(日)(酒井千穂)

宮北裕美「S・P・A・N・K」展

会期:2012/01/14~2012/01/29

MEDIA SHOP[京都府]

ダンサー、振付家として京都を拠点に活動している宮北裕美が初めての個展を開催。黒い紙にペンやパステルで描いた小さなドローイング作品が展示されていた。昨年から少しずつ描きためていたというそれらには一枚ごとに日付も記されている。展覧会のタイトルに似合うようなイメージを選んで展示したというが、一見、落書きのように画面のあちこちに散りばめられた線や図形、ユーモラスで奇妙な生き物たちのモチーフは、よく見るとどれも丁寧に描かれていて、音や光が勢いよく弾けるイメージ、というよりも、むしろ緩やかなリズムを感じる散文のような印象のものが多かった。絵はお世辞にも上手いとは言えない(失礼)。ただ、よくある「ヘタウマ」とか、意図的にかわいらしくアレンジされたものとは違う、なんとも言いがたい魅力があった。絵のなかの登場者や言葉のような模様を眺めていると、宮北の記憶、彼女だけが「所有」している物語や光景に想像が掻き立てられていく。初日には、宮北がサウンドアーティストの鈴木昭男さんと昨年から定期的に行なっているパフォーマンスセッション《空っぽ「ぽんぽこりん♪」》のライブイベントも開催された。二人のアーティストはそれぞれの音や動作にべったりと合わせるでもなく、かといって勝手気ままに踊ったり演奏している様子でもない。つかず離れず、音とダンスという互いの一瞬の印象から閃いたものを表現しているように見える。緊張感はあるのが、迷いはない。宮北の絵にも通じる雰囲気だ。


パフォーマンスセッション《空っぽ「ぽんぽこりん♪」》の風景。宮北裕美(左)と鈴木昭男(右)

2012/01/14(土)(酒井千穂)