artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

サイ・トゥオンブリーの写真 ─変奏のリリシズム─

会期:2016/04/23~2016/08/28

DIC川村記念美術館[千葉県]

会期終了間際になって、ようやくサイ・トゥオンブリー展に足を運ぶことができた。これまでにも彼の写真作品は断片的には展示されたことがあるものの、これだけの規模の展示を見ることができるのは、まさに嬉しい驚きといえる。DIC川村記念美術館の会場には、初期から最晩年に至る写真作品100点のほか、絵画、彫刻、ドローイング、版画の代表作も並んでいた。
トゥオンブリーが写真作品を制作し始めたのは、1951年にノースカロライナ州のブラック・マウンテン・カレッジで、写真家のヘイゼル・フリーダ・ラーセンのピンホールカメラの授業を受けたことがきっかけだったようだ。つまり、絵画やドローイングとともに、ごく初期から視覚的な探求のメディアとして写真を意識しており、その後も断続的に作品制作は続けられていた。だが、それがまとまったかたちで展開されていくのは、1980年にポラロイド写真を使い始めてからである。今回の展示の中心になっているのは、ポラロイドで撮影したプリントを、複写機で2.5倍ほどの大きさに拡大し、さらにそれらをフレッソン・プリントやカラー・ドライプリントで、ややざらついた手触り感のある画面に仕上げた写真群だ。花、野菜、自作の絵画や彫刻などのクローズアップのほか、墓地や海辺の光景なども被写体になっている。どうやら、何を写すかよりも、そこにある事物が、写真、複写、プリントなどの操作を経ることで、どのように変容していくかに強い関心を抱いていたようだ。ここにも、トゥオンブリーの絵画やドローイング作品とも相通じる、「ものの流転」(things in flux)へのこだわりがあらわれている。写真をもうひとつの視覚として使いこなしていくことへの歓びが伝わってくるいい展示だった。
個人的には、以前から見たかった版画集『博物誌1 きのこ』の全作品が出品されていたのが嬉しかった。作品そのものに内在する偶発性、魔術性、多様性から見て、トゥオンブリーがきのこに強い親近感を抱いているのは間違いない。そういえば、彼の写真作品も、どことなく増殖するきのこの群れのように見えなくもない。

2016/08/06(飯沢耕太郎)

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ヨコオ・マニアリスム vol.1

会期:2016/08/06~2016/11/27

横尾忠則現代美術館[兵庫県]

横尾忠則の作品のみならず、本人が創作と記録のために保管してきた膨大な資料を預かり、調査を進めている横尾忠則現代美術館。その成果はこれまでの企画展にも反映されてきたが、より直接的にアーカイブ資料と作品の関係に踏み込んだのが本展である。キーとなるのは横尾が1960年代から書き続けてきた日記で、作品との関連がうかがえるスケッチや写真のある見開きをコピーして、作品とともに展示している。もちろん実物の日記を並べたコーナーもある。また、展示室の中にアーカイブ資料の調査現場を移設して、美術館業務の一端を公開する斬新なアイデアも。ほかには、制作の副産物として生じた抽象画のようなパレット、郵便にまつわる作品、猫とモーツァルトと涅槃像をテーマにした作品、ビートルズにまつわる作品と資料も展示された。全体を通して、横尾が作品を生み出す過程や、発想の源が生々しく伝わってくるのが面白い。横尾自身も「発見の多い展覧会」と述べたほどだ。本展は末尾に「vol.1」とあるように、調査の進展に応じて今後も継続される予定。今まで本人ですら気付かなかった横尾忠則像を提示してくれる可能性があり、今後の展開が楽しみだ。

2016/08/05(金)(小吹隆文)

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ナムジュン・パイク没後10年 2020年笑っているのは誰?+?=??(前半)

会期:2016/07/17~2016/10/10

ワタリウム美術館[東京都]

ナムジュン・パイク(1932~2006)の仕事は相当に面白い。ビデオアートの創始者という肩書きでのみ語られることの多い彼だが、今回ワタリウム美術館で開催された「没後10年」の展示を見て、あらためてあらゆるヒト、モノ、コトを結びつけては変質させる、その強力な「触媒」としての可能性に着目した。
会期の前半は、現代音楽からスタートして、前衛美術作家としての志向を強めていく1950~80年代の作品を中心に展示している。この時期、パイクはジョン・ケージ、ジョージ・マチューナス、マース・カニンガム、ヨーゼフ・ボイスらとの出会いを軸に「ブラウン管がキャンバスにとってかわる」時代の新たな表現様式を模索していた。《ジョン・ケージに捧ぐ》(1973)、《ガダルカナル鎮魂歌》(1976)、《TVフィッシュ》(1975)といったビデオアート作品は、今見ても充分に刺激的、挑発的だし、「来るべき21世紀を見据えて、新たな形の分配について考えていく」というクリアーな思考が貫かれている。
映像メディアを通じて、出会いをグローバルに拡張していこうという彼の志向が頂点に達するのが、「サテライト・アート」として制作された《グッド・モーニング、ミスター・オーウェル》(1984)である。ニューヨークのテレビスタジオとパリのポンピドゥセンターで収録した番組を、放送衛星を使って同時中継するという試みが、視覚的、聴覚的なエンターテインメントとしても高度な段階に達していたことを、今回はじめて確認することができた。むろん、インターネットを使えば、いまは同じアイディアをもっと簡単に実現できるわけだが、問題はパイクほどのスケールの大きな構想力を備えたプロデューサーがいるかどうかだろう。そう考えると、やや悲観的にならざるを得ない。
世界各地で大プロジェクトを実現するとともに、ワタリウム美術館とのつながりも深まってくる1990年代以降の作品をフィーチャーした、会期後半(2016年10月15日~2017年1月29日)の展示も楽しみだ。

2016/08/05(飯沢耕太郎)

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羽永光利アーカイブ展

会期:2016/07/23~2016/08/20

AOYAMA|MEGURO[東京都]

羽永光利(1933~1999)は東京・大塚生まれ。文化学院美術科卒業後、フォトグラムやデカルコマニー作品を発表していたが、1962年からフリーランスの写真家として活動し始めた。以後、雑誌等で仕事をしながら、現代美術、舞踏、演劇などの現場に密着して取材・撮影を続けた。1981~83年には、創刊されたばかりの「フォーカス」(新潮社)の企画・取材にかかわったこともあった。
アーティストたちのエネルギーが交錯しつつ、高揚していく時代の貴重な記録として、このところ、羽永の写真は国内外で大きな注目を集めつつある。昨年の「羽永光利による前衛芸術の"現場" 1964-1973」展に続いて東京・上目黒のAOYAMA|MEGUROで開催された今回の個展では、10万カットに及ぶという遺作から約450点が展示されていた。会場は「演劇」、「舞踏」、「世相」、「前衛芸術」の4部構成で、それぞれ1960~80年代撮影の写真がアトランダムに並んでいる。ハイレッドセンターやゼロ次元のパフォーマンスのドキュメントを含む「前衛美術」のパートや、土方巽、寺山修司、唐十郎などのビッグネームの姿が見える「演劇」、「舞踏」のパートもむろん面白いのだが、むしろこれまであまり発表されたことのないという「世相」のパートに注目した。「前衛芸術」の担い手たちの活動は、突然変異的に出現してきたわけではなく、それぞれの時代状況をベースにしてかたちを取ってきたことがよくわかるからだ。逆に1960~80年代の大衆社会の成立がもたらした解放感、エネルギーの噴出こそが、「前衛芸術」の活況を支えていたともいえるだろう。写真に引きつけていえば、中平卓馬、森山大道、荒木経惟、深瀬昌久らの「ラディカル」な表現のあり方は、羽永の写真に見事に写り込んでいる「世相」のエスカレートぶりと響きあっているようにも思えるのだ。
なお、羽永のアーカイブが所蔵する写真1000枚を収録した文庫版写真集『羽永光利 一○〇〇』(編集・構成、松本弦人)の刊行が決定したという。内容と装丁とがぴったり合っているので、出来映えが楽しみだ。

2016/08/04(飯沢耕太郎)

Mitsutoshi Hanaga Archives Project:羽永光利アーカイブ展

会期:2016/07/23~2016/08/20

AOYAMA|MEGURO[東京都]

今日は東横線沿線のギャラリー3連発。どこも駅から歩いて10~15分ほどかかるので、真夏は決死の覚悟でのぞみたい。最初は中目黒から駒沢通りを10分ほど歩いた「青山|目黒」。途中ゆるい上り坂になってるが、右手の村野藤吾設計の瀟洒なビル(現在は目黒区役所として使われている)が目の保養になる。ギャラリーでは羽永光利の写真展を開催中。羽永さんは60年代の前衛芸術の現場に密着していた写真家で、ぼくも80年代前半にしばしばお会いしたが、ずんぐりむっくりの体型で脚を引きずりながらカメラを抱えて歩く姿には畏敬の念を覚えたものだ。1933年生まれというから、ネオダダの連中とほぼ同世代。その後お会いすることもなくなったが、99年に亡くなられたという。写真は60~80年代の200点を超すモノクロ(一部カラー)を、「前衛芸術」「演劇」「舞踏」「世相」に分けて展示。瀧口修造、西脇順三郎、志水楠男、針生一郎、東野芳明、中原佑介、ジャスパー・ジョーンズ、吉村益信、篠原有司男、高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之、工藤哲巳、磯崎新、蜷川幸雄、唐十郎、土方巽、麿赤児など、前衛の季節を生きた芸術家たちが活写されている。女性がきわめて少ないのは羽永さんの恥じらいゆえか。

2016/08/03(水)(村田真)