artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
三田村陽「hiroshima element」
会期:2016/07/29~2016/08/11
三田村陽は1973年、京都生まれ。1997年に大阪芸術大学写真学科を卒業後、京都造形芸術大学大学院メディアアート専攻に進み、1999年に同大学院を修了した。ここ10年余り、広島に月1度ほどのペースで通い続け、撮りためた写真を2015年12月に写真集『hiroshima element』(ブレーンセンター)にまとめた。今回のphotographers' galleryでの展示は、そのシリーズの東京でのお披露目展ということになる。
6×7判のカラーで撮影・プリントされた写真は、のびやかで屈託のないスナップショットである。三田村本人は「広島で写真のよろこびを表明する」ことに、ある種のうしろめたさを感じているようだが、実際に展示されている写真には、そのような翳りはまったく感じられない。むろん、原爆ドームや慰霊碑などは画面に映り込んでいるし、デモ隊や右翼の姿も見える。だが広島を取り巻く政治的な状況については、ことさらに言及することなく、むしろさまざまな都市的な要素に、目立たないように埋め込んでいくことがもくろまれている。その狙いはかなり成功しているのではないだろうか。
とはいえ、広島はやはり特別な都市であり、三田村の写真を見る者は否応なしに「見える街と見えない街」の二重性を意識せざるをえなくなる。そこから、どのようにして広島に特有の社会・文化の構造をあぶり出していくかが大きな課題なのだが、それはまだ緒に就いたばかりのようだ。この中間報告を踏まえて、さらなる「hiroshima element」の抽出が必要になってくるだろう。それがうまくいくかどうかは、次の発表ではっきりと見えてくるはずだ。
2016/08/03(飯沢耕太郎)
コウノジュンイチ写真展 「境界」
会期:2016/08/01~2016/08/14
ギャラリー蒼穹舎[東京都]
コウノジュンイチの写真との付き合いは長い。10年以上前に、ワークショップで彼の作品を講評・展示したことがあるし、2009年からは東京・新宿のギャラリー蒼穹舎でコンスタントに作品を発表するようになり、それらもほとんど見ている。その数もすでに10回ほどになっているという。だが、彼の写真について書こうとすると、どうもうまく言葉が紡げないように感じていた。ほとんどが旅の途上で撮影されたスナップ写真なのだが、これといった特徴をなかなか見出しにくかったからだ。だが、昨年日本国内で2004~2011年に撮影した写真をまとめて、写真集『ある日』(蒼穹舎、2015)を刊行したこともあり、少しずつスタイルが固まってきたようだ。
今回の展示作品(四切カラー、38点)は香港、マカオ、台湾、中国などで2011~12年に撮影されたもので、例によって都市の路地から路地へと彷徨いながらシャッターを切っている。旅の非日常性をなるべく出さないように配慮しているようで、逆にその「メリハリのなさ」がコウノの旅写真の特徴といえる。カメラに視線を向けている人物が1人もいないのも、かなり意識的な操作だ。つまり、なるべく自分の気配を消すように撮影しているので、写真を見るわれわれは、コウノの視線と同化してその場面にすっと入り込むことができる。さりげないようで、高度に吟味されたシークエンスの連なりといえるだろう。もうひとつ特徴的なのは、画面の暗部(影、陰)の処理の仕方で、被写体のディテールを潰すか出すかのギリギリの選択がなされている。コウノはカラープリントの自家処理にこだわり続けているが、色味の調整や明暗表現に繊細な神経を働かせているのが伝わってくる。
コウノのどちらかといえば地味な写真群は、華やかなスポットライトを浴びることはないかもしれないが、いぶし銀の輝きを放ちはじめている。日本国内の写真と海外の写真は、いまのところ別々の枠組みで発表されているが、それらがいつか融合してくることもありそうだ。
2016/08/03(飯沢耕太郎)
第32回東川町国際写真フェスティバル2016
会期:2016/07/26~2016/08/31
東川町文化ギャラリーほか[北海道]
今年も北海道東川町で「東川町国際写真フェスティバル」(通称、東川町フォトフェスタ)が開催された。もう32回目ということで、長年にわたって企画を継続してきた行政や町の方々の地道な努力に敬意を表したい。このところの充実した展示を見ると、その成果は着実に実を結びつつあるのではないかと思う。
東川町文化ギャラリーで作品展(7月30日~8月31日)が開催された第32回東川賞の受賞者たちの顔ぶれは以下の通りである。海外作家賞:オスカー・ムニョス(コロンビア)、国内作家賞:広川泰士、新人作家賞:池田葉子、特別作家賞:マイケル・ケンナ(イギリス→アメリカ)、飛騨野数右衛門賞:池本喜巳。毎回、東川賞のラインナップを見ていて思うのは、審査員(浅葉克己、上野修、笠原美智子、楠本亜紀、野町和嘉、平野啓一郎、光田由里、山崎博)が、広く目配りをしつつ、新たな角度から写真の世界を見直していこうとする人選をしていることだ。今回の受賞者でいえば、オスカー・ムニョスや池田葉子がそれにあたる。写真以外にも版画、ドローイング、映像作品、彫刻など多様な媒体で仕事をするアーティストであるムニョスの、画像や文字が水に溶け出したり、手のひらに溜まった水に自分の顔が映り込んだりする作品は、ある意味、東洋的な無常観を表現しているようでもある。池田葉子の三次元空間を、ボケや光の滲みのような写真的なフィルターを介して二次元平面に置き換えていく、多彩で軽やかな手つきもとても印象的だった。彼らのような、あまり日本では評価されてこなかった写真作家にスポットを当てていくことに、東川賞の大きな意義があると思う。
受賞作家作品展以外にも、さまざまな催しが行なわれた。そのなかでは、昨年に続いて廃屋になった商店の建物で開催された「フォトふれNEXT PROJECT」展(南町一丁目ギャラリー)が面白かった。「フォトふれ」(フォトフェスタふれんず)というのは、過去のフォトフェスタにボランティアとして参加したメンバーたちのことで、今年の展示にはフジモリメグミ、伯耆田卓助、堀井ヒロツグ、正岡絵里子が参加している。このうち正岡絵里子は、やはり今年のフォトフェスタの企画である「赤レンガ公開ポートフォリオオーディション」にも参加し、グランプリを受賞した。10年間かけて、生と死のイメージを共存させた厚みのある作品世界を作り上げた正岡をはじめとして、それぞれ「NEXT」が大いに期待できそうだ。同会場では、やはり「フォトふれ」の一人で、東川町にアーティスト・イン・レジデンスで参加した石川竜一(2015年に第40回木村伊兵衛写真賞を受賞)も作品を出品していて、クオリティの高い展示空間になっていた。
2016/07/30(土)(飯沢耕太郎)
あの時みんな熱かった!アンフォルメルと日本の美術
会期:2016/07/29~2016/09/11
京都国立近代美術館[京都府]
1956(昭和31)年に来日した美術評論家ミシェル・タピエが伝え、日本で一大ブームを巻き起こした「アンフォルメル」(未定形なるもの)。その軌跡を、油彩画、日本画、陶芸、漆芸、書など約100作品で検証したのが本展だ。当時のブームはすさまじく、ジャンルや世代の枠を超えて多くの作家がアンフォルメルに傾倒した。本展ではその理由を、日本人の感性とアンフォルメルの親和性(例えばアクションペインティングと書、物質感と陶芸など)、戦中から占領下に海外の情報が閉ざされてきた反動などに求めている。なるほど日本人とアンフォルメルの相性は良かったようだが、ブーム後期になると作品はドロドロとした土俗性を帯び、タピエが唱えた国際性とは別の方向へと進化していく。このあたりは、舶来品を独自の味付けへとアレンジする日本人の特性が感じられて興味深かった。現代はあらゆる分野で細分化が進み、ジャンルや世代を超えたブームが起こりにくいと言われる。本展を見て、アンフォルメルに燃えた当時の人々を少し羨ましく思った。
2016/07/28(木)(小吹隆文)
馬場磨貴「We are here」
会期:2016/07/23~2016/08/07
OGU MAG[東京都]
1996年に「ふたり」で第33回太陽賞の準太陽賞を受賞し、朝日新聞社写真部勤務やフランス・アルル留学の経験もある馬場磨貴(うまばまき)は、現在フリーランスの「マタニティーフォトグラファー」として活動している。妊婦をヌードで撮影し始めたのは2010年からだが、東京・東尾久のギャラリーOGU MAGUで開催された個展「We are here」を見ると、撮り方、見せ方が大きく変化してきたことがわかる。
当初は撮影した妊婦の画像を、街の日常的な光景にはめ込んでいた。駐車場や横断歩道や歩道橋にヌードを配する写真群もかなり面白い。だが、それらはまだ、画面に異質な要素を対置する異化効果のレベルに留まっていた。ところが、東日本大震災をひとつの契機として、作品の発想がまったく変わってくる。妊婦は怪獣並みに巨大化し、風景に覆いかぶさるようにコラージュされるようになる。しかも、彼女たちの背景になっているのは、ビル街や東京ドームだけではなく、福島原発事故現場近くの立ち入り禁止地域のゲート周辺、福井県の高浜原子力発電所、広島の原爆ドームなどである。
馬場の意図は明らかだろう。妊婦という生命力の根源のような存在を「社会的風景」に組み込むことで、単純なヴィジュアル・ショックを超えた政治性、批評性の強いメッセージを発するということだ。その狙いはとてもうまくいっていると思う。堂々とした妊婦たちの存在感が、風景に潜む危機的な状況を見事にあぶり出している。残念なことに、会場が狭いのと作品数がやや少ないので、このシリーズの面白さを充分に堪能するまでには至らなかった。どこか、もう一回り大きな会場(野外でもいいかもしれない)での展示を、ぜひ考えていただきたい。なお、赤々舎から同名のハードカバー写真集(表紙のデザインは3種類)が刊行されている。
2016/07/23(土)(飯沢耕太郎)