artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
プレビュー:あいちトリエンナーレ2016 虹のキャラヴァンサライ
会期:2016/08/11~2016/10/23
愛知芸術センター、名古屋市美術館、名古屋市内のまちなか、豊橋市内のまちなか、岡崎市内のまちなか[愛知県]
3年に1度、愛知県で開催される現代アートの祭典。3回目の今回は芸術監督に港千尋を迎え、「虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅」をテーマに、国内外100組以上のアーティストによる国際展、映像プログラム、パフォーミングアーツなどが繰り広げられる。またプロデュースオペラ「魔笛」の公演も行なわれる。テーマの詳細は公式サイトで調べてもらうとして、今回の大きな特徴は、豊橋市が会場に加わりますます規模が拡大したこと、キュレーターにブラジル拠点のダニエラ・カストロとトルコ拠点のゼイネップ・オズらを招聘し、参加アーティストの出身国・地域が増えたことなど、拡大と多様化を推し進めたことが挙げられる。この巨大プロジェクトを、港を中心としたチームがどのようにハンドリングしていくかに注目したい。個人的には、豊橋市が会場に加わることを歓迎しつつ、酷暑の時期に取材量が増えることにビビっているというのが正直なところ。前回は1泊2日で名古屋市と岡崎市を巡ったが、今回は1日1市ずつ3回に分けて取材しようかなと思っている。
2016/07/20(水)(小吹隆文)
吉増剛造「瞬間のエクリチュール」
会期:2016/07/01~2016/08/07
NADiff Gallery[東京都]
吉増剛造の写真表現がもっとも精彩を放つのは、むしろポラロイド写真かもしれない。『アサヒグラフ』に2000年初頭から37回にわたって連載された「瞬間のエクリチュール─吉増剛造ポラロイド日記」は、彼が日記のように撮影したポラロイド写真の表面および裏面に、白、銀、金などの細いペンでびっしりと言葉を書き連ねた連作だった。この「詩作品としてのポラロイド写真」には、ほとんど推敲もなしに、即興的な「生の言葉」が記されている。その自動記述を思わせるスタイルは、画像をほぼコントロールすることができないポラロイド写真に似つかわしいものといえるだろう。元来、吉増の写真は多重露光などによって、何ものかを呼び込むことをもくろんでおり、この「瞬間のエクリチュール」はその志向をほぼ極限近くまで追求した作品群といえる。
この時期、吉増はアリゾナ、フランス各地、石狩、花巻、奄美大島、沖縄などに移動を重ねていた。その旅の途上の、浮遊感を伴う身体と精神のありようが、ポラロイドの画像にも文章にも浸透している。特徴的なのは、ネイティブ・アメリカンのホピ族が儀式に使うカチーナドールが頻繁に登場すること。このカチーナドールは、まさに偶然を必然に変換する護符、彼方へと差し出された依り代といえるのではないだろうか。
今回の展示は、1999~2000年に制作されたポラロイド作品74点を、ほぼそのままの質感で再現して箱におさめた写真集『瞬間のエクリチュール』(edition.nord)の出版記念展である。写真集のデザインも担当した秋山伸が会場を構成している。なお写真集は通常版(初版300部)のほかに、直筆カリグラフィー(透明板)付きの特別版(限定30部)も刊行された。
2016/07/18(月)(飯沢耕太郎)
東松照明 ─長崎─展
会期:2016/05/28~2016/07/18
広島市現代美術館[広島県]
「長崎」の時間の重層的な皮膚をどう写し取ることができるのか。1961年に始まった長崎の撮影は、東松照明のライフワークとして約50年にわたり継続されることで、「マンダラ」としての濃密な織物を形成してきた。そこでは時間は単線的に流れるのではなく、せき止められ、幾重にも折り重なり、分岐と再接続を繰り返しながら、イメージが連鎖的に共鳴し合う水平方向と、複数の過去の記憶へ遡行する垂直方向へ伸び広がっていく。約350点の写真が展示された本展は、「長崎」の時間を編み直す場でもある。
冒頭に提示された、被爆遺物の時計が象徴的に示すように、「11時02分」で静止した時間。固定・凍結された瞬間としての原爆と写真の同質性。そこからどう逸脱・逃走するかが、以降の写真で果断に試みられていく。60年代前半にモノクロームで撮影された、被爆16年後を生きる被爆者たち。後光のように頭上から光が差し込む聖人的崇高さは、破壊された天使やキリストの石像とリンクし、キリシタン迫害の歴史の想起の呼び水となる。また、カラーへの移行を経て、被爆者たちのその後を追った90年代の写真が隣接されることで、二世代、三世代にわたる生の連続性が日常の中に示され、家族史の記録ともなっている。ケロイドの痕を捉えた60年代のモノクロポートレイト2枚を画中画として配置した「山口仙二さん」の肖像には、背後に堆積した千羽鶴とともに、撮影する東松自身の影が写し込まれ、ひとつの画面内に複数の時間が重層的に折り畳まれている。
長崎の町歩きで撮影された膨大な写真群は、遊歩者としての東松の視線を追体験させるとともに、カメラを構えた「影」を写し込むことで、「長崎」に自身を差し入れる身振りが交差する。坂の多い町、海原のように眼下に広がる瓦屋根。無人売店とうろつく犬。漁業と造船業の町。キッチュな祭のドラゴンが練り歩く町。石畳を鮮やかに照らし出す、ステンドグラスの透過光。中国やポルトガル、オランダなど多文化の流入と接触の中で変容してきた町。塗装が剥げ落ち、フジツボの付着した船体やトタン板の接写は、鮮やかな色彩のドリップが抽象絵画を擬態するが、ただれた皮膚のイメージの暗喩として、突如、意識の中に回帰する。
2000年代に再撮影された被爆遺物を経て、展示の終盤に現われる諫早湾の干潟の穏やかな光景は、すぐれて象徴的である。川に運ばれた土が堆積し、波に浸食され、淡水と海水、水と土、異質なものどうしが混じり合う境界領域。波の跡が繊細な起伏の皺として刻まれた柔らかい泥の皮膚は、外界との界面=インターフェイスとしての皮膚であり、乾燥と湿潤、記憶と忘却を繰り返すその表面の複雑な襞の下には、見えない時間の層が堆積しているのだ。
2016/07/17(日)(高嶋慈)
大原治雄 写真展 ~ブラジルの光、家族の風景~
会期:2016/06/18~2016/07/18
伊丹市立美術館[兵庫県]
ブラジルで高く評価されている写真家、大原治雄(1909~1999)。彼は17歳の時(1927)に神戸港からブラジルに移住し、南部パラナ州ロンドリーナでコーヒー農園を経営しながら、アマチュアカメラマンとして活動した。作品の多くは家族や親戚、農作業、身近な風景を撮ったもので、気取りのなさ、素朴さ、率直さが大きな特徴だ。第三者に見せることをあまり意識していなかったのではないか。またそれらは、20世紀前半の日系移民の生活や、開拓地の様子がわかる一級の民俗資料ともいえる。大原は1950年代になると、身の回りの道具をモチーフにした抽象的な作品も手掛けるようになった。しかし、そうした作品はほかの写真家も手掛けており、彼だけの表現とは言えない。やはりこの人は家族や身近な風景を撮った作品が素晴らしい。その意味で本展は、アマチュアリズムの長所が凝縮した展覧会と言えるだろう。
2016/07/17(日)(小吹隆文)
宇山聡範「Ver.」
会期:2016/07/05~2016/07/16
写真家の宇山聡範はこれまで、ビジネスホテルの室内を細密に写し取った「after a stay」、ビジネスホテルの窓から見える風景を四角い画中画のように切り取った「through a window」といったシリーズにおいて、普段とりたてて凝視されることのない光景を、限定された視点から写真的視覚として置換する試みを行なってきた。「after a stay」では、カーテンの襞やシーツの皺、壁紙の模様や凸凹といった表面の微細な起伏が注視されるとともに、室内空間が幾何学的な構図で切り取られ、写真によって平面性へと還元される。また、「through a window」では、室内の窓から外の風景を切り取るというシンプルな行為のうちに、「写真」への自己言及が何重にも胚胎する。暗い室内に開いた明るい窓によって切り取られた光景は、写真の起源のひとつとしての「カメラ・オブスキュラ」やフレームという視覚的制度への言及であるとともに、手前の桟やガラスに貼られたシールが黒い影として写されることで、レイヤー構造や空間的奥行きの圧縮としての写真が示される。
今回の個展「Ver.」では、火山の噴火などの地殻変動が生み出した地形が撮影されている。室内の光景から、窓越しの風景へと向かった眼差しが、「窓」の外へ出て風景と直接対峙するという導線を描くこともできるだろう。写されているのは、硫黄の噴出の跡が残る荒々しい岩肌や火山湖などだ。だが写真家の視線は、全景を視野に収めて視覚的充足を満たすのでもなく、岩肌のディティールに寄るのでもない。風景に対峙してはいるが、パノラマとして把握できる一望的な風景と、「モノ」として見ようとする視線のあいだで不安定に揺れ動いている(「空」が一切写されていないことも、全体像の把握を妨げる)。
宇山によれば、これらの撮影場所は、「地獄谷」といった架空のイメージや物語を貼り付けて眼差しを向けられてきた。だがそうした物語性は、風景への「解釈(version)」に過ぎず、キャプションの補足がなければ写真に写ることはない。ピントの操作による遠近感の撹乱、距離感の圧縮、平面性への還元・抽象化。物語性の剥奪は、写真的視覚への変換(convert)であり、それは同一性ではなく、つねに異なる場所を占めるもの(variation)として回帰する。
2016/07/16(土)(高嶋慈)