artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
張照堂写真展 歳月の旅
会期:2015/09/01~2015/10/30
台北駐日経済文化代表処 台湾文化センター[東京都]
台湾の写真家、張照堂(ジャン・ジャオタン)の写真作品を見る機会が増えてきたのは嬉しいことだ。2014年のzen foto galleryとPlaceMでの個展に続いて、今回は東京・虎ノ門の台湾文化センターで、1970~90年代の代表作を展示する「歳月の旅」展が開催された。2013年9月に台北市立美術館で開催された回顧展「歳月/昭堂」は、「台湾の写真芸術史上においても稀な事件」とされるような大きな反響を巻き起こし、彼の写真に対する評価の高まりは、台湾だけでなく、日本を含むアジア全体に及ぼうとしている。1960年代にそれまでのサロン調の写真一辺倒だった台湾の写真家たちを荒々しく挑発する、身体性の強い「実存主義的な」作品群でデビューした張の存在は、日本でいえば東松照明、奈良原一高、川田喜久治、細江英公ら、VIVOの写真家たち、あるいは中平卓馬、森山大道らの仕事と比較できるのではないだろうか。
さて、今回の写真展を見てあらためて感じたのは、張が「旅」の途上で見た台湾各地(1点だけ中国・甘粛の写真が含まれている)の光景から滲み出てくる孤独感、寂寥感の深さである。張はこの時期には台湾のテレビ局に勤め、ドキュメンタリー番組の制作などで忙しい時期を過ごしていた。これらの写真は、その合間に「アマチュア写真家のように」撮りためられたものだ。だが、そのことが、逆に風景の片隅に寄る辺なくたたずむ人たちに向けられた彼の視線を研ぎ澄まし、純化していったのではないだろうか。違和感や距離感を基調としながら、哀惜を込めた眼差しを人々に注ぐ張の写真は、国籍を超えて見る者の胸を抉る強度に達している。今回は23点という、数的にはやや物足りない展示だったので、ぜひ彼の仕事の全体像を概観できる回顧展を実現してほしいものだ。
2015/09/04(金)(飯沢耕太郎)
ヴォルフガング・ティルマンス Your Body is Yours
会期:2015/07/25~2015/09/23
国立国際美術館[大阪府]
大阪の国立国際美術館へ。ティルマンス展は、部屋ごとにテーマを設定し、さまざまなサイズの写真を分散的に並べ(しかもピン、クリップ、テープなどを使う、ラフな設置の方法)、それがポツ窓のように見えるので建築空間の中にいるような感じだった。彼は、あらゆるイメージとその表層を狩猟するが、今回は日本の時事問題を扱う台置きの展示もあって、意外な側面もうかがえる。
2015/09/02(水)(五十嵐太郎)
増山たづ子「ミナシマイのあとに」
会期:2015/08/26~2015/09/27
2013年10月~14年7月にIZU PHOTO MUSEUMで開催された増山たづ子の「すべて写真になる日まで」展は、記憶に残る展覧会だった。巨大ダム建設で水底に沈むことになった岐阜県徳山村を、1977年から「ピッカリコニカ」で撮り始めた増山は、村が「ミナシマイ(終わり)」になった87年以降も撮影を続け、10万カット、500冊以上のアルバムを残した。IZU PHOTO MUSEUMでの展示は、2006年に亡くなった増山の遺品を管理する「増山たづ子の遺志を継ぐ館」の協力でおこなわれたもので、写真による記録の原点を提示するものとなった。
今回のphotographers’ galleryでの「ミナシマイのあとに」展は、その続編というべきもので、サービスサイズ~キャビネ判のプリントと増山の言葉がセットになって並んでいた。「イチコベエのおばあさん」を撮影した写真(1978年)に付された「『写真は後まで残るで』と身なりをととのえて正面を向いて下さった」といったキャプションを読むと、撮り手と被写体とが顔なじみであること、自分の生まれ育った村の地勢を熟知していることの強みが、写真にいきいきとした魅力を付与していることがよくわかる。
だが、今回の展示でより強い感銘を受けたのは、隣室のKULA PHOTO GALLERYで上映されていた映像作品の方だった。増山自身が録音した村民の歌をバックに、「ミナシマイのあと」に撮影された写真があらわれては消えていくスライドショーである。家々が取り壊され、家財道具が燃やされていく映像を見ながら、しきりに思い出していたのは、東日本大震災直後の被災地の光景だった。むろん開発と自然災害の違いはあるのだが、その眺めがあまりにも似通っていることに胸を突かれたのだ。増山の写真は決して過去の遺産ではない。それは震災以降、より生々しさを増しているのではないだろうか。
2015/09/01(火)(飯沢耕太郎)
村上仁一「雲隠れ温泉行」
会期:2015/08/31~2015/09/17
ガーディアン・ガーデン[東京都]
村上仁一は2001年に第16回写真「ひとつぼ展」でグランプリを受賞した。その後、日本各地の鄙びた温泉場を撮影し続け、2007年に写真集『雲隠れ温泉行き』(青幻舎)を刊行する。2015年には、その改訂決定版というべ『雲隠れ温泉行』がroshin booksから出版された。本展はそれにあわせて、「ひとつぼ展」の入賞者の作品をガーディアン・ガーデンであらためて展示する「The Second Stage」の枠で開催された展覧会である。
村上の写真を見る者は、1960~70年代に撮影された光景と思うのではないだろうか。北井一夫の『村へ』(1980年)や橋本照嵩の『瞽女』(1974年)、あるいはつげ義春の温泉宿をテーマにした漫画などを思い出す人も多いだろう。だが、そのアレ・ブレ・ボケのたたずまい、いかにも昭和っぽい被写体の選び方、切りとり方は、村上の編集力による所が大きいのではないかと思う。それもそのはずで、村上はカメラ雑誌の現役の編集者であり、日本の写真家たちが積み上げてきた写真の選択、構成の手法をしっかりと学び取ることができる立場にいる。それは今回の展示にもよくあらわれていて、B全の大判デジタルプリントと、より小さいサイズの手焼きのプリントを巧みに組み合わせて会場を構成していた。コンタクトプリントを拡大して壁に貼ったり、これまで自分が編集してきた書籍や写真集の校正刷りの束をテーブルに置いたりする工夫もうまくいっていたと思う。
とはいえ、このシリーズには単純な70年代写真へのオマージュに留まらない魅力がある。村上は「ひとつぼ展」でグランプリ受賞後、「諸々のことがうまくいかず」実際に各地の温泉場に「雲隠れ」していた時期があったようだ。誰でも身に覚えのある、不安や鬱屈の気分は、このような写真の形でしか表現できないのではないのかという説得力があるのだ。編集者と写真家の二刀流ということでは、桑原甲子雄のことが思い浮かぶ。名作『東京昭和十一年』(1974年)を発表後も、編集やエッセイの仕事を続けながら淡々と街のスナップを撮り続けた桑原に倣って、村上も写真を撮りため、発表していってほしい。
2015/08/31(月)(飯沢耕太郎)
池本喜巳 写真展─幻影床屋考─
会期:2015/08/20~2015/09/20
Bloom Gallery[大阪府]
鳥取市を拠点に活動し、山陰の消えゆく風景や人物を写真に収めてきた池本喜巳。彼は1983年より個人商店をテーマにしたシリーズ「近世店屋考」を制作しており、本展の作品はそれらのうち床屋をまとめたものである。驚くべきは各店の個性的なたたずまいだ。ある店は、外観は古民家で、内部に土間を改装した店舗があり、順番を待つ客は畳の間で火鉢に当たりながら談笑している。またある店は、アンティーク家具のような立派な椅子を使い続けており、別の店では極度のタコ足配線がクモの巣のように垂れさがっている。筆者は幼少時に関西のそこそこ田舎で育ったが、それでもこんな床屋は見たことがなかった。特に古民家系の店舗は興味深く、文化人類学的にも貴重な資料ではなかろうか。撮影時から30年前後が経つ今、こられの床屋のうちどれだけが現存しているのだろう。
2015/08/27(木)(小吹隆文)