artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
藤原敦 写真展 南国頌─幻影への旅─ 同時開催:蝶の見た夢
会期:2014/06/28~2014/08/03
GALLERY TANTOTEMPO[兵庫県]
2008年に写真雑誌『ASPHALT』を創刊し、若手写真家に発表の機会を与えてきた藤原敦。その仕事を終えた彼が、「南国頌」と「蝶の見た夢」という2つのシリーズを携えて、神戸で個展を行なった。「南国頌」は、教師で歌人だった祖父の痕跡をたどって、鹿児島や沖縄を旅した際に撮影したもの。展覧会タイトルは祖父の歌集からの引用だ。一方「蝶の見た夢」は、宮古島出身のひとりの女性の、地元と都会での生活を写し出している。2つの作品に共通するのは、モンスーン気候的とでもいうべきムッとした湿度を帯びていることだ。精神の奥底に沈殿するドロッとした部分に触れられた気がして、不快さを伴いつつも目を反らすことができない。平成の日本が失った情念と重さを思い出させてくれる個展であった。
2014/07/05(土)(小吹隆文)
林典子『キルギスの誘拐結婚』
発行所:日経ナショナルジオグラフィック社
発行日:2014年06月16日
東日本大震災以降、フォトジャーナリズムの世界にも新しい風が吹きはじめているように思う。スイスの出版社から『RESET─BEYOND FUKUSHIMA 福島の彼方に』(Lars Müller Publishers)を刊行した小原一真、チェルノブイリ、北朝鮮、タイ、チュニジアなどを含む2011年の行動記録を写真文集『2011』(VNC)にまとめた菱田雄介らとともに、林典子もその担い手の一人である。彼らに共通しているのは、海外メディアのネットワークを幅広く活用していく行動力に加えて、ある出来事のクライマックスを短時間で撮影して済ませるのではなく、「その後」を粘り強く、何度も現地を訪れてフォローしていることだろう。そのことによって、一つの解釈におさまることのない、柔らかな広がりを持つ視点が確保されているのではないかと思う。
林はアメリカの大学に留学中の2006年に、西アフリカのガンビアで、地元の新聞社の記者たちの同行取材をしたのをきっかけにして、フリーの写真家への道をめざすようになる。その後、カンボジアでのHIV患者、パキスタンでの顔に硫酸をかけられて大火傷を負った女性たちの撮影・取材を経て、2012年7月から中央アジア、キルギスで「誘拐結婚」の撮影を開始した。友人たちと共謀して、目をつけた女性を無理やり自分の家に連れ込み、結婚を迫るという「誘拐結婚」は、キルギスの伝統的な慣習と思われがちだが、暴力的な要素が強まったのは、旧ソ連の統治時代以降のことだという。
林は、「誘拐結婚」を企てていた男性と偶然遭遇し、そのことによって現場を密着取材することができた。その緊迫した場面をとらえた写真群は、むろん素晴らしい出来栄えだが、むしろさまざまな「誘拐結婚」のさまざま形(幸せに暮らしている老夫婦もいる)を、細やかに紹介することに配慮している。あくまでも女性の視点に立ち、被写体となる人たちとの個人的な関係を起点としていく撮影のやり方は、フォトジャーナリズムの未来と可能性をさし示すものといえる。
2014/07/03(木)(飯沢耕太郎)
北井一夫「道」
会期:2014/07/02~2014/07/26
禪フォトギャラリー[東京都]
『日本カメラ』に2005~13年にかけて連載されていた「ライカで散歩」のシリーズから、「道」の写真をピックアップした展示である。中心になっているのは、東日本大震災の後の2011年5月から、岩手、宮城、福島などの沿岸部に10回ほど出かけて撮影したもので、普通の道だけではなく、積み上げられた瓦礫の横に、あたかも「けもの道」のように誰かが踏み固めてできた道なども写している。津波によってすべてが押し流された後にも、道は残る、あるいは新たに道ができていく。そのことが、北井の中にあったもう一つの道のイメージを引き出してきた。それは、彼の原記憶というべき旧満州からの引き揚げの時に見たはずの眺めで(赤ん坊だった彼が、実際には覚えているはずはないのだが)、そのことを確認するために中国での撮影を試みた。それが今回の展示のもう一つの柱である「大連発鞍山」の写真群である。
北井が母の背に結わえられて引き揚げてきた時に使ったという、父親の帯の写真なども含む、この「大連発鞍山」の写真が加わることで、何かと何かを結びつけ、繋いでいく「道」の役割がより明確になった。東北の道は中国へと続いていたわけだ。だが、最初からこんな風に構成しようと考えていたわけではなく、写真を選んでプリントしているうちに全体の構想が固まってきたのだという。まさに、道を歩きながら考えていくようなこの作品の成立のあり方は、自然体で澱みがないだけではなく、強い説得力を備えていると思う。
2014/07/02(水)(飯沢耕太郎)
津田直「On the Mountain Path」
会期:2014/06/27~2014/08/23
Gallery 916[東京都]
津田直の今回の個展に展示されたのは、「NOAH」、「REBORN (Scene3)」,「Puhu nin Amukaw」の3シリーズ、42点。「NOAH」はスイス・ヴァレー州の山中に張り巡らされた水路と、それを保全、管理する人々を追う。「REBORN (Scene3)」はここ数年通い詰めているブータンで、氷河が溶けてできたU字峡谷を、馬11頭を連ねて行く旅の途上の眺めである。新作の「Puhu nin Amukaw」では、1991年のピナトゥポ火山の大爆発で、火山灰に覆われた地域を撮影している。そこに最初に育つのが野生のバナナで、「Puhu nin Amukaw」というのは現地のアエタ族の言葉で「バナナの心」という意味だという。3シリーズに直接的な関連はないが、タイトルが示すように「山道」を辿るフィールドワークの産物というのが共通している。例によって、的確な写真の選択と配置によって、見る者を「眼差しの旅」へと誘っていく。
ちょっと気になったのは、津田の表現の落ち着き払った安定感だ。それはむろん、写真家=フィールドワーカーとしての自分の仕事に揺るぎない確信を抱いているということなのだが、破綻のない展示構成にはやや物足りないものも感じた。一年の大部分を旅の時間に委ねるという彼の仕事のやり方は、たしかに目覚ましいものではあるが、そろそろそれらを繋ぎとめていく、強く、太い原理を提示していく時期に来ているのではないだろうか。写真と言語の両方の領域で、津田にはその力が充分に備わっているはずだ。
なお、同時期に東京・六本木のタカ・イシイ・ギャラリー・モダンでは「REBORN(Scene2)」展が開催された。ブータンのシリーズのプラチナ・プリント・ヴァージョン(モノクローム)だが、あまり必然性は感じられなかった。
2014/07/02(水)(飯沢耕太郎)
岸幸太「もの、せまる」
会期:2014/06/13~2014/07/06
岸幸太の今回の展示は、大阪・西成地区で採集した「もの」を大伸ばしした5点のモノクロームプリント。バナナの皮、訳の分からない金具と小銭、段ボール箱、「南部鉄器 文鎮」と記されたパッケージなどが、地面に落ちている様をクローズアップで撮影している。どうということのない「もの」たちの来歴が、じわじわと滲み出てくるように感じる。隣接するKULA PHOTO GALLERYでは、同時期に撮影された大量の「もの」の画像を、スライドショーで上映していた。
だが、メインの展示以上に面白かったのは、会場に置かれていた『GAREKI Heart Mother』と名づけられたポートフォリオ・ブックの方だった。岸は2013年3月から9月にかけて5回ほど、福島県楢葉町、浪江町、南相馬市の海岸に出かけ、そこに落ちていた瓦礫を拾い集めて、奇妙なオブジェを作り上げて撮影した。木切れ、網、布、プラスチック製品、ぬいぐるみなどが、危なっかしいバランスを保って積み上げられている。『GAREKI Heart Mother』というネーミングは、いうまでもなくピンク・フロイドの「原子心母」(Atom Heart Mother)から来ている。これも原発事故の現場に近い場所にふさわしいものだ。
ある場所で見出された「もの」を、その場で作品化して、撮影するというサイトスペシフィックな行為は、批評性を含み込むだけではなく、何が出てくるのかわからない面白さがある。岸が次に同じ場所に行ってみると、以前作ったオブジェが半ば崩壊していることが多かった。その状態のまま、あるいは作り直して撮影する場合もあったという。実は2014年3月10日~20日に、実際にオブジェを再現したインスタレーションをphotographers' galleryで展示したこともあった。だが、それはやや意味合いが違ってくる気がする。この作品においては、いつの間にかでき上がっていては消えていくという、「はかなさ」がむしろ重要なのではないだろうか。
2014/06/25(水)(飯沢耕太郎)