artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
第四回入江泰吉記念写真賞受賞 岩波友紀「紡ぎ音」
会期:2021/02/20~2021/03/28
入江泰吉記念奈良市写真美術館[奈良県]
入江泰吉記念奈良市写真美術館では2年に一度、入江泰吉記念写真賞を公募している。その4回目の受賞者に選ばれたのが岩波友紀の「紡ぎ音」で、その受賞展に合わせて同名の写真集も刊行された。
東日本大震災後に福島の猪苗代町三郷に移住した岩波は、2013年頃から岩手県、宮城県、福島県の太平洋沿岸部の祭礼、民俗芸能を撮影しはじめた。祭事が震災で断ち切られた土地と人との関係をつなぎとめ、震災で亡くなった多くの死者たちを鎮魂するために大きな意味を持っていることに気づいたからだ。以来、7年余り撮り続けた写真群をまとめたのが本シリーズである。取材・撮影した祭事の数は100以上に達している。結果的にそれらの写真は、「『復興』をめざして頑張る姿」といった表層的な理解の「その奥にあるものを知りたくなった」という彼の欲求に応えるとともに、新たに構築されつつある地域コミュニティの現在の状況をさし示す貴重な記録となった。
岩波の写真のたたずまいは端正で美しい。それも重要なことだと思う。もちろん、祭礼や民間芸能のドキュメントとして、しっかりと被写体をカメラにおさめているのだが、それだけでなく、色調や構図など写真一点一点のクオリティに気を配り、相互の関係性に細やかに配慮して写真を組んでいる。そのことで、東北の凛烈な風土そのものの、魂を揺さぶる力をあらためて感じさせてくれる展示になった。写真集も、岩波の写真の特質を活かして、丁寧なレイアウトの正統的な造本に仕上がっている(デザイン・田中義久、西倉美朔)。今年は、東日本大震災から10年目の区切りの年にあたる。10年前に何が起こったのか、そしてこの10年で何が変わったのか、あるいは変わらないのかを、もう一度問いかけるいい仕事だ。
2021/02/19(金)(飯沢耕太郎)
イッツ・ア・スモールワールド:帝国の祭典と人間の展示
会期:2021/02/06~2021/02/28
京都伝統産業ミュージアム 企画展示室[京都府]
19 世紀後半から 20 世紀前半、欧米帝国主義諸国で華やかに開催された万国博覧会。そこで、植民地を含むアジアやアフリカなど非欧米圏の人々や先住民が、「○○村」と呼ばれるネイティブ・ヴィレッジやパビリオン内に「再現」した住環境のなかで、日常生活や歌や踊りを見せる「人間の展示」が行なわれていた。本展は、写真と絵はがきを中心に、版画、ポスター、パンフレット、新聞や雑誌の挿絵など「イメージの流通」を示す約1500点の膨大な資料群によって、多角的な問いを照射する。企画はキュレーター・映像作家の小原真史。
近代を駆動させるさまざまな欲望と、いかに視覚が結び付いているか。いかに眼差しが権力性と結び付いているか。本展は、他者をイメージとして領有する欲望を、圧倒的な物量で解き明かす。最先端の産業の精華を示す製品が並ぶ万博会場が、照明やガラスの魔術的な効果とともに百貨店のショーウィンドーに継承され、「万博の常態化」として消費の欲望を喚起し、資本主義を支える装置として機能すること。「タヒチの純粋な大地」に憧れたゴーギャンや黒人芸術に影響を受けたキュビスム、ジャワの音階を取り入れたドビュッシーなど、モダニズムを内部で駆動させるエキゾチシズムの共犯関係。人類学や進化論といった学問は、非欧米圏の人々や先住民を、身体的特徴による計測と分類の対象として扱い、「動物から人間への進歩」を示す序列化を行なった。そうした学術的根拠は、「文明と未開」の構図を示しつつ、「野蛮な自然状態から啓蒙へ導く」シナリオとして、植民地主義に合理的正当性を与えた。また、肥大した臀部と性器を持つアフリカ人女性が生前は「見世物」となり、死後は標本化されたように、女性の官能的なパフォーマンスが博覧会につきものとなり、「性に奔放な非欧米圏の女性」という(白人男性にとって都合のよい)イメージが流通し強化されていく。そしてこれらを支えたのが、出演者たちの長距離移動と観客の大量動員をともに可能にする交通網の発達と、イメージをより遠くへ大量に伝達する写真技術というテクノロジーの両輪である。「魅惑的な異国」への入口として、(しばしば誇張されて正確性を欠いた)各地の建築物の特徴をあしらった「ゲート」は、ディズニーランドなど娯楽的なテーマパークに引き継がれ、「異国の旅人」となった観客が、絵はがきや立体視を楽しむステレオカードといった「お土産品」を持ち帰れることで、ステレオタイプな他者イメージがより強化されていく。私たちが会場で目撃するのは、その膨大な欲望のおびただしい残滓だ。
また本展は、「見る/見られる」という視線と主体をめぐる複雑な政治学にも言及する。19世紀後半、開国前の日本から万博の視察に訪れた日本人たちは、欧米人から好奇の眼差しや人類学の計測写真のレンズを向けられる対象でもあった。だが、1903年に大阪で開催された第五回内国勧業博覧会では、「学術人類館」でアイヌ、沖縄、台湾などの先住民を「展示」し、自らの優越性や植民地支配の正当化を展示装置を通して行なおうとした。同様の「展示」は、1912年開催の拓殖博覧会でも実施。そこでは、「内地観光」という名目の懐柔策で訪れた台湾の先住民が、「首狩り族」への珍奇な期待とともに「見られる」対象へと反転する。「人類館」をひとつのターニングポイントに、日本が「見られる」エキゾチシズムの対象から視線と権力の主体へ移行するプロセスは、「帝国」の外部や周縁に、「より未開で劣った」人種や部族を「発見」し、獲得すべき植民地を「表象」として一足先に領有する企てでもある。帝国・中心はつねに「外部・周縁」を欲望し、「外部・周縁」が帝国の欲望を支えているという表裏一体性こそを、私たちは眼差さねばならない。
本展はまた、過去と未来の2つの万博という時間的レイヤーを有している。第四回内国勧業博覧会(1895)の跡地である京都の岡崎で開催されたことと、2025年の大阪万博を批評的に射程に入れていることである。そして最後に、本展が「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2021 SPRING」のプログラムとして開催された意義を述べたい。住居や生活用具を「舞台装置」のように設え、民族衣装をまとった「異民族」が日常生活を送る様子を演劇的に「再現」し、儀礼的なパフォーマンスを見せる「人間の展示」への再考。それは、近代の歴史的射程や(本展でも紹介されている)「フリークス」の展示という舞台芸術の系譜のひとつに対する反省性のみならず、「他者を表象として切り取り、一方的に視線を向ける」権力性や欲望と分かち難い舞台芸術それ自体に対する再帰的な批評として機能する。
KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2021 SPRING 公式サイト:https://kyoto-ex.jp/shows/2021s-masashi-kohara/
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展覧会の作り方について── 「分離派建築会100年」展と「イッツ・ア・スモールワールド」展から|中井康之:キュレーターズノート(2021年03月15日号)
2021/02/19(金)(高嶋慈)
川口和之「PROSPECTS Vol.5」
会期:2021/02/05~2021/02/21
川口和之はこのところ、photographers’ galleryで「PROSPECTS」と題する連続展を開催している。当初は日本全国を対象としていたが、次第に埼玉県、栃木県、群馬県など北関東の街々に絞って撮影していったストリート・スナップ写真のシリーズだが、その第5回目にあたる今回、初めてテーマらしきものが見えてきた。といっても、始まりは偶然のきっかけだったようで、埼玉県桶川市を撮影中に土砂降りのにわか雨に遭い、そこから「雨の日」の光景にカメラを向けるようになった。今回の展示作品のほとんどは、雨中に撮影されている。結果的にその試みはとてもうまくいっており、半ば忘れられたような街並みが、湿り気を帯び、水に濡れることで鈍色の輝きを発して、どこか既視感を伴う光景に変質しているように感じた。
そのリアル感は、川口の丁寧なプリント・ワークに拠るところが大きい。使っているのは4200万画素のミラーレス一眼レフカメラなのだが、データを処理する時に画像の色味や彩度に細かく気を配っている。あえてシャープネスや透明度を落とすことで、風景の質感をリアルに定着させているのだ。デジタル・プリントも、パソコンやプリンター任せではなく、自分でコントロールすることが可能になってきている。写真の方向性によりフィットしたプリント・ワークが求められているわけで、川口の「PROSPECTS」シリーズはそのよき指針になるのではないかと思う。
なお隣接するKULA PHOTO GALLERYでは、同時期に川口の「PROSPECTS/TOKYO」展が開催された。2020年5月の非常事態宣言下のゴールデン・ウィークに、人気のない東京を撮影した印象深いシリーズである。
2021/02/16(火)(飯沢耕太郎)
ソシエテ・イルフは前進する 福岡の前衛写真と絵画
会期:2021/01/05~2021/03/21
福岡市美術館[福岡県]
ソシエテ・イルフは、高橋渡、久野久、許斐(このみ)儀一郎、田中善徳、吉崎一人、小池岩太郎、伊藤研之らによって、1930年代半ばすぎに福岡で結成され、戦時中まで活動したグループである。高橋、久野、許斐、田中、吉崎は写真愛好家だったが、小池は福岡県庁商工課に勤める工芸家で、伊藤は二科会に属する画家だった。彼らは、喫茶店や小池のアトリエなどを根城に議論を戦わせ、写真雑誌の『フォトタイムス』や『カメラアート』などに作品を発表したり、同人誌『irf 1』(1940)を刊行したりした。ちなみに「イルフ」というグループ名は「フルイ」を逆に読んだもので、そのネーミングには、シュルレアリスムやアブストラクトの理論を取り入れた、新たな写真表現=「前衛写真」に向かおうとしていた彼らの意気込みがよくあらわれている。
ソシエテ・イルフの活動を初めて本格的に紹介したのは、1987年に福岡市美術館で開催された「ソシエテ・イルフ 郷土の前衛写真家たち」だった。それから30年以上の時を経て、同じ美術館で本展が開催された。その後の研究の成果を踏まえて、ソシエテ・イルフの全貌をあらためて跡づけようとする展示は、よく編集された充実した内容のカタログ(編集・忠あゆみ、デザイン・尾中俊介)も含めてとても意義深いものとなった。何よりも見応えがあったのは、彼らが残したヴィンテージ・プリントの展示で、活動期間は短かったものの、ソシエテ・イルフが大阪、名古屋などの「前衛写真」に匹敵する、興味深い動きを展開していたことがよくわかった。中心メンバーの一人で、貝殻や薔薇の研究家でもあった久野久のクオリティの高い作品などは、それだけで一冊の写真集としてまとめることができるのではないだろうか。
ソシエテ・イルフに限らず、戦前の写真家たちの仕事には、まだその全体像が見えてこないものがたくさんある。それぞれの地域の美術館、博物館による、今後の調査・研究の成果を期待したいものだ。
2021/02/13(土)(飯沢耕太郎)
小松浩子・立川清志楼「網膜反転侵犯」
会期:2021/02/04~2021/02/21
MEM[東京都]
面白い組み合わせの二人展だった。1969年、神奈川県出身の小松浩子は、建築資材置き場を撮影した写真をロールペーパーに大伸ばしし、それらを床や壁に貼り巡らすインスタレーション的な作品を発表して、2017年度の第43回木村伊兵衛写真賞を受賞している。1967年、茨城県生まれの立川清志楼は、やはり物質性の強い被写体を題材にした写真・映像作品をコンスタントに発表してきており、2020年度の写真新世紀展で優秀賞(オノデラユキ選)を受賞した。今回の二人展では、小松が2019年に埼玉県立近代美術館で開催された「DECODE/出来事と記録―ポスト工業化社会の美術」展の出品作「The Place, from 内部浸透現象」を、立川が動物園を撮影した映像作品の新作「第一次三カ年計画 Selected Remix」を展示していた。
資材置き場も動物園も、資本主義社会のグローバル・ネットワークから漏れ落ちたり、取り残されたりした場所といえる。そこでは均質化し、秩序づけられたエリアでは見ることができない、剥き出しのモノや自然の姿が露わになっている。小松も立川も、それらを記号化された画像としてではなく、大サイズの印画紙や映像を投影する紗幕などを使って物質性を強調して提示している。会場に入ると、小松のプリントが発する、定着液の饐えたような匂いが漂ってくるのだが、視覚だけでなく嗅覚や触覚も総動員しなければならない。映像の物質性を強く打ち出すと、ともすればその変換の手つきだけが目につく作品になりがちだが、小松と立川は動機と手法とが無理なく接続している。マンネリ化を避けることができれば、次の展開が期待できそうだ。
2021/02/11(木)(飯沢耕太郎)