artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

大西みつぐ「地形録東京・崖」

会期:2021/04/01~2021/04/25

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

以前、中沢新一の『アースダイバー』(講談社、2005年)を読んだ後に東京の街を歩いていて、ものの見方が変わったと感じたことがあった。『アーズダイバー』には、縄文時代の東京はほとんどが海だったという記述がある。高台は岬があった場所で、そこには神が祀られ、いまはそれが寺社になっている。坂を上り下りしていると、海から地上に出たり、逆に地上から海の底に降りていったりする気分がするのだ。

大西みつぐが、新たにスタートした「地形録東京」で試みようとしているのも、『アースダイバー』と同様に、東京を地形/地勢から読み解くことである。今回は京浜東北線に沿った上野→赤羽、そして大森→大井町→品川という二つの線上にある「崖」にカメラを向けている。そういう目であらためて見直すと、普段何気なく見ていた風景の意味が変わってくるように感じる。同時に、山の手と下町という生活・文化の環境の違いが、地形/地勢によって大きく影響されていることも浮かび上がってくる。

あたかも「測量士」のような作業の集積だが、大西は「特にコンセプチュアルな写真として組み立てるつもりはありません」と展覧会に寄せたコメントに記している。たしかにあまり方法論を固めすぎると、彼がこれまで続けてきた気ままなスナップ写真のあり方からは逸脱してしまう。むしろ、その日の風まかせで移動しながら、「身体的経験を通して」被写体を探すようなやり方の方が、より実り豊かなものになるのではないだろうか。まだ始まったばかりだが、この「地形録東京」には、次に何が出てくるかが予測できない大きな可能性を感じる。

2021/04/10(土)(飯沢耕太郎)

平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ) 1989–2019

会期:2021/01/23~2021/04/11

京都市京セラ美術館[京都府]

「昭和の残務処理」ともいわれた「平成」の展覧会が、昭和天皇の即位を記念して建てられ、平成の終わった翌年に名前も装いも新たに再出発した京都市京セラ美術館で開かれている。東京から見に行くのは大変だが、会場としては悪くない。企画・監修は椹木野衣氏。まさに平成のアートシーンを丸ごとリードしてきた美術批評家だ。

しかし「平成」の美術展なのに、村上隆も奈良美智もいない(GEISAIは出てるが)。小沢剛も会田誠もヤノベケンジもいないし、横尾忠則も大竹伸朗もいない(男ばっかりだな)。出ているのは、コンプレッソ・プラスティコ、テクノクラート、Chim↑Pom、東北画は可能か?、パープルーム、クシノテラスなど15組。個人ではなく集合体で選んでいるのだ。なぜ集合体かというと、平成という時代を象徴する泡沫(うたかた)と瓦礫(デブリ)のように、アーティストたちの離合集散に着目したからだ。それにしてはダムタイプも昭和40年会もチームラボも入っていない。いい出せばキリがないが、ま、そんな展覧会だと納得するしかない。これは平成の美術展ではなく、椹木氏いうところの「平成美術」の展覧会なのだから。

展覧会自体はにぎやかで楽しく、また大いに示唆に富むものだった。東山キューブと呼ばれる新しい会場に入ると、左側の黒い巨大な仮設壁に平成の年表が書かれ(平成の壁)、右手の壁には村上隆がチアマンを務めた「GEISAI」がスライドで紹介されている。奥にはコンプレッソ・プラスティコのインスタレーションが置かれ、その横のブースではディヴィナ・コメディアの記録映像が流れている。ここらへんはモチーフや映像に時代が感じられ、懐かしい。さらに奥に進むと視界が開け、テクノクラートの記録映像を流すモニターの山越しに、階段を設けて資料を展示する「突然、目の前がひらけて」、梅津庸一の絵画を中心とするパープルームのインスタレーションなどが見渡せる。なんだか祝祭的な雰囲気だ。それを囲むように、アイディアル・コピー、國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト、クシノテラス、人工知能美学芸術研究会、東北画は可能か?、contact Gonzo 、Chim↑Pomなどが位置し、出口への通路では、DOMMUNEが製作した出品作家のインタビュー動画を流している(カオス*ラウンジは内部トラブルのため、ペーパーの資料展示のみ)。

歴史を検証する展覧会で、しかも解散したところもある集合体のプロジェクトのため、記録映像や資料が多く、作品そのものから得られるインパクトは弱い。特にChim↑Pomの《ビルバーガー》などは、新宿で見たときとは対照的に、借りてきた猫のように所在なげだ。逆に異彩を放っていたのは、クシノテラスのガタロやストレンジナイトの作品、東北画は可能か? の大型絵画くらい。やはり見応えのある作品を求めるなら個人のアーティストに期待するしかないだろう。第2、第3の平成の美術展も見てみたい。

2021/04/09(金)(村田真)

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クロダミサト「裸婦明媚」

会期:2021/03/19~2021/04/04

神保町画廊

2010年代以降、ヌードをテーマにした写真展や写真集の数はかなり減ってきている。男性の性的な欲求に応えるような写真が、フェミニズムの観点から批判されるようになっただけでなく、ネット上で裸の写真が流通することの危険性に敏感にならざるを得ない状況だからだろう。とはいえ、ヌード写真がタブー視されることには問題があると思う。裸体はとても魅力的で、さまざまな可能性を孕んだ被写体であり続けているからだ。クロダミサトが2017年から開始したプロジェクト「裸婦明媚」の写真を集成した今回の展示を見て、そのことを強く感じた。

「裸婦明媚」は、ユニークなやり方で制作されてきた。SNSでモデルを募集し、クロダが今回の展覧会の会場でもある神保町画廊のスペースで、スマートフォンを使ってヌードを撮影する。それらはアプリで加工され、10cmの正方形にプリントされて、その日のうちにギャラリーの壁面に展示されていく。これまで、2017-2019年の間に行なわれた3回のセッションで60人余りの女性モデルを撮影してきた。今回の展示に合わせて、神保町画廊から刊行された同名の写真集には、3人のモデルと、クロダとの対話がおさめられているのだが、彼女たちは異口同音に「女性に撮られて安心できた」、「緊張感がなかった」、「自分を認めてもらえる、受け止めてもらえる感じがした」、と語っている。たしかに、男性写真家のヌードとは一味違う、肯定的で、開放的な気分がこのシリーズの持ち味といえるだろう。さまざまな身体のあり方を、ストレートに選り好みすることなく受け止めていこうとする姿勢が、写真家にもモデルにも共有されている。

今回の展示では、写真が以前の展示よりやや大きめ(12.5×12.5cm)にプリントされていた。あまり大きすぎると威圧的になってしまうし、小さいとモデルの周囲の空気感が伝わらなくなる。今回のサイズが、このシリーズにちょうどいい大きさだと思う。

関連記事

クロダミサト「裸婦明媚」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2018年11月01日号)

クロダミサト「美しく嫉妬する」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2016年08月15日号)

クロダミサト「沙和子」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2012年12月15日号)

2021/04/02(金)(飯沢耕太郎)

鶴巻育子「夢」

会期:2021/03/23~2021/04/11

Jam Photo Gallery[東京都]

Jam Photo Galleryは、目黒通りの目黒川近くに2019年にオープンしたギャラリーである。これまで足を運んだことがなかったのだが、個展を開催するにはちょうどいい大きさの居心地のいい空間だった。近くにはコミュニケーションギャラリーふげん社があり、やや離れてはいるが、POETIC SCAPEも歩いて行けない距離ではない。隣駅の恵比寿には東京都写真美術館もあり、目黒から恵比寿にかけての地域は密度の濃い写真環境になりつつある。

そのJam Photo Galleryでは、主宰者でもある鶴巻育子の展覧会が開催されていた。作品をきちんと見るのは初めてだが、とてもいいスナップシューターである。観察力と認識力と表現力がバランスよく備わっていて、切りとられた場面に明確な発語感(肉声)が感じられる。今回はあたかも夢の中を彷徨っているような「現実感の喪失」、「離人感」を、写真撮影を通じて探っているのだが、その狙いがうまく形にできていた。展示に合わせて刊行された『夢』(Jam books、2020)も、写真の並び、レイアウト、印刷に気を配って、クオリティの高い写真集に仕上がっている。ただ、黒白写真でいいかどうかには疑問が残る。鶴巻はこれまで『THE BUS』(Jam books、2018)、『back to square one』(Jam Books、2019)、『PERFECT DAY』(冬青社、2020)の3冊の写真集を、すべてカラー写真で刊行していている。そのヴィヴィッドな色彩感覚には見るべきものがあり、いきいきとした臨場感を感じさせた。モノクロームだと、古典的な「いい写真」の範疇にすんなりおさまってしまうのが逆にもったいない。また、いわゆる「心象風景」に傾きがちな写真が増えて、写真の世界を内向きに狭めているのも気になる。ただ、今回のような試みがまったく無駄であるとは思えない。むしろ、新たな方向に踏み出そうとする意欲のあらわれと見ることもできる。試行錯誤を経て、さらに大きな世界に出ていくことができるのではないだろうか。

2021/03/28(日)(飯沢耕太郎)

島村恵美写真展「ねこがいる」

会期:2021/03/18~2021/03/29

オリンパスギャラリー東京[東京都]

ねこの写真。当たり前だが、興味ある人には興味あるけど、興味ない人には興味ないだろうね。ぼくは興味ないけど、事情があって行ってみたらおもしろかった。だって、「ねこがいる」という写真展なのに風景写真ばかりで、肝心のねこが見当たらにゃいんだもん。なかには風景のど真ん中にねこが鎮座している写真もあるが、大半の写真にはねこが見つからない。どこに「ねこがいる」と訝りながらよく見ると、画面の端っこに小さく写っていたりする。木陰に隠れていたり、軒先から顔だけ出していたり、ビニールシート越しにこちらを見ていたり、箱の中で昼寝していたり、完全に風景に溶け込んでいる。A3伸(312×439mm)のゴチャゴチャした雑踏の写真に、わずか1センチ足らずの大きさで紛れているのだから、本気で探さなければ見つからない。こうなると作者の術中にはまったも同然、1点1点、画面を隅から隅まで見ていくことになる。またそれだけの凝視に耐える「風景写真」でもあるのだ。

難点は、クイズと同じで、いちど発見したら「ゲームオーバー」、2度と見ないこと。と思ったら、よくよく見るともう1匹見つかったりする。なんだ2匹いたのか、と思ったら3匹も4匹も見つかったりするから油断ならない。二度見三度見必至、こうして画面を隈なく鑑賞せざるをえなくなるのだ。別にねこだけでなく犬にも人にも飛行機にも応用できそうだが、やっぱりなんにでも化ける変幻自在なねこがいちばんだにゃん。

2021/03/28(日)(村田真)