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KYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMN 木ノ下歌舞伎『勧進帳』

2016年12月01日号

会期:2016/11/03~2016/11/06

京都芸術劇場 春秋座[京都府]

現代演劇の演出家とタッグを組んで歌舞伎の古典演目を上演する木ノ下歌舞伎は、演出に杉原邦生を迎え、主君に対する弁慶の忠義の物語として知られる『勧進帳』を、現代における複数の境界をめぐる物語として読み直した。平家を倒すも、兄・頼朝に謀叛の疑いをかけられ追われる身となった義経一行は、山伏に変装して関所を越えようとする。義経一行ではないかと疑う関守の富樫に対し、機転を利かせた弁慶は、「本物の山伏」の証明として、ニセの巻物を「勧進帳」に見せかけて暗唱し、難を逃れる。だが、強力ごうりき(荷物を運ぶ従者)に変装した義経が怪しいと疑われ、弁慶は疑いを晴らすために主君を打ち、その忠義に打たれた富樫が通行を許す、というのが『勧進帳』の粗筋だ。


撮影:井上嘉和

だが木ノ下版『勧進帳』は、戦略的なキャスティングによって、批評的なエッジが際立つものとなった。弁慶には巨漢のアメリカ人俳優を、義経には性別適合手術を受けて「女性」となった俳優を配役。実際の歌舞伎では女形が演じることの多い義経だが、発声や容姿は両性具有的な存在感を放ち、特に「関西弁をしゃべるガイジン」が演じる弁慶は、標準語で話す一行の中でひときわ異質さを際立たせる。ここでは、セリフとしては一切明示されないものの、俳優の身体的条件が(日本)社会の中でのマイノリティを体現し、それゆえ彼らは「通過」を許されず「排除」の対象と見なされるのだ。

加えて秀逸なのが、義経の部下/富樫の部下を、同じ4人の俳優たちが場面ごとに入れ替わって演じる仕掛けである。役が固定されず流動化することで、状況次第で排除する側/排除される側のどちら側にもなりうることを示唆する。また、彼らの衣装が警備員や特殊部隊を思わせることも、ここでの「関所」が現代的な状況として敷衍されるものであり、国境線の通過を許可/拒否する入国審査や検問所、そこで人種や国籍などの差異を根拠として排除が正当化されることを強く示している(このテーマは、同じく「KYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMN」で上演された松根充和『踊れ、入国したければ!』と共通するものであった)。
だからこそ、「和気あいあいとした義経一行に憧れるも、コミュニケーションが苦手でうまくなじめず、疎外感とともに一人取り残される富樫」をやや感傷的に描くラストの落としどころは、作品の持つ批評的な方向性から浮いている感じがして惜しまれた。「現代の若者像の等身大の日常」へ収束してしまったように感じられ、テーマ性への掘り下げがあと一歩欲しいと思わせた。

公式サイト:KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2016 AUTUMN

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2016/11/03(木)(高嶋慈)

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