artscapeレビュー
2021年07月15日号のレビュー/プレビュー
《飯山市文化交流館なちゅら》、《道の駅ファームス木島平》
[長野県]
東京国立近代美術館の「隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則」を見に行って、翌日訪れる北陸の少し前で途中下車すると、彼の作品があることに気づき、訪れたのが《飯山市文化交流館なちゅら》(2015)である。いまではどこでも隈建築に出会える、つまり、それだけ数多く日本各地に彼の作品が建設されているということだ。
飯山駅から歩いて5分、神社のある丘の横に《なちゅら》は建つ。外観は隈が得意とする木板に覆われた多面的なヴォリュームであり、ここはカッコよさを主張する。が、室内において、大小のホールや多目的ルームのあいだは、ナカミチと呼ぶ空間が十字に入り、建物を貫通する。ここでは、中高校生が勉強などをして過ごしていたが、ゆるさを許容する空間が効いていた。すなわち、張り詰めた緊張感を強いないデザインである。宮沢洋の『隈研吾建築図鑑』(日経BP、2021)でも、《なちゅら》は「ふんわり系」の作品として分類されていた。実際、《那須芦野・石の美術館》の前庭や《アオーレ長岡》の広場など、こういう隈の空間は、日本の地方の街に相性がいいと思う。
さて、飯山駅で気づいたのは、《道の駅ファームス木島平》までシャトルバスが出ていることだった。これは三浦丈典/スターパイロッツが設計し、2015年のグッドデザイン賞の金賞に選ばれており、以前から見てみたと思っていた建築である。ただ、バスの本数が少ないため、タクシーで現地に向かった(往復で3500円ほど)。
もともとはトマトの加工工場だった建築をリノベーションしたものであり、その黒い躯体に小さい家型の白いヴォリュームをいくつか挿入し、大きなスケール感を巧みに分節している。プログラムとしては、それぞれの家型にレストラン、カフェ、キッチンスタジオ、インキュベーターオフィス、加工場などの機能を与え、農業の六次産業化をめざした。グッドデザイン賞では、建築家が設計して終わりではなく、施設の出資者のひとりになって運営に関与していくことも高く評価された。もっとも、訪問時はあいにくのコロナ禍と、交通量が多い大きな国道沿いではないこともあり、あまり人がいない状況だった。イベントなどが開催されているときに再訪してみたい建築である。
2021/06/20(日)(五十嵐太郎)
糸魚川市の建築をまわる
[新潟県]
北陸に出かけたのは、2016年に147棟が焼損するという大火事が発生した糸魚川が、現在どうなったのかを自分の目で確認することが目的だった。約4haに及ぶ被災地は、基本的に復興の整備期を終えたことや、前に歩いたことがないエリアだったせいもあるが、ほとんど火災の痕跡をとどめていない。もっとも、よく観察すると、新しい建築ばかりであることや、公園や広場に転用された空き地があちこちにあることに気づく。
注目すべきプロジェクトとしては、西村浩が住民とのワークショップによって設計した糸魚川市駅北広場《キターレ》(2020)と、八木敦司+久原裕/スタジオ・クハラ・ヤギによる《糸魚川市駅北大火復興住宅》(2019)である。前者は、シンプルな屋根をもつホールとダイニング・スペースであり(エントランスでは大火の記録が展示されている)、屋内外でイベントなどを行なう場だ。また後者は、耐火構造の木造によって細い小路や雁木などの空間的な記憶を継承する。同じ建築家が手がけた《矢吹町中町第一災害公営住宅》(2016)の経験を生かしつつ、地域性に配慮し、住戸の入口はナカニワ側、物干しはインナーバルコニーとするなどの工夫を行なった。
せっかく糸魚川に来たので、20年以上ぶりになるが、村野藤吾が設計した《谷村美術館》(1983)と玉翠園を再訪した。学生の卒業設計で、ときどき特定のアーティストの作品だけを決め打ちで展示する美術館を見かけるが、これはまさにそれを巨匠がやってのけた空間である。木彫芸術家の澤田政廣の仏像に対し、村野がそれぞれのための展示空間を構想した(ゆえに、展示の入れ替えはないはずである)。
胎内か洞窟をほうふつさせる特殊な空間は、ほとんど直線や直角がなく、施主が地元の建設会社だからこそ、完成に導くことができたと思わせるような複雑かつ有機的な建築である。それ自体が小さい彫刻のような各展示室の模型や、断図面を見ると、自然光の入れ方にかなり力を入れたことがうかがえる。ただし、実際の展示空間は、人工照明によって、心なしか明る過ぎるようにも思われた。実際、もう少し暗い方が洞窟的な雰囲気はさらに強調できる(しかし、作品は見えにくくなる)。昔に撮影された展示室の写真を確認すると、やはりいまよりは明るくないように思えたので、気になった。
2021/06/21(月)(五十嵐太郎)
あごうさとし×能政夕介『フリー/アナウンサー』
会期:2021/06/23~2021/06/25
THEATRE E9 KYOTO[京都府]
俳優とは異なる領域で「声」に関わる仕事をする「アナウンサー」という存在を、実際に舞台の上に乗せた演劇作品。劇場が位置する東九条に近年引っ越したフリーアナウンサーの能政夕介が出演する。演出はあごうさとし。日本のアナウンスの歴史を辿りつつ、能政自身の個人史、スポーツ実況中継やコミュニケーション講座の実演、「アナウンサー」の仕事に対する思いを織り交ぜ、東九条という地域の実況的な語りが交差していく重層的な構成は、ドキュメンタリー演劇的でもある。
序盤では、1925年に日本で最初に放送されたラジオ放送「あーあー、聞こえますか?こちらは東京放送局であります」に始まり、1930年代、50年代、60年代と時代を辿って2020年代まで、炭坑事故、大阪万博、半導体の輸出戦争、バブル崩壊、BSデジタル放送開始、パンデミックなど時代を象徴するニュースが、当時の発声の抑揚やスピード感を再現して読み上げられていく。戦前から戦後にかけては、語尾を上げた調子で畳みかけるような発声が特徴で、日本語だが異質に聞こえる。
次に、一転して能政は、普段のスポーツ実況中継を実演しつつ、仕事上の心がけや普段は表に出さない思いを語っていく。どちらのチームにも偏らないバランスを心がけていること。特に声が良いわけでもキャラの面白さが強みでもない自分は、現場で一歩引いて気を配る役割に徹していること。「情報を正しく伝える」だけで良いのかという自問。SNS上での視聴者からの一方的な批判。そこに「対等な関係」はないという苦い思い。
中盤では、東九条を歩いて見える風景が、実況的に素描されていく。フェンスで囲われた空き地、路上に放置された車。再開発による新しい景色と古い歴史が重なり合った土地だと能政は言う。路上で拾った、公園の整備に関する住民アンケートの紙と、多様な住民の声。過去の(負の)歴史を切り捨てず、未来を開拓することは両立するのか。後半では、1978年の京都市による「世界文化自由都市宣言」が祈願の舞いの奉納のように読み上げられ、京都市立芸術大学の移転に伴って進む再開発と新たな文化芸術の発信地となることへの期待が込められる。スーツ姿に樹木が絡み付いた能政自身が「ご神木」となり、この町を末永く見守るというラストシーンだ。
本作が秀逸なのは、「声(とその抑圧)」をめぐる重層性のなかに、回復への希求を込める点にある。媒介者である「アナウンサー」は、感情や自己主張を出してはならない(能政自身が語るように、ネットで叩かれてしまう)。「全体のバランスを重視し、空気を読み、自分を出さない」という仕事上の指針は、個人の声を封殺する日本社会、そしてコロナ禍で子どもの声が消えた公園の風景とも重なり合う。繰り返される「聞こえますか?」という呼びかけは、「アナウンサー/視聴者」の一方的な関係を超えた、対話への切実な希求だ。
「声」を公共に届ける仕事だが、個人としての「声」を奪われた存在としてのジレンマは、自身の思いを吐露していく終盤で一気に解放されていく。そこでは、中盤で実演された「コミュニケーション講座」がリテラルに実践される。「自分が何を言いたいのか」の自己理解が最も重要であり、スキル(滑舌)はあくまでその上に乗っかるものに過ぎないと述べていた能政。「何を考えているのかわからないからこそ、互いを知るために、対話と問いかけていくことが必要だ」と自身の考えを語りながら、アナウンサーとして日々鍛えているスキル(滑舌)を自ら手放していく姿は、感動的ですらある。「濁りなき」を文字通り濁点を消し去り、「私はにこりなきフリーアナウンサーの能政夕介てす」と、濁点の消えた日本語で語り続ける能政。「正しい日本語の発音」という規範や抑圧から解放され、「フリー」になった「アナウンサー」は、私たちにとって未知の、だが力強い言葉で、対話への希求を投げかけ続けるのだ。
2021/06/24(木)(高嶋慈)
隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則
会期:2021/06/18~2021/09/26(※)
東京国立近代美術館[東京都]
国立競技場の設計参画や、国内外で多くの建築設計を手がける隈研吾は、いまやもっとも名の知れた国民的建築家と言える。そんな隈の大規模展覧会がオリンピックイヤーに相応しく開かれた。テーマは「新しい公共性をつくる」で、隈は独自の5原則を掲げる。それは「孔」「粒子」「やわらかい」「斜め」「時間」だ。誰もがわかる易しい言葉をキーワードにするあたりが、隈は編集能力に優れた人だと感じる。この5原則に照らし合わせれば、国立競技場の庇の軒下部分に用いられた小径木ルーバーは「粒子」に当たるのだ。47都道府県のスギ材とリュウキュウマツ材を多用したデザインは、なるほど粒子なのかと思う。また、2010年代を中心とした比較的新しい建築を事例としていたためか、その多くで建築模型が展示されており、なぜ「孔」なのか、なぜ「粒子」なのかというポイントがよく伝わってきた。ただひたすら難解だったひと昔前の建築論とは打って変わって、時代は変わったなと思う。そうした点でも隈は国民に寄り添う建築家なのだ。
もうひとつ特筆したいのが、本展タイトルに「ネコの5原則」とあることだ。まるで昨今の猫ブームにあやかるような切り口と最初は思ったが、いやいやどうして、それも新しい公共性を考えるうえで隈が導いた答えだった。隈が猫に着目したのにはコロナ禍が影響していた。コロナ禍で多くの人々の意識や価値観が変わり、国や自治体が管理する場所やハコものにではなく、身体的に引かれる場にこそ公共性が生まれると気づいたのである。これを猫に学んだという。本展の第2会場では、隈の自宅付近をうろつく半野良の猫2匹にGPSを取り付けてその行動を追ったユニークな検証があり、ほっこりと癒されつつも、その本気度が伺えた。これを丹下健三がかつて提唱した「東京計画1960」への応答として、隈は「東京計画2020 ネコちゃん建築の5656原則」と名づけて発表している。確かに私の飼い猫を見ていても、家の中でも暖かい場所や涼しい場所を求めて自ら移動するし、狭い場所にわざわざ入り込むのが好きだ。それもすべて身体的に心地良い場所を求めているからなのだろう。建築の新たな見方を教わる展覧会である。
公式サイト:https://kumakengo2020.jp/
2021/06/25(金)(杉江あこ)
Soft Territory かかわりのあわい
会期:2021/06/27~2021/08/22
滋賀県立美術館[滋賀県]
4年間の休館を経て、「滋賀県立近代美術館」から名称を変え、リニューアルオープンした滋賀県立美術館。オープニング展である本展では、滋賀にゆかりのある若手作家12名が参加する。休館中に県内で展開した若手作家紹介プログラム「アートスポットプロジェクト」の参加作家9名に、新たに3名が加わった。同館では1986-99年度まで、同時代の作家を紹介する企画「シガ・アニュアル」が開催されていた歴史を踏まえ、原点回帰として、「地元と関わりのある若手作家かつすべて新作」というチャレンジングな態勢で臨んだ。「リスクは高くなるが、リスクを引き受けるような美術館でなければ、注目を集める若手作家は関わってくれない。また当館には、そのリスクを楽しめる学芸員がいる」というディレクター(館長)の保坂健二朗の言葉には、同時代の創造の場所としての美術館に対する期待と自負がにじむ。
展示の前半では、廃材の再利用や自然物を媒介的に取り込んだ表現が並ぶ。度會保浩は、昭和の住宅に使用された型板ガラス(ガラスの片面に凹凸の模様を付け、視線を遮断しつつ採光を確保する)の断片を接合し、壺の形態に再構築した作品を出品。西川礼華は、花を包んだ布を土や水に浸し、微生物の分解や風化作用によって遺物化させたものをベースとしてつくる。その生命の痕跡を読み解くように描画した日本画は、エネルギーや気の流れを思わせる繊細な震えに満ちている。藤永覚耶の作品では、スライスした丸太の片面にインクで画像を刷り重ね、毛細管現象により木の内部を通ったインクが、反対面に無数の色の粒となって「像」が出現する。植物組織の現象を利用して、印刷画像の最小単位である「ドット」、複製、時間の痕跡について問う。
フライヤーのメインビジュアルにも採用され、鮮烈なイメージで目を引くのが、河野愛の写真作品《こともの foreign object》である。まだ体毛も生えそろわないような滑らかな乳児の皮膚のあいだで光る、一粒の真珠。それは、今まさに乳児の体内からこぼれ落ちる汗や涙の結晶のようにも、皮膚の上に生まれたばかりの神聖な吹き出物のようにも見え、乳児の体自体が新たな生命の萌芽を宿しているようにも見える。貝の中に「異物」が入る(人工的に入れる)ことでできる真珠と、母体にとっての「異物」である胎児。コロナ禍の直前に出産した河野自身の経験が着想源だというが、「異物」との共存や循環的につながる生命について、美しくも静謐なイメージで語りかける。
また、「琵琶湖」へ言及するのが石黒健一と井上唯。石黒は、滋賀県立近代美術館(当時)の開館展で初公開されたブランクーシの彫刻《空間の鳥》の制作年と、特定外来生物に指定されている淡水魚「ブラックバス」が日本に移入された年が同じ「1925年」であることに着目。石膏の原型からブロンズ鋳造され、世界中に複数体存在する《空間の鳥》を3Dスキャナでデータ化し、縮小サイズでアクリル製の「ルアー」として複製した。実際に琵琶湖にこの「ルアー」を投入した映像も制作。それは、かつて《空間の鳥》が「工業製品」と見なされた歴史をパロディとして反復しつつ、同年に異郷の地に持ち込まれたものの子孫たちの思いがけない邂逅の物語を夢想する。一方、井上唯は、琵琶湖の湖岸で収集した貝殻、流木、木の実、漁網、陶器の破片など自然と人工物が入り混じったさまざまな漂流物を用いて、繊細かつ壮大なインスタレーションを構成。砂浜に打ち寄せる波のようなベールが包み込む空間の中に、都市や樹木の生態系を思わせる造形物が展開する。
最後に、展覧会タイトルにある「テリトリー」や「集団の形成と排除」について、薬師川千晴と井上裕加里の作品に注目したい。薬師川の作品は、デカルコマニーや掌での描画による「筆触」の否定と再肯定、構造の(非)対称性、折り畳んだ「画布」の襞構造など、抽象絵画の可能性の探求と解されるが、そこに同時代的な省察を読み取ることも可能だ。例えば《右手と左手の絵画》は、右手と左手に異なる色の顔料を付け、画面の左右半分ずつを単色で塗り分けた作品。それぞれの「領域」を主張する色どうしが真ん中でぶつかり合うも、混じり合って第三の領域を形成することなく、両者の「境界線」が出現する。
井上裕加里の映像作品《grouping》は、日本と韓国の高校の教室で、教師の指示により、生徒たちが1人ずつ人数を減らしていくグループ分けのゲームの記録である。机と椅子ごと移動しながら、まず5人グループをつくり、4人、3人、2人とグループから1人ずつ排除されていく。ここで戦慄的なのは、韓国と日本の対照性だ。終始、席替え中のように賑やかで会話の絶えない韓国の高校生たちに対し、ほぼ無言のまま、会話も議論もなく、「空気を読んだ」者がすっと身を引いて退場していく日本。シンプルな仕掛けだが、「排除と選別が強制的に実行される場である教室」「理不尽なルールへの一方的な従属」、そして「空気を読むことで成り立つ日本社会」が鮮烈にあぶり出される。「誰をどのような理由で排除するのか」の議論も、「そもそも理不尽なルールに黙って従うべきなのか」という異議申し立ても起こらない。社会の縮小構造である「教室」が「排除を容認し、自分の意見や疑問を口に出す場ではない」ことの露呈は、日本社会における民主主義の機能不全の証左を突きつける。
一方、屋外に設置された井上の《こうさするこうえん》は、公園の遊具を模したつくりのなかに、「コミュニケーションの必要性」を希求する。90度で交差するブランコは、お互いが交互に漕がないとぶつかってしまう。登り口が2つあるが滑り台が途中で合流する遊具もまた、相手とのコミュニケーションを取ることで遊びが可能になる。「遊具」という、より低年齢かつ身体感覚に訴える仕掛けを通して、「個人と個人のコミュニケーション」を図ろうとする作家の姿勢に希望を感じた。
2021/06/26(土)(高嶋慈)