artscapeレビュー
2021年09月15日号のレビュー/プレビュー
パンケーキを毒見する
会期:2021/07/30~未定
新宿ピカデリーほか全国公開中[全国]
約20年前、マイケル・ムーア監督の米国ドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』を観たとき、その軽妙で洒脱な表現方法に衝撃を受けた覚えがある。政治批判や社会風刺がテーマであるのに、お堅くもヒステリックにも退屈にもならず、大衆が楽しめるエンターテインメントに仕上げていた点が非常に新しかったからだ。本作の告知を見たとき、いよいよ日本にもマイケル・ムーア監督作品のようなドキュメンタリー映画が生まれたのかと期待を寄せた。タイトルからも推察できるとおり、本作は「パンケーキが大好物」として話題を集めた菅首相の素顔に迫るドキュメンタリー映画である。
ことに若い女性の間では、菅首相のイメージといえば「パンケーキ」に尽きるのかもしれない。現に菅首相はその甘いイメージを武器に、就任早々、内閣記者会の番記者らと「パンケーキ懇談会」を開いてマスコミ懐柔策を打った。また、秋田のイチゴ農家に生まれた叩き上げという庶民的イメージを引きさげて好感度アップも図るが、これらのイメージは早々に崩れていく。なぜなら後手後手に回った新型コロナウイルス感染防止対策をはじめ、国会や記者会見の場で野党議員や記者からの質問に対して正面から答えず、同じ文言を繰り返すだけの菅首相の姿勢に、国民はイライラを募らせ始めているからだ。本作ではそうした菅首相のおかしな言動に、ジャーナリストや与野党議員、元官僚らへのインタビューを通してさまざまな角度から切り込んでいく。ところどころに風刺アニメーションなどを挟む手法はマイケル・ムーア監督作品にも似ていて、鑑賞者を最後まで飽きさせない。
しかし本作が終わりに近づくにつれ、だんだん空恐ろしくなってくる。いま、菅政権下で本当に民主主義は働いているのだろうか。言論の自由は担保されているのだろうか。本作で明かされるのは、菅首相の素顔だけではない。政治に無関心な国民の姿も「家畜の羊」に喩えられた風刺アニメーションを通して、浮き彫りにされる。本作の公開は、この秋に行なわれる衆議院議員選挙の前を狙ったという。ひとりでも多くの国民、特に若者に観てもらい、民主主義の根幹である選挙に出向いてもらうためだ。とはいえ私が鑑賞した8月上旬の平日、館内を見渡すと、本作を観に来ていた客の大半は中高年者だった。多くの若者に届く日はいつだろうか。
※本稿を執筆後、菅首相は2021年9月末で退任することを表明した。
公式サイト:https://www.pancake-movie.com
2021/08/10(火)(杉江あこ)
境町の隈建築群
[茨城県]
シラスの建築系チャンネルの隈研吾特集「建築が嫌われた時代の建築論──批評家・思想家としての隈研吾を読む」(7月14日放送)でゲストに迎えた『隈研吾建築図鑑』(日経BP社、2021)の著者、宮沢洋氏が、茨城県の境町が面白いというので行ってきた。小さな自治体だが、なんと6つもの隈建築が集中している。確かに傾いたルーバーが張り付いた道の駅さかい内《さかい河岸レストラン 茶蔵》(2019)や、木組みが導入された《さかいサンド》(2018)を訪れると、多くの人で賑わっていた。しかも無料の配布物では、世界的な建築家の名前を全面にアピールしている。もっとも、予算が十分にあるプロジェクトではない。干し芋の繊維をルーバーで表現したカフェ《S-ブランド》(2021)のほか、L字に連結する《S-Lab》(2020)や《S-Gallery》(2020)など、わずかなデザインの操作を伴う。が、国立競技場のような巨大な施設を手がける一方、シークレットワークになりそうな小さい物件も発表しているのが、隈研吾の特徴だ。それゆえ、境町の建築群は、地元で歓迎され、町おこしにも一役買い、ひいては建築家の存在を社会に知らしめることに貢献している。
個人的に興味深く思ったのは、小さい写真では一番わかりづらい《モンテネグロ会館》(改築2020)の空間が良かったこと(古材は構造でなく、装飾だが)。逆にルーバーを用いた建築は、サムネイル的なサイズでも写真映えする。
ところで、境町では、フランスのNavya社の自動運転バス「アルマ」を公道で定常運転していた。筆者が訪れた翌週、名古屋で同じバスの実証実験を開始というニュースが流れたことを踏まえると、こちらの方が先駆的なのかもしれない。
さて、境町の次に足を運んだのは、今年オープンした同じ茨城県の《廣澤美術館》(2021)である。これも隈が設計したものなので、7作品を連続で見学した。デザインはシンプルにして明快であり、庭園に囲まれた三角形のプラン、6,000トンの力強い巨石が外壁を隠し、細い梁の列が天井を走る。なるほど、展示壁ゆえに開口は不要だから、壁が多くなるわけで、それを自然石で装飾している。もっとも、トップライトによって導かれたライティングダクトの位置のせいか、照明によって額縁の影が、かなり長く出ていたのが気になった。
2021/08/14(土)(五十嵐太郎)
益子と笠間の建築
[栃木県]
隈研吾の弟子筋にあたるMOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIOによる《道の駅ましこ》(2016)は、木造の集成材による大スパン建築を実現し、ダイナミックな空間構造をもつ。さすが日本建築学会賞(作品)(2020)とJIA日本建築大賞(2017)の両方に選ばれた作品である。そして商業施設としても楽しい。道の駅という難しいビルディングタイプを見事に「建築」化している。
また内藤廣の設計による《フォレスト益子》(2002)は、一般人もすぐにわかるような隈研吾的なデザインの署名性はないが、専門家には了解できる湾曲するかたちと構造の調和が素晴らしい。また、それを引き立てる外構のランドスケープ・デザインも巧みである。
伊東豊雄の《笠間の家》(1981)は、陶芸家の里中英人のアトリエ兼住居として建てられたが、施主が亡くなった後、笠間市に寄贈され、改修を経て、一般見学できるようになった。ちなみに、笠間と益子は陶芸のまちである。現在、この建築はギャラリーや創作工房として利用できるほか、カフェとして簡単な飲食も提供していた。正直、隈建築とは対照的にインスタ映えしない外観だし(木の影が白い外壁に重なる場面はあるが)、小さい写真だと空間の良さはあまり伝わりにくい。だが、これは実際に内部を体験しないとわからない超名作だった。湾曲する居間のヴォリュームは、《中野本町の家》(1976)を彷彿させるが、外にも開いている。
まず圧倒的なデザインの密度によって、複雑なかたちと空間が設計されている。当時の伊東は40歳前後だが、まだ公共建築の仕事は手がけていない。それゆえか、膨大なエネルギーを住宅につぎ込んでいる。歩きまわると、絶妙なデザインで組み込まれた書斎の本棚、作り付けの机、寝室のクローゼットに隠されたトイレなど、さまざまな場面に遭遇するだろう。さらに《笠間の家》では、大橋晃朗による個性的な家具が彩りを添える。まるで公共建築に挑むかのようなデザインの量が凝縮され、豊かな空間が出現した。改めて、近年こうしたかたちで勝負する建築が減っているかもしれないと思う。外に開く、コミュニティなどが主要なキーワードとなり、複雑なデザインの操作が行なわれていないからだ。われわれはポストモダンを過小評価するあまり、かたちと空間の強度と可能性を忘れているのではないか。
2021/08/15(日)(五十嵐太郎)
ホワイトハウスと秋山佑太「スーパーヴィジョン」展
会期:2021/08/01~2021/09/05
WHITEHOUSE[東京都]
磯崎新の処女作《新宿ホワイトハウス》 (1957)にて、秋山佑太の「スーパーヴィジョン」展を鑑賞した。まず場所の説明から始めよう。これは磯崎と同郷だった美術家・吉村益信のアトリエであり、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの拠点になったことで伝説の家として知られる。が、現存するのか判明しない時期が長く、約20年前、美術批評家の椹木野衣らと住所の情報を片手に現地を訪れたことがあった。外観のみ見学したものの、本当に磯崎の設計なのか、と思うようなぼろぼろの二階建ての木造家屋だった。もっとも、その後、2013年に《新宿ホワイトハウス》は「カフェアリエ」として使われ、内部が見学できるようになる。室内は大きな白い壁が広がる吹き抜けが展開し、そのヴォリュームはちょうど三間の長さを一辺とするキューブを内包する。ローコストの作品だが、磯崎らしい幾何学的なデザインだろう。筆者は監修した「戦後日本住宅伝説」展(埼玉県立近代美術館を含む四館を巡回、2014-15年)において、《新宿ホワイトハウス》も紹介することにした。
「カフェアリエ」は下水道の老朽化のため、2019年3月に閉店し、どうなるかと心配していたが、幸い、今年からChim↑Pomによってアートスペースとしてリニューアルされた。設計はGROUPが担当し、外部に屋根や床も増築している。さて、美術家・建築家である秋山佑太の個展は、以下の通り。導入部は口の中でセメントを練ってフォルムをつくる映像から始まり、吹き抜けにはそのフォルムを形成する大量の3Dプリンターを並べ、二階は新宿の切られた街路樹とそのかたちの複製など、建設資材をめぐる生々しい身体とデジタルの造形の往復を提示していた。今回、別会場として歌舞伎町のデカメロンや公園の一部も使われ、オリンピック期間のささやかだが長く残る公共空間への介入、街路樹を座れる切り株ベンチに転用すること、墨出しコレオグラフィ、建物のコア抜きと石膏ボードの交換、テラスに石膏ボードを積み上げて国立競技場の建設現場を眺める映像など、アートから建築をぐらぐらと揺さぶる作品群が続く。いずれもささやかな行為かもしれないが、国家プロジェクトとして強行されたオリンピックに対し、個人の身体を通じた建築的な批評を試みている。そうした意味では、1960年代にアーティストが集った《新宿ホワイトハウス》の精神を継承したものと言えるだろう。
秋山佑太「スーパーヴィジョン」展
会期:2021/08/01〜2021/09/05
会場:WHITEHOUSE、デカメロンほか
公式サイト:https://7768697465686f757365.com/portfolio/wh010yutaakiyama/
2021/08/22(日)(五十嵐太郎)
俵万智 展 #たったひとつの「いいね」 『サラダ記念日』から『未来のサイズ』まで
会期:2021/07/21~2021/11/07
角川武蔵野ミュージアム 4F エディット アンド アートギャラリー[埼玉県]
「この味が いいね」と君が 言ったから 七月六日は サラダ記念日
現代短歌のなかで万人が知るもっとも有名な短歌が、俵万智のこの作品ではないか。1987年に刊行された彼女の初歌集『サラダ記念日』は280万部ものベストセラーとなり、映画「男はつらいよ」シリーズ作の題材になるなど、その後も社会現象を巻き起こした。当時まだ10代初めだった私の頭のなかにもこの短歌はしっかりと記憶された。当時の感覚からすれば、ちょっとおしゃれなイメージがあった「サラダ」に「記念日」を組み合わせる言葉の斬新さ、そして「この味がいいね」という軽妙さが非常に印象深かったのだ。いま、SNSで頻繁に「いいね」が飛び交う世の中からしても、同作品は「いいね」の先駆けと受け止めができる。そう思うと、この短歌の鮮度が時代を経ても変わらないことに感心するのだ。
このように私の俵万智に関する情報は1980年代半ばで止まっていたのだが、それは勝手な思い込みで、当然ながら彼女はまだ存命しているし、歌人として活躍もしている。本展を観て改めて同時代を生きる歌人、俵万智を実感した。会場は三つのエリアに緩やかに区切られており、彼女が少女から大人の女性へ、そして母へと成長する様子が感じられる構成となっていた。ひとつ目は『サラダ記念日』エリアで、大学時代を中心とした若かりし頃の短歌が紹介されていた。恋を詠んだ短歌が目立ち、青臭さと生々しさとが入り混じった印象を受ける。二つ目は回廊エリアで、社会人となり、子どもを出産してシングルマザーになった様子が伺えた。三つ目は『未来のサイズ』エリアで、人生の折り返し地点に立ち、息子を思う母の気持ちを詠んだ短歌が目立った。東日本大震災やコロナ禍に際して詠んだ歌もあり、誰もが抱えたもやもやした気持ちを彼女は短歌へと見事に昇華させていた。
そんな俵万智の短歌の数々をダイナミックに見せていたのが、トラフ建築設計事務所による会場構成だ。実は私が本展に興味を持ったきっかけも、彼らがデザインに携わったと知ったからだ。例えば恋の歌が多い『サラダ記念日』エリアにはハート形の展示台を設置し、短歌を立体的に紹介。ほかに柱や壁、アクリル板、家や船形の展示台などを使って会場中を短歌で埋め尽くし、その生き生きとした言葉を来場者が肌で体感できるようになっていた。絵や彫刻、写真といった有形物ではなく、言わば無形物の言葉をどう展示するかという課題に見事に応えた展覧会であった。
公式サイト:https://kadcul.com/event/42
2021/08/30(月)(杉江あこ)