artscapeレビュー

2023年09月01日号のレビュー/プレビュー

美しいHUG!

会期:2023/04/29~2023/08/28

八戸市美術館[青森県]

青森県に公立美術館ができたのは全国的にも遅く、2006年にオープンした県立美術館が最初で、その後、十和田、弘前にも相次いで市立美術館が開館。最後に満を持して登場したのが八戸市美術館だ、と思っていた。んが! 実は八戸がいちばん早く、1986年から存在していたのだ。ただし当初は博物館の分館として、税務署だった建物を改修して使っていたという。

八戸市美術館の「沿革」によると、開館から約30年の間に数多くの展覧会を開き、コレクションも約3千点を収蔵。大震災のあった2011年から「八戸ポータルミュージアム はっち」をはじめ、アートで地域を再発見するプロジェクトがスタート。同時に、美術館が教育委員会からまちづくり文化観光部へと移管するなかで、美術館の機能拡充や耐震工事などの必要性が生じ、2017年にいったん閉館。2021年に新たな美術館が完成した、という流れだ。余談だが、美術館の管轄が「教育委員会」から「まちづくり」や「観光」の部署へ移行するというのは近年の流行りだろうか。確かにそのほうが人は集まるかもしれないが、美術館はまちづくりや観光のためのものか、なんて思ったりもする。

場所は八戸市の中心部。広々した敷地に建つ白亜の美術館は、西澤徹夫建築事務所・タカバンスタジオ設計共同体による設計で、パッと見かなりでかい。なかに入ると、高さ18メートルの「ジャイアントルーム」と呼ばれる巨大な吹き抜け空間に圧倒される。こりゃ光熱費が大変そう。現在開催中の「美しいHUG!」展で、この大空間をうまく使ったのが青木野枝の大作《もどる水/八戸》(2023)だ。鉄の輪をつなげて円錐状に盛り上げた彫刻を5つ床に置き、頂上近くに卵をつけ、さらに上方に波紋のように鉄の輪を設置して、名物の南部せんべいや干し菊を吊り下げている。卵やせんべいを泡と見立てれば、われわれは巨大な水槽の底から水面を見上げている気分になる。



青木野枝《もどる水/八戸》


偶然か、水中から見上げた光景を彷彿させる作品がもうひとつあった。「ホワイトキューブ」と呼ばれる展示室の天井近くを、襖や障子、家具、ドア、窓などでびっしり覆った川俣正のインスタレーション《Under the Water 八戸》だ。家具や建具が一方向に流れるように配置された様は、津波で押し流される物体を水中から見上げた光景にほかならない。おそらく実際にこれを見た人はいないだろうし、いたとしたら生還できなかったに違いない。その意味では凄惨な光景のはずだが、しかし流れるような素材の配置といい、壁や床に映った影のパターンといい、憎いくらいの美しさに目を奪われてしまう。川俣は美術館の外部にも木材を使って鳥の巣のような《Nest in 八戸》(2023)をつくったが、これも津波からの連想でいえば、壁に引っかかった残骸に見えなくもない。



川俣正《Under the Water 八戸》


奥の展示室には、タノタイガがみずからの顔を型取りした面を壁に3千枚以上も並べている。そのうちすでに半分くらいは観客が色を塗ったり髪や髭をつけたりしていた。均一な面にそれぞれが好きなように顔を描くことで多様性が生まれるということだろう。タノは別室にも期間限定(7/29〜8/21)で《15min.ポートレート》(2008-2022)を出品。これは沖縄のいわゆる「旅館」に通い、そこの女性たちの服を着てその場で写真を撮ってもらうという10年越しのプロジェクト。展示室内は暗く、入り口で渡された懐中電灯で写真とコメントを照らし出して鑑賞するという妖しげな作品だが、タノの個性的かつ無表情な顔と、挑発的な下着姿とのギャップに言葉を失う。コメントを読んでいくと「ハグ」の言葉が見つかった。

出品作家はあと3人。きむらとしろうじんじんはド派手なメイクと衣装を着けて「野点」するアーティスト。陶芸の窯と茶道具一式をリヤカーに積み、参加者が茶碗に絵付けをするあいだ、お茶を点ててもてなす。本来は美術館とは無縁のストリートパフォーマンスだが、今回は美術館前で野点したドキュメントをはじめ、茶碗やアトリエの様子なども公開している。黒川岳は美術館の前庭に11点の石の彫刻を設置。一見ただの石の塊だが、ちょうど頭が入るくらいの穴が開いていて、頭を突っ込んでみるとさまざまな雑音が聞こえてくる。題して《石を聴く》(2018/2023)。井川丹は、市内の養護学校の中学生が共同制作し、同館が所蔵する巨大な版画《虹の上をとぶ船. 総集編Ⅰ・Ⅱ》(1976)を題材に、9時間(開館から閉館までの時間に相当)におよぶ作品を作曲し、館内で流している。



黒川岳《石を聴く》


それぞれ作品は彫刻、インスタレーション、写真、パフォーマンス、サウンドと多彩だが、いずれも八戸と関わりのある事象を題材にしたり、市民と共同制作したりしている点では共通する。つまり八戸と「ハグ」した作品というわけだ。ゲストキュレーターの森司氏によれば、「『美しいHUG!』は、この美術館との向き合い方、愛し方をテーマとした企画」とのことだが、しかしそんな「美しいHUG!」とは別に、もうひとつ裏テーマが見え隠れする。それを一言でいえば「反転」だろうか。

青木と川俣の作品は、水面を見る視点を水面下に反転させたものだし、タノの面やじんじんの茶碗は、作者が描くのではなくではなく観客に描かせる。また、タノは沖縄でみずから女装して相手に撮影してもらい、じんじんはドラァグクイーンさながらの異装で客を驚かす。さらに、黒川は外側から眺める彫刻を内側から聴く彫刻に反転させ、井川は逆に、見る版画を聞く音楽に変えてしまった。これらは、上/下、内/外、見る/見られる、つくる/つくられる、男/女、視覚/聴覚といった従来の固定した対立概念を反転させ、覆すものだといっていい。

その「反転」を端的に示すのが、川俣が見せた《Accidental photos》だろう。これは事故や戦争、自然災害などのカタストロフィを捉えた報道写真を集めたもの。カタストロフィとは簡単にいえば、安定した状態に徐々に不安定要因が加わり、特異点を超えると高波が崩れるように反転することだ。「美しいHUG!」に隠された過酷なカタストロフィ=反転のテーマ。これが一見軽いタイトルのこの展覧会に厚みと重みをもたせている。

関連レビュー

彫刻刀が刻む戦後日本—2つの民衆版画運動 工場で、田んぼで、教室で みんな、かつては版画家だった|村田真:artscapeレビュー(2022年07月01日号)

2023/08/11(金)(村田真)

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冨樫達彦 “Fahrenheit” by 灯明 / Lavender Opener Chair

会期:2023/08/11~2023/08/13

void+eaves[東京都]

気温およそ35度、肌がジリジリする日差しのなか、パラソルの中ではためく「アイスクリーム」というのぼりを見つけた。「Skin&Leather」と書かれた冷凍庫が外に置かれていて、人がけっこう集まっている。どうやらギャラリーの中に入って、そこでアイスクリームカップを1個800円で購入し、外に出て誰かにアイスクリームを注いでもらうらしい。うろうろしていたら本展のアーティストである冨樫達彦がアイスディッシャーをガシャガシャさせて2種類のアイスをよそってくれた。「今日はアイスがだれている。増粘剤の問題か、今日は冷凍庫を移動させたからか」と冨樫が言っていた。

富士通や日立といった家電メーカーはアイスクリームの推奨保存温度を摂氏マイナス18度だとしているが★1、それは華氏でいうと0度。アイスがだんだん溶けていく。本展のタイトルが「華氏(Fahrenheit)」であるうえでアイスクリームが提供されるならば、それはアイスクリームを基点とした世界への眼差しを提供しようとするものなのだろうか。確かにみるみるサラサラと溶けていく。


カップの中のアイスクリームの様子[撮影:森政俊]


出展作は「Leather」と「Skin」という名の二つのアイスクリームだ。《Skin》はパプリカとレモンピールがメインの食材★2。可食部のほとんどが皮であり、さまざまな肉詰め料理の皮にもなる野菜の筆頭パプリカと、ずばりレモンの皮でできたアイスは、牛乳の甘みとパプリカのどこかフルーティーなみずみずしさにレモンピールのこくが加わり爽やかで、プラスチックの小さなスプーンで掬ってすぐ「あ、おいし」と言葉がこぼれた。もうひと口。あともうひと口。うまいうまい。

暑い。コンクリートの上に置かれた巨大なサーキュレーターがごうごうと音をたてている。《Leather》と《Skin》がどんどん混ざっていく。《Leather》をすくう。《Leather》はなんというか、革の香りがする。牛革でいっぱいの鞄屋の匂いが味になったような気がした。スパイシーだけど甘い。コリアンダーシードが入っているかと思った(入っていなかった)。

これは「甘くておいしい」とかではなかった。食べ慣れた感覚になることはまったくなく、面白くて口内の感覚がフル稼働し始めるという意味で味わい深く、美味しい。もっと知りたいと思って口に運ぶも、3口くらいで食べきってしまった。カップには作品名が記載されており、ギャラリー裏の水場でゆすぎ、持ち帰ることにした。

《Leather》の黄色い見た目はサフラン由来。そこにしいたけ、京番茶、ホワイトペッパー、パンペロ★3、栗の蜂蜜でつくられているそうだ。しいたけについて尋ねると、冨樫が「マッシュルームレザー」が念頭にあると話してくれた。

それは「きのこレザー」ともいわれ、広いカテゴリーとしては天然皮革の代替品を目指し動物由来のものを一切含まない「ヴィーガンレザー」の一種だ。皮革のなかでも牛革は食肉と結びつく付随的な面ももつが、アニマルウェルフェア(動物福祉)、牛皮を革へと鞣す過程でクロムなど環境汚染を引き起こす化学物質を使用すること、また、そもそも畜産業が世界における温室効果ガスの排出の14.5%を占めるといった事象に対する解決の一助として、マッシュルーム、パイナップル、サボテンなど、非プラスチックのヴィーガンレザ―は近年開発が目まぐるしい★4

皮から毛を剥ぎ、脂肪を取り除いて柔らかくしたものが革になるということに対置するのであれば、牛乳や生クリームに砂糖とタンパク質を加え冷やし固めたものがアイスクリームだ。では、皮革に対する倫理や環境への意識をほかの食材に反射させていくとどのようなことが浮かび上がってくるだろうか。

いずれもその生産に関して動物福祉の面であったり(養蜂★5や養鶏の生育環境★6)、植民地主義的な問題(砂糖における大規模プランテーションといった歴史的な地域搾取★7)が透けて見えてくる。牛乳の場合はどうか。例えば、一度に40頭の搾乳が可能な大型搾乳機「ロータリーパーラー」が近年導入され、人員や時間の削減が見込める一方でその巨大装置の前で牛も人間も等しく機械の歯車となるべく、互いに気持ちを読み合うようになっていきながらも、両者とも心身を疲弊させていくということが報告されている★8。ここにきて酪農に関する報告書を読み始め★9、世界の至るところに問題が山積している、ということしかわからなくなってきた。

家の机の上には持ち帰ったアイスのカップがある。二つのアイスクリームは途中で溶け合ってしまったが、《Leather》の鮮烈さはいまもわたしの舌だか鼻だかをちらつく。広く「革」を模倣するということ、すなわちプラスチック系の「合成皮革(ヴィーガンレザー)」は、長きにわたって樹脂による「革の表面の模倣」だった。数年経ったらボロボロと崩れてしまうそれは、視覚的あるいは触覚的な水準での刹那の模倣である。わたしは植物性のヴィーガンレザーを手に取ったことはまだない。しかしそれは、一体「革」の何を模倣しようとしているのだろうか。


ギャラリーの外で行なわれていた作品の提供の様子[撮影:森政俊]


冨樫のアイスクリームは事物としての「皮」と模倣としての「革」をひとつのカップの中に収める。だが、それはきっとマイナス18度の冷凍庫を出たらものの数分で融解してしまい、作品の構造そのものが溶けてなくなってしまう。「Fahrenheit」、それはこのアイスクリームを《Skin》を《Skin》として、《Leather》を《Leather》として体験できる、一瞬の温度を指した言葉なのかもしれない。


展覧会の観覧は無料、アイスクリーム《Leather》と《Skin》は800円で購入可能でした。



★1──「アイスクリームが凍りにくいです。」(『日立の家電品』)
https://kadenfan.hitachi.co.jp/support/rei/q_a/a90.html
★2──その場で作者の冨樫達彦氏に筆者が素材について質問した。
★3──パンペロ社によって製造されているベネズエラ産のラム酒。「パンペロ アニバサリオ」は豚の革の袋に包まれて販売されている。
★4──「ヴィーガンレザ―」については以下を参考としている。
エミリー・チャン「天然皮革をよりサステナブルにすることは可能?」(『VOGUE』、2021.6.4)
https://www.vogue.co.jp/change/article/ask-an-expert-sustainable-leather
廣田悠子「アディダスのキーマンが語る“キノコの菌製”人工レザーの課題と可能性」(『WWD』、2021.5.11)
https://www.wwdjapan.com/articles/1212585
★5──中村純「ダーウィン養蜂とミツバチのアニマルウェルフェア」(『玉川大学農学部研究教育紀要』第5号、2020、pp.45-67)
https://www.tamagawa.jp/university/faculty/bulletin/pdf/2_2020_45-67.pdf
★6──山本謙治「突撃インタビュー『やまけんが聞く!!』」(『月刊専門料理』2023年8月号、柴田書店、2023.7、pp.114-117)
★7──マーク・アロンソン、マリナ・ブドーズ『砂糖の社会史』(花田知恵訳、原書房、2017)
★8──ポール・ハンセン「乳牛とのダンスレッスン」(『食う、食われる、食いあう : マルチスピーシーズ民族誌の思考』近藤祉秋、吉田真理子訳、近藤祉秋、吉田真理子編、青土社、2021、pp.108-131)。ハンセンによるこの北十勝のフィールドワーク論考はすばらしいので機会があればぜひ読んでほしい。牧歌的表象としての日本の酪農についてから、技能実習生にとっての北海道への憧憬とその失望に至るまでつぶさに書かれている。
★9──「バター不足、TPPで深刻化へ ─時代遅れの酪農振興策が招く悲劇─」(『キヤノングローバル戦略研究所』、2016.8.18)
https://cigs.canon/article/pdf/160818_yamashita.pdf



冨樫達彦 “Fahrenheit” by 灯明 / Lavender Opener Chair:https://www.voidplus.jp/post/725053469531291648/

2023/08/12(土)(きりとりめでる)

中根唯個展「目の奥でなでる」

会期:2023/08/09~2023/08/29

TAKU SOMETANI GALLERY[東京都]


「今はもう触れない犬を思い出し、イメージしながら頭の中でなでる。なでたときの手触りの記憶とともにイメージを頭に浮かび上がらせる。どうしても忘れそうになってしまうので、なんとか暖かさや体のかたちを思い出しながら。」


[展覧会の作家ステイトメントより]


大きさが横幅50センチメートルほどある、卵のような楕円形の白地の立体《絵のかたまりの毛(#003)》(2023)には、10センチメートル程度の長さのモノクロの線がおびただしく描かれていた。よく見ていくと、線にはまとまった流れがいくつもある。そのまとまりにつき15本くらいの細い線が群となってなってうねる。時にそれは合流し、渦を巻く。

ギャラリーの中を一周し、会場にあるハンドアウトで作家のステイトメントを読むと「犬」について書かれている。そうするともう、この立体のつややかなキャンバスがわたしには犬にしか見えなくなった。その線のまとまりは毛並みであり、うねりの合流地点はつむじなのだ。眠るようにまるまった犬の背中のような、つるりとした立体。シリーズ名は「毛皮」。

犬のよすがとしての半立体にしんみりとしつつ、ステイトメントには制作で思考されているもうひとつの事象について記してあった。それを「視覚による触覚」と要約してもいいだろう

ここで考えたいのは、壁から突出した棒の先端に、発砲ウレタンとジェスモナイトでつくられた手のひらサイズの石のような立体がくっつき、その「石」の表面に描画がなされている「長い絵」シリーズだ。棒の先端の立体に浮かび上がるように風景が描かれているからか、遠くの眺めを「覗き込んで見ている」という観賞体験が生じているように思う。その鑑賞体験を生み出した形状は、18世紀に発明されたステレオスコープ(望遠鏡)を思い起こさせるし、ステイトメントと作品の形状は、19世紀に登場した「ステレオスコープ」が、両目で異なる像を見ることによって、そのイメージの触覚性(立体視)を与えようとする装置と位置付けられたという、一連の視覚経験の系譜についての議論が想起させられた。


19世紀の典型的なステレオスコープ(画像はWikimedia Commonsより)。レンズによって、スコープと紙の実際の距離よりも遠く、大きくイメージが見える


哲学史からしても視覚と触覚の対峙的な考察は多種多様だが、18世紀に照準を絞れば、世界の知がどのように与えられるか・得られるかという点で、真理に至るための絶対的な立ち位置を占める視覚と、それを相対化するものとしての触覚という関係性が両者には存在する。例えばディドロによる、幾何学にしても視覚的な認知に基づくものだけでなく、触覚によりその真理に到達可能なのではないかという提起がそれに該当する。そういった時代の問いと比べると、中根のステイトメントは視覚を契機とした触覚の思い出しの可能性であり、遠くを見るということ自体の再考である。すなわち、18世紀の視覚の相対化以上に、視覚に可能なことは何かという、視覚の非万能性に立脚した、不能への挑戦という姿勢を感じる。


中根唯個展「目の奥でなでる」会場写真


この丸みはどこから見た犬の背中か。それは膝の上に乗って丸まった犬を見下ろし撫でながら目にした様子ではないか。それが壁に水平に掛けられる。絵画の正面性が、何らかの身体的状態と結びついているのだ。そこから考えてみると「長い絵」では、その棒の高さや、壁からのしなだれ具合が何を成しているのかということが気になってくる。犬の背中のように、それは「どこからいつ見ることができたか」ということを記録し、再演するための治具なのではないか。膝をどれほど折って初めて見ることができる風景なのかという、対象との距離だけではなく、例えば幼い日からの時間的な遠さが、棒の傾きと「石」の位置に反映されているのではないだろうか。

同じく18世紀の視覚と触覚をめぐる議論に「モリヌー問題」がある。それは盲人の目が見えるようになった瞬間、それまで触覚的に把握していた幾何学的形態のことを、視覚的に立ち現われた幾何学に即座に当てはめて理解できるかという問いである。答えは「できない」ということなのだが、「毛皮」にはその「できない」が「もしかしたらできるかもしれない」と思わせる力があるように思えるのだ。

展覧会は無料で観覧可能でした。



★──ハンドアウトに記載のあったステートメントの全文は以下の通り。
「遠くの景色を眺めるとき、頭の中の手でどうにかその景色を触りながら見つめている。もちろん実際には触れないのだが、イメージした手で建物やら山やら道やらをなでたりなぞったりする。あの山に生き物はいるだろうかとか、あの道を人は歩くだろうかとか考えながら。
飼っていた犬を思い出す時もそうで、今はもう触れない犬を思い出し、イメージしながら頭の中でなでる。なでたときの手触りの記憶とともにイメージを頭に浮かび上がらせる。どうしても忘れそうになってしまうので、なんとか暖かさや体のかたちを思い出しながら。」


主要参考文献:
・ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』(遠藤知巳訳、以文社、2005)



中根唯個展「目の奥でなでる」:https://takusometani.com/2023/08/05/中根唯個展%E3%80%80「目の奥でなでる」

2023/08/24(木)(きりとりめでる)

カタログ&ブックス | 2023年9月1日号[テーマ:「物語る」表現と、それに触れる人の揺らぎを見つめる5冊]

災害の記憶から紡がれる言葉や、自らの状態を他者に伝える言葉。「物語る」と「話す」はどう異なるのでしょうか。6組の作家の表現から「物語ること」の多面性に触れる展覧会「物語ることも、物語らないことも、物語れないことも」(はじまりの美術館で2023年10月9日まで開催)に関連し、語りと人の関係性を見つめる5冊をご紹介します。

※本記事の選書は「hontoブックツリー」でもご覧いただけます。
※紹介した書籍は在庫切れの場合がございますのでご了承ください。
協力:はじまりの美術館


今月のテーマ:
「物語る」表現と、それに触れる人の揺らぎを見つめる5冊

1冊目:ハンターギャザラー

著者:鴻池朋子
発行:羽鳥書店
発売日:2018年11月7日
サイズ:16×22cm、115+7ページ

Point

2018年に秋田県立近代美術館で開催された展示の図録。同地でその4年前から始まり現在も続く、旅先で出会った人々の話を鴻池が聴き取り、描き起こした絵を語り手と共にランチョンマットにする『物語るテーブルランナー』のシリーズは、市井の人々の記憶への柔らかい目線と手仕事の集積に、静かに心揺さぶられます。


2冊目:やまなみ

写真・文:川内倫子
発行: 信陽堂
発売日:2022年2月17日
サイズ:29cm

Point

「物語ることも〜」展の出展作家でもある井上優が所属する、滋賀県の障害者多機能型事業所・やまなみ工房に川内が長期間通い、撮影した写真集。利用者それぞれが抱く「これをすることが幸せである」という思いから生み出される数々の豊かな表現と、それらを包む空間の光。素朴で端正な造本からも工房の空気が伝わります。


3冊目:10年目の手記 震災体験を書く、よむ、編みなおす

著者:瀬尾夏美、高森順子、佐藤李青、中村大地
発行:生きのびるブックス
発売日:2022年3月11日
サイズ:19cm、205ページ

Point

「時間が経ったいまだからこそ、言葉にできることがある」。東日本大震災の“被災者”という枠組みによってかつてこぼれ落ちてきたものも含め、編者たちの元に寄せられた手記を一つひとつ読み、追体験し、そこで語られなかった言葉にも思いを馳せる。他者の言葉を読む行為のなかにある、原初的な豊かさを実感する一冊。



4冊目:物語としてのケア ナラティヴ・アプローチの世界へ(シリーズケアをひらく)

著者:野口裕二
発行:医学書院
発売日:2002年6月1日
サイズ:21cm、212ページ

Point

誰かに自分の経験を語るうちに記憶が整理され、そこに物語としての輪郭が生まれることで自己理解が高まるという経験に覚えのある人は少なくないはず。精神医学の現場において、病いの経験に関する当事者の語りに着目し、ケアやカウンセリングを捉え直す「ナラティヴ(=語り・物語)・アプローチ」を知るための入門書。



5冊目:わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か(講談社現代新書)

著者:平田オリザ
発行:講談社
発売日:2012年10月18日
サイズ:18cm、230ページ

Point

個々人の間で、世界の捉え方は微妙に異なっている。そのことを認識するところを出発点に、わかりあえる部分を探っていくための「対話」とは何か。現代日本におけるコミュニケーションへの疑問や違和感、そして「物語る」行為と重なり合うところや違いも念頭に置きながら読むことで、より多くの発見がありそうです。







物語ることも、物語らないことも、物語れないことも

会期:2023年7月29日(土)~10月9日(月・祝) ※火曜休館
会場:はじまりの美術館(福島県耶麻郡猪苗代町新町4873)
公式サイト:https://hajimari-ac.com/enjoy/exhibition/monogatarukoto/

※展覧会会期終了後、関連イベントの記録なども収録した「記録集」を、はじまりの美術館館内とオンラインショップで販売予定。

2023/09/01(金)(artscape編集部)

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2023年09月01日号の
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