artscapeレビュー
2024年02月01日号のレビュー/プレビュー
ロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)
[アメリカ合衆国、ロサンゼルス]
新年をメキシコシティの独立記念塔の前で何万もの人たちとともに迎え、元日にLAに移動。LAへはクリスト&ジャンヌ・クロードによる「アンブレラ・プロジェクト」を見に行った1991年の秋以来だから、実に32年ぶり2度目になる。あのときは「アンブレラ」の取材がメインだったし、そっちの印象が強かったせいか、美術館もいくつか回ったけどあまり記憶に残っていない。
LACMA
中央の本館では「スルタンのいるダイニング:祝宴の芸術」「織られた歴史たち:テキスタイルと近代の抽象」「永遠のメディウム:石に世界を見る」など、現代美術に限らず古典ものからイスラムものまで幅広く企画展をやっている。特におもしろかったのが、17世紀オランダの絵画と博物学を紹介する「驚くべき世界:オランダ人コレクターのキャビネットと所有の政治学」と、第1次世界大戦時のポスターや映像を集めた「前線を想像せよ:世界大戦争とグローバルメディア」。こんなところでヴンダーカンマーや戦争プロパガンダのポスターが見られるとは。
屋外にも作品がある。まず入り口に配されているのがクリス・バーデンの《街灯》(2008)。文字どおり古いタイプの街灯が200本ほど林立している。これは昼間に見ても作者の意図は伝わらない。その後たまたま夜にバスで前を通ったら明かりがついて、実に妖しくも荘厳な雰囲気を醸し出していた。その反対側の美術館の奥にあるのがマイケル・ハイザーの《浮いた塊》(2012)。中央が窪んだ全長140メートルの道をつくり、その上に340トンの巨岩を乗せて下をくぐり抜けるという作品だ。ハイザーは壮大なアースワークで知られたアーティストで、かつて荒野に一直線に切れ込みを入れたような作品をつくっていたが、これはそうしたアースワークのパブリックアートへの応用と捉えるべきか。巨岩を支えるための留め具がついているのが、アースワークではなくパブリックアートであることの証だ。これらに比べれば、ブロード現代美術館前に置かれた奈良美智の彫刻はとても控えめに映る。
ロサンゼルス・カウンティ美術館(Los Angeles County Museum of Art: LACMA):https://www.lacma.org/Broad Contemporary Art Museum
ブロード現代美術館(Broad Contemporary Art Museum: BCAM):https://broadfoundation.org/grantees/broad-contemporary-art-museum-lacma/
The World Made Wondrous: The Dutch Collector’s Cabinet and the Politics of Possession(驚くべき世界:オランダ人コレクターのキャビネットと所有の政治学)
会期:2023年9月17日(日)~2024年3月3日(日)
会場:ロサンゼルス・カウンティ美術館
(5905 Wilshire Blvd., Los Angeles, CA 90036)
Imagined Fronts: The Great War and Global Media(前線を想像せよ:世界大戦争とグローバルメディア)
会期:2023年12月3日(日)~2024年7月7日(日)
会場:ロサンゼルス・カウンティ美術館
2024/01/02(火)(村田真)
ザ・ブロード、ロサンゼルス現代美術館(MOCA)、ハウザー&ワース・ギャラリー
[アメリカ合衆国、ロサンゼルス]
ホテルの前から地下鉄に乗ってダウンタウンのシビックセンター/グランドパーク駅で降りて、フランク・ゲリー設計のウォルト・ディズニー・コンサートホールを横目に見ながらザ・ブロードへ。ここはブロード夫妻が集めたコレクションを公開するため2015年に開館した現代美術館で、細かい採光窓が斜めに入った白い外観は、直方体の躯体にベールをかぶせたような印象だ。その建設費1億4000万ドル(約210億円)もブロード夫妻が出資したという。入館すると洞窟のような内装に面食らう。美術館は世界的に建築の実験場になってるなあ。
建物は3階建てで、1階と3階が展示室。コレクションは1950年以降のアメリカを中心とする現代美術ばかり。アンディ・ウォーホル、バーバラ・クルーガー、ジェフ・クーンズらなじみのあるアーティストの作品もあるが、ぜんぜん知らない作家の超巨大な(それだけに薄味の)作品も多い。また、名前や主題から察するに、ネイティブアメリカンやアフロアメリカンのアーティストも多いように感じた。久しぶりのアメリカなので、これが21世紀のアメリカ美術かと感心したり呆れたり。ちなみに日本人作家で見かけたのは草間彌生と村上隆の作品のみ。
斜向かいのロサンゼルス現代美術館へ。かつてMOCAといえば磯崎新設計のこの美術館を指していたけど、いまや各地に現代美術館が林立したせいかLAMOCAと呼ばれることが多い。また、前回来たときはここが最先端だったのが、いまや最先端があっちこっちに分散してしまい、ここは閑散としていた。いや閑散としていたのは展示が1970〜1980年代の美術を中心としていたせいかもしれない。いまの「目立てば勝ち」みたいなアートとは違い、半世紀ほど前は見るものを考えさせる美術が多かったからなあ。ところで、この近辺にディズニー・コンサートホールやザ・ブロードなど特徴のある建築の文化施設が多いのは、MOCAの建築が起爆剤になったからではないかとにらんでいる。もっともディズニー・コンサートホールやザ・ブロードが建ったいまとなっては、MOCAはむしろオーソドックスな古典建築の風格さえ漂っているが。
バスで倉庫街のハウザー&ワースへ。ハウザー&ワースはチューリヒで創業したギャラリーで、世界に17もの支店を持つ「メガギャラリー」のひとつ。驚くのは地中海の小さな島をひとつ丸ごとアートセンターにしたり、イギリスの庭園を現代美術の展示場にしたり、やることの規模が大きすぎてギャラリーの枠を超えているのだ。ここでも2階建ての大きな建物を丸ごとギャラリーに当てている、と感心していたら、そんなもんじゃなかった。裏に続く倉庫もすべて別の2つのギャラリーとレストラン、ブックショップなどに使われ、この一区画全体がハウザー&ワースの敷地らしいのだ。これはおったまげ。いったいどんだけ稼いでいるんだ? またこの界隈にはNPOのアートセンターやカフェが集まり、壁はグラフィティに覆われ、まるでかつてのニューヨークのソーホーを彷彿させる。扱われている作品はそんなに大したことないのにね。
The Broad:https://www.thebroad.org/
2024/01/03(水)(村田真)
ゲティ・センター、ゲティ・ヴィラ
[アメリカ合衆国、ロサンゼルス]
32年前はまだゲティ・センターはなく、ヴィラを訪れた記憶はあるが、ヴィラのほうもその後リニューアルされたという。まずはホテルからバスを乗り継いでゲティ・センターへ。バスを降りるとそこから丘の上までトラムに乗る。これは快適。しかもトラムもセンターの入場料もタダというから太っ腹だ。創設者のジャン・ポール・ゲティ(1892-1976)は石油王として世界一の大富豪になったこともある実業家。金持ちといっても日本とはスケールが違う。丘の上に建つセンターはリチャード・マイヤーの設計で1997年に開館、そのうち美術館は5棟の白いモダンな建物からなる。美術館のテラスに出ると眼下にLAの街から太平洋までが広がり、絶景というほかない。
ここでは中世から近代までの絵画を中心に展示している。あるわあるわ、マサッチョからルーベンス、ターナー、モネ、ファン・ゴッホまで教科書どおりにひととおりそろえている。この大富豪は美術が好きというより、みずからのルーツであるヨーロッパに憧れ、ヨーロッパの歴史・文化を可視化した絵画を買い集めることで(西洋)美術史そのものを手に入れたかったに違いない。そのせいか、一流品はあっても超一流品はない。そもそも集めたのが20世紀なので、超一流品はすでにヨーロッパの老舗ミュージアムに収まっていたのだ。
と思って見ていたら、ティツィアーノの《ヴィーナスとアドニス》があるではないか。古典絵画のなかでもこれがもっとも価値が高そうだが、しかしこの作品は何点ものヴァージョンがあって、ここのは工房作とする専門家もいる。ファン・ゴッホの《アイリス》もある。バブルの時期に約73億円で落札されて有名になった作品だが、購入者が手放したのを入手したのだろう。あれこれ手を使って買い集め、美術史の教科書をつくろうとしたことがわかる。規模の大きさ、建築および環境のすばらしさに比べて、中身はやはりアメリカン(少し薄い)というのが正直な感想だ。
Uberでゲティ・ヴィラに移動。ヴィラはポンペイの近くに埋もれていた邸宅を模した美術館で、古代ギリシャ・ローマの美術を中心に展示している。ここに来ると、ゲティがヨーロッパに恋焦がれてコレクションと美術館建設に走ったことが、推測ではなく確信に変わる。LACMAにしろザ・ブロードにしろMOCAにしろ、いずれも世界の現代美術が中心なのに、ヴィラとセンターだけが古代から近代までの西洋美術に限定しているからだ。これはジャン・ポール・ゲティの個人的な好みもあるだろうが、むしろ自分のルーツを西洋に求めたがる保守的なアメリカ人の嗜好を反映したものと捉えるべきかもしれない。それにしても、繰り返すようだが中身はともかく、土地と建物にどれだけ大金を注ぎ込んだことか。しかも驚くべきことに入館無料なのだ。ちなみに、ゲティも含めてこの3日間で訪れた美術館5館の入場料はすべて無料だった。道理でどこも混んでるはずだ。
The Getty:https://www.getty.edu/
2024/01/04(木)(村田真)
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』4Kリマスター版
映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』4Kリマスター版を鑑賞した。その前作の終盤において「何もかも、みな懐かしい」という有名なセリフがあるが、ティーンエイジャーのときに熱中した時代を思い出す。もっとも、1978年の公開時は小学生だったため、カセットテープ版のサントラを何度も聴いた後、確かようやくレンタルビデオで見たので、実はスクリーンで観るのは初だった。そうした経緯もあって、個人的には宮川泰が作曲した音楽や劇伴、名セリフの数々の方が強く印象に刻まれた作品なのだが、大きな映像で鑑賞しても、やはり各場面において、それらの存在感は圧倒的である。もちろん、冒頭のシーンで豆粒のように小さい状態から白色彗星を確認できるのは、映画館ならではの体験だった。公開当時に忠実な4Kリマスター版ということで、最後にこれでヤマトはもうみなさんの前に姿を現わすことはないでしょうというメッセージまで含まれていたが、その後現在までえんえんとシリーズが続いている歴史を知ると、複雑な気分になる。特攻の美化を良しとしない松本零士の意向や、続編でさらに儲けようという商業的な理由が絡みあい、今日までヤマトは生きながらえた。
満身創痍の戦闘の果てに超巨大戦艦が出現したときの絶望感、そして主人公を含む、ほとんどの乗組員が死んでしまう展開は、リアルタイムで劇場鑑賞したファンにとっては衝撃作だっただろう。これは敗戦を体験した世代が制作したSFロマンの極として興味深い。考えてみると、太平洋戦争で戦艦大和は沈没し、日本は負けたが、未来の危機において、今度は宇宙戦艦として蘇り、日本人が地球を救うという凄まじい物語である(名前を見るかぎり、乗組員はすべて日本人だと思われる)。ある意味でナショナリズムをくすぐる偽史めいたフィクションだろう。ちなみに、いまとなってはエピソード4と呼ばれる第1作の『スター・ウォーズ』(1977)の影響も強い。例えば、アナライザーはR2-D2の翻案だし、都市帝国への潜入もデス・スターの攻略と重なる。当時、『スター・ウォーズ』の方は、父に連れられて映画館で鑑賞したが、特撮の技術は小学生の筆者に強烈なインパクトを残した。その後、劇場公開されたシリーズはすべて映画館に足を運んでいるが、SFXは飛躍的に進化しても、最初の衝撃を超えることはない。
ともあれ、死ななかったテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト2』(1978-79)のパラレルワールドをつくり、続編を制作したヤマトに対し、庵野秀明は自分はやらないと語った。なるほど、エヴァンゲリオンの新劇場版は続編ではない。監督自らが語りなおし、抽象的なエンディグの解像度を上げるための作業だった。
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』4Kリマスター版:https://starblazers-yamato.net/4kremaster/index.html
2024/01/07(日)(五十嵐太郎)
開館20周年記念展 私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために
会期:2023/10/18~2024/03/31
森美術館[東京都]
美術館の大規模な企画展を見てしばしば思うのは、せっかくつくり上げた展示ディスプレイを会期終了後に取り壊してしまうのはもったいないなということだ。いくらハリボテとはいえ、いくら使い回しがきかないとはいえ、展覧会のテーマに合わせ丁寧につくり込まれた陳列台や装飾の大半は廃棄される運命にあるのだ。まあ大規模展なら何十万人もの観客が見てくれるし、億単位の金が動くだろうから、ディスプレイごときにケチなことはいわないのだろうけど。と思っていたら、森美術館が前の展覧会の展示壁や壁パネルをそのまま再利用していた。お、やるじゃん。しかも森美術館がやると貧乏くさくなくてオシャレに見えるんだよね。そもそも「エコロジー」がテーマの企画展だから理にかなっているというか、それ自体が出品作品のひとつみたいに自慢げでさえある。
森美術館はこれまでにも「カタストロフ」「AI 」「パンデミック以降」など時宜にかなったテーマの企画展を開いてきた。現代美術館としての使命をわきまえているというか、流行にすぐ飛びつくというか、いずれにせよ他人事のようにただテーマに沿って作品を集めましたってだけでなく、展示壁の再利用のように自分たちの問題として取り組んでいるところがエライ。次回展も同じく展示壁を使い回したら尊敬しちゃうけどね。それでこそサステイナビリティってもんだ。
展示は、ハンス・ハーケが1970年前後に気象現象や動植物を撮った記録写真《無題》(1968-1972)から始まる。1970年の「人間と物質」展の出品作品《循環》(1970)も含めて、このころから彼が自然の循環について考えてきたことがわかるが、なぜそれがその後の大企業を告発するような作品に移行したのか不思議に思っていた。今回、19世紀にはエコロジーとエコノミーが同義語として用いられていたこと、そして自然の生態と人間の経済はそれこそひとつの大きな生態系のなかでつながっていることを知り、長年の謎が解けた気がした。やれやれ、半世紀がかりだ。
次の部屋には床に5トンのホタテの貝殻が敷き詰められ、その上を歩けるようになっている。ニナ・カネルの《マッスル・メモリー(5トン)》(2023)だ。貝殻は自然のなかで何億年もかけて石灰石に変わり、それを人間はコンクリートの原料として建材に利用する。ホタテにとって貝殻は家のようなものだが、それが巡り巡って人間の家になるわけで、この貝殻を踏みつぶすという行為も生物が建築に近づいていく過程を示唆するものだという。ただし貝殻を建材として実際に利活用できるようにするには、重油をはじめ多大なエネルギーを消費しなければならないというジレンマに直面する。まあそんな固いことは考えずに、パリパリと貝殻を踏みつぶして楽しんでいる観客が大半だが。
第2章では、岡本太郎や桂ゆきの絵画、中谷芙二子のビデオなど、戦後日本で制作された核実験や公害を告発する作品が並ぶ。中西夏之や工藤哲巳のオブジェもエコロジーの観点から再解釈しているが、それより取り上げるべき作家はほかにもいそうな気がする。殿敷侃の《山口─日本海─二位ノ浜 お好み焼き》が首都を見渡せる展示室に置かれているのはすばらしい。海岸に掘った穴に拾い集めたゴミ(プラスチックが大半)を入れて燃やし、大きな塊にした作品だ。眼下に広がるこの大都市も焼け野原にならないよう祈るばかりだ。
ほかにも、「エコロジー」をテーマによくこれだけ探し集めたものだと感心するほど多様な作品が紹介されているが、最後の最後に笑ってしまうようなケッサクが待っていた。照明が消されたその部屋は天窓から日光が差し込み、壁に沿って足場が組まれている。それだけ。これは天窓の故障が見つかったため足場を組んで修理し、それをアサド・ラザが作品化したというもの。この部屋をラザに割り振ってから天窓の故障が見つかったのか、それとも最後の部屋の天窓が故障していたからラザに作品化させたのか知らないが、ここが超高層ビルの最上階で、展覧会の最後であることが重要だ。結果的に、最近の美術館としては珍しく自然光によるエコロジカルな展示室を実現させたのだ。しかも修理後は六本木の「朝日神社」の宮司を呼んで神事を行なったというから、櫓のような足場には崇高さといかがわしさが加わることになった。
開館20周年記念展 私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために:https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/eco/
2024/01/20(土)(村田真)