2018年01月15日号
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artscapeレビュー

染付古便器の粋──青と白、もてなしの装い

2017年02月01日号

会期:2016/12/28~2017/01/09

Bunkamura Gallery[東京都]

牡丹に雀、竹に雀、菖蒲や水仙、楓、朝顔、波に鶴等々、白地に鮮やかな青で見事に絵付けされた陶磁器がギャラリーに並ぶ。中国では青花、ヨーロッパではBlue & Whiteと呼ばれ、日本では17世紀初頭に有田で磁器が焼かれるようになって以来、400年にわたって行なわれてきた伝統的な装飾技法である染付。とても美しい。美しいけれども、並んだ製品はいずれも便器だ。小便器も大便器も、外側はもちろんのこと、縁、内側にまで細やかに絵付けが施されている。用を足すための調度に、職人達はなぜこれほどまでの手をかけたのだろうか。その凝った意匠の存在はさておき、陶磁器製の和式便器はそれなりに伝統ある製品だと思い込んでいたのだが、生産が盛んになったのは明治半ばのことだ。明治24年(1891年)の濃尾大震災以降、復旧家屋にそれまでの木製に代わって陶器製の便器を設置する人たちが増え、東海地方を中心に陶器製便器が普及していくなかで、製品に染付画が施されたのだという。初期の形はそれ以前の木製便器に倣ったものだったが、その後、現在まで和式トイレに見られる小判型の磁器製便器が登場した。主要な産地は瀬戸(愛知県)、有田(佐賀県)、平清水(山形県)。技術的には石膏型や転写による絵付けが導入されて量産システムが成立していく一方で、明治37~38年(1904~05年)ごろには染付の磁器製便器は廃れはじめ、青磁釉を施したものが主流になる。大正12年(1923年)の関東大震災以降は需要の増大と衛生意識の高まりから、白い無地の磁器製便器が普及していった。ということは、染付便器の生産、流行は地域によっても差があるが、明治半ばから大正期にかけての30~40年間ほどの出来事ということになろうか。意外にも短い期間なのだが、骨董市場ではしばしば見かける品なので、相当数が生産され、設置されたのだろう。それにしても、木製の時代にはなかった便器への絵付けが陶磁器製になって行なわれたのはなぜなのか。陶磁器製品だからその他の器と同様、そこに絵付けすることが当然だったのだろうか。じつは便器への絵付けは、日本よりもヨーロッパが先行している。ウェッジウッド社など、イギリスの著名な陶磁器メーカーは18世紀中から精緻な絵付けを施したチャンバーポット(おまる)をつくっていたし、衛生意識が高まり上下水道が普及しはじめた19世紀半ばにはBlue & Whiteなどの絵付けやレリーフ装飾を施した水洗便器が登場している。 明治半ば、ヨーロッパの陶磁器製便器に倣って和式の便器に絵付けを施すようになったと考えても不思議ではなさそうだが、果たしてどうだろうか。
展示されている古便器は主に生け花「古流松應会」の家元・千羽他何之氏のコレクション。ふだんはINAXライブミュージアム(愛知県常滑市)で見ることができる。展示されている逸品の中でも「最高級」の品は、六代加藤紋右衛門(1853~1911)のもの。紋右衛門の窯では輸出向けの花瓶やピッチャー、チュリーンなどから、タイル、便器にいたるまで、あらゆる陶磁器製品を生産し、海外の万国博覧会や内国勧業博覧会に積極的に出品していた。日本初の和風水洗大便器、洋風小便器を製造したのも紋右衛門の窯なのだそうだ(ちなみに松濤美術館「セラミックス・ジャパン」展には、紋右衛門窯の「染付草花図サーバー」が出品されている)。こうした高級な染付の便器は主として料亭や旅館、富豪の屋敷の客用トイレに設置され、その文様が客人の目を楽しませたということだ。[新川徳彦]


展示風景

★──服部文孝「染付古便器の歴史」『染付古便器の粋──清らかさの考察』INAX出版、2007年11月、55~60頁。

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