artscapeレビュー
山縣太一×大谷能生『海底で履く靴には紐が無い』
2015年07月01日号
会期:2015/06/02~2015/06/14
STスポット[神奈川県]
永らくチェルフィッチュを役者として牽引してきた山縣太一が自ら脚本・演出を務めた本作、間違いなく誰もが驚いたのはその主演が大谷能生であったことだろう。台詞や出演時間を考えると大谷のパフォーマンスは1時間を少し超える舞台の約8割を占めていた。それどころかもっとびっくりさせられたのは、大谷の身体所作が奇妙なメソドロジーを背景にしているということに違いあるまい。初期のチェルフィッチュのようだと形容されもしよう。いやしかし、その根底にあるのは岡田利規の存在以上に、パフォーマーの手塚夏子の存在が無視できない。山縣本人もアフタートークで口にしていることだが、手塚夏子が15年ほど前に同じSTスポットで『私的解剖実験2』という舞台を上演したことは、山縣の役者活動に大きな影響を及ぼしたという。身体のある一部に極端に注目すると、その意識は身体のその他の部位へと波及し、身体は自走の状態になる、手塚はこの作品でそうした発見を「実験」と称して上演した。山縣はこの舞台を見ながら「なんで手塚さんは自分の身体のことがわかるのだろう」と思ったという。ひとつの衝撃が形を結ぶまで15年かかるのか。長いようでも短いようでもある。ともかく、過去は未来を温存しているのだ。役者となった大谷は稽古に6カ月ほどをかけ、独自の「太一メソッド」を体現した。驚くのは「体現」といえるほど十分に、大谷の身体が変身を果たしていたと言うことだ。そこには、手塚を通して感じていた独特のグルーヴがあった。ゆえにこの舞台はダンス公演でもあった。さて、問うべくは、この舞台を現在の観客たちがどう評価するかという点だろう。懐古趣味に映る? そういうことも否定できまい。ようは、この独自の身体性の価値を、今後山縣がどう社会に訴え続けるかにかかっているだろう。まるで山縣の分身とも映る主人公の男は、繰り返し、「ねえ、ぼくの話を聞いてくれる?」と飲み屋で、会社の若手社員2人にそう話しかけるが、無視され、一向に望みは達成されない。しかし、今作で人々は山縣の思いを結構ちゃんと受けとめてくれたはず。だからこそ、今作で終わりにせず、腰を据えて、自分のメソドロジーを継続的に社会に訴え続けてほしい。
2015/06/05(金)(木村覚)