artscapeレビュー
ヨコオ・マニアリスム vol.1
2016年11月15日号
会期:2016/08/06~2016/11/27
横尾忠則現代美術館[兵庫県]
備忘録とアイディアスケッチを兼ねた日記、作品のモチーフとして引用された写真や印刷物、作品から派生した商品やグッズ、絵葉書やレコード、フィギュアなどの膨大なコレクション。こうした横尾忠則の制作に関するアーカイブ資料に光をあて、調査過程の現場も含めて公開する展覧会シリーズが「ヨコオ・マニアリスム」である。本展はその第一弾。
横尾が1960年代より書き続けている大判の日記には、その日の出来事の記録や写真の貼付に加えて、アイデアのメモやラフスケッチも記されている。日記の見開きページの複写と、「完成作」の絵画作品が対置され、両者の対応関係を読み取れる展示構成だ。さらに、半ズボンの制服姿で探検する少年たちや、涅槃像といった同一モチーフが自己引用的に反復されることで、作品どうしがゆるやかに変奏していくようなシークエンスが構成される。また、絵画やポスターのモチーフの引用元となった雑誌の写真や挿絵、自作を商品化したグッズ、「涅槃像」「猫」「ビートルズ」「ドクロ」といったカテゴリーごとにコレクションされた切り抜きやフィギュアが並置され、イメージが乱反射し合う磁場を出現させている。それは、大量生産されたイメージが「作品」を生み出し、さらに「作品」(の一部)がグッズやポスターなどの複製品として大量生産されていく、イメージが引用と消費を繰り返しながら自己増殖する回路である。横尾の「ポップさ」とは、単に図像の大衆性の問題だけでなく、むしろこうした自己増殖的な回路にこそある。
またここには、アーカイブにおける、収集行為と増殖性、価値のヒエラルキーの解体・相対化といった性質を見てとることができる。さまざまな「資料体」が等価に位置づけられる巨大なアーカイブ、その相互参照的なネットワークの中に「作品」を組み込み、位置づけ直して眺めたとき、「署名されたオリジナルとしての作品」/「作品以外の資料」という価値のヒエラルキーは解体され、相対化されていく。さらに、新たな資料が収集され、リストに付け加えられ、カテゴリーの追加や細分化、分岐や再接続が行なわれることで、ネットワークは絶えず更新され、書き換えられていく。従って本展の場合、「資料」が保管庫から「展示室」の中へ持ち込まれ、「作品」と並置される、あるいは調査過程そのものが「進行中」の現場として展示空間に出現するとき、いかに美術館という制度への批評となるか? という問いこそが問われていると言える。
ただし、本展では、展示室中央に設けられた「作業スペース」は、確かに「ワーク・イン・プログレス」の体をとってはいるが、壁面の展示や展示ケースからは見えない壁で分離され、展示の秩序は新たな変更や追加を受け入れることなく固定化されており、原理的に完成形を持たないアーカイブが潜在的にはらむダイナミックな動態を体感させているとは言い難かった。逆に言えば、「アーカイブ」という視点を持ち込むことは、「美術館」の制度を批評的に問い直す契機となるのではないか。
2016/10/15(高嶋慈)