artscapeレビュー

クロード・レジ演出『夢と錯乱』

2018年06月15日号

会期:2018/05/05~2018/05/06

京都芸術劇場 春秋座[京都府]

ほとんど何も見えない深い闇から、人間のような形象がかろうじて浮かび上がる。闇を手探るように伸ばされた両手、おぼつかなく揺れる足取り、闇に隠された表情。足元に横たわる影の方が存在感のある、陽炎のようにおぼろげなひとがたが亡霊のように舞台上を彷徨う。スローモーションで引き伸ばされた痙攣。やがて、夜よりも暗い深淵のなかから、ざらついた質感を帯び、嘆きと憎悪と嘲笑が入り混じった声が発せられる。厳格な父親、石のように無関心な母親、死の匂いが重く立ち込めた家、情欲と死への衝動が、破滅的で夢幻的なビジョンの断章として語られていく。

フランス演劇界の巨匠、クロード・レジの演出による本作は、オーストリアの夭折の詩人、ゲオルク・トラークルによる自伝的要素の強い散文詩をテキストに用いて上演された。トラークルは薬剤師として働くなかでモルヒネ中毒になり、妹との近親相姦の関係にも苦しんだ。第一次世界大戦下で衛生部隊として戦線に送られ、自殺未遂の後、コカインの過剰服用により27歳で他界した。

原詩はドイツ語だが、上演はフランス語で行なわれている。そして、本公演の最大のポイントは、俳優の発語と完全に同期しない「日本語字幕」の表示のタイムラグにある。はらわたから絞り出すような発語から数秒ほど遅れて表示される字幕の「ズレ」は、演出上の意図によるものだ。意味内容の理解よりも先に、空気を震わす物理的振動としての「声」が、怖れ/嘆き/破滅の予感/絶望/苦悶の喘ぎといった感情を皮膚感覚で体感させ、調子の狂った弦楽器のようなその声の物質的質感が、一つひとつの言葉に手触りと輪郭を与え血肉化するのだ。声によって受肉化されたイメージを噛みしめる贅沢な間が、観客には与えられている。顔貌も見分け難いほどの暗がりが支配する舞台上で、やや遅れて俳優の頭上で淡い光を放つ字幕は、混沌と闇に文字通りひとときの「光」を与え、たちまち闇に飲まれて消えていく。フランシス・ベーコンの絵画を思わせる大きく開かれた口、その虚無的な広がりに、聴こえない叫びが充満する。

繊細にコントロールされた照明と音響、俳優の身体的現前と声の魅力、そして「字幕」の操作も含めた演出設計が、「朗読」から本作を「演劇」として分かつ。禁欲的にして過剰、沈黙のなかに叫びに満ち、静謐にして内臓的な暴力性に満ちた本作は、身体の輪郭を闇に溶かしながら声の野蛮的な力を浮上させ、見る者の時間・空間感覚すらも失調させるほどの力に満ちていた。


[Photo: Pascal Victor]

2018/05/06(日)(高嶋慈)

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