artscapeレビュー

Seung Woo Back「Volatile Judgement」

2018年06月15日号

会期:2018/05/24~2018/07/15

アンダースロー[京都府]

ともに京都を拠点とする劇団「地点」と出版社「赤々舎」が共同企画する「About the photographs, About us, Asia」は、東アジア出身の写真家を紹介する連続個展のシリーズである。李岳凌(リー・ユエリン、台湾)、石川竜一(日本)に続き、第3弾としてSeung Woo Back(ベク・スンウ、韓国)の個展が開催された。普段は地点の稽古場兼劇場であるアンダースローが、約4ヶ月間、写真をめぐる思索的空間へと変貌した。

本展では、「Blow Up」と「Utopia」の2つのシリーズの再構成に新作が加えられている。いずれも「北朝鮮」を主題としているが、その根底にあるのは、イメージの生産と受容、視線と欲望、表象の政治学をめぐる写真的考察だ。「Blow Up」(「引き伸ばし」の意)のシリーズは、2001年に平壌を訪れたベク・スンウが制約のなかで撮影し、検閲によってネガフィルムの一部が切り取られた写真を数年後に見返した際、撮影時には気づかなかった要素を事後的に見出し、拡大して作品化したものである。それは、検閲を潜り抜け、「問題なし」と判断された写真のなかに、検閲官も撮影した作家自身も見落としていた細部を見出し、「不穏な裂け目」として押し広げ、安住しない「写真の意味」ひいては写真を見る眼差しそのものを繰り返し再審に付す作業である(例えば、対外向けの演奏を行なう子供たちが弾くキーボードには「YAMAHA」の商標が記され、「資本主義国の製品」であることを暗に示している)。また、頻出するのが、1)政治的指導者のポートレイトや彫像、2)そうした体制や社会主義理念を体現する表象を眼差す人々の後ろ姿、3)フレーム外の何かへ視線を向けている人々、4)窓ガラス越しに写された人々である。とりわけ3)では、彼らが見つめていたはずの、視線の先にあるものがフレーム外へと放擲されることで、視線の宛先を欠いたまま、「何かを見る行為」だけが抽出して提示される。4)では、窓の矩形が眼差しのフレームを示唆するとともに、被写体との間を隔てる「透明なガラス」が社会的、心理的な距離感や分断を強調する。しばしば登場する曇りガラスが「監視」を暗示する一方、そこでは写真を撮る/見る私たち自身の窃視的な欲望こそが常に送り返されて突きつけられる。

一方、「Utopia」のシリーズは、雑誌などオフィシャルな印刷物に掲載された社会主義建築の写真を引用し、加工を施している。威圧的で官僚的な建築物は、その一部がコピーされて繋ぎ合わされ、形態的に反復されることで、現実にはあり得ない畸形化したイメージへと変貌する。国家権力が見せたい「ユートピア」像を肥大化させることで、その非現実性が浮かび上がる。

また、展示形態も興味深い。展示空間の中央には、サイズの異なる29個のボックスを組み合わせた構造体が置かれ、それぞれのボックスには壁に展示されていない写真が格納され、観客は自由に引き出して見ることができる。これらのボックスは自在に組み合わせることが可能であり、単に作品輸送のためという機能性を超えて、「移動」や「再構築」といった概念を提示する。イメージを固定化し、再生産に寄与する写真というメディアそれ自体を用いて、視線の解体と問い直しを行なうベク・スンウの作品のあり方を体現する装置だと言えるだろう。


[Photo: Kideok Park]

特設サイト:https://www.chiten-akaaka.com

2018/05/26(土)(高嶋慈)

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