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琳派 —俵屋宗達から田中一光へ—

2018年07月01日号

会期:2018/05/12~2018/07/08

山種美術館[東京都]

「琳派」といいながら、サブタイトルは「俵屋宗達から田中一光まで」となっている。おっ!? と思った。田中一光の名に違和感を覚えたからではなく、むしろすんなり受け入れてしまった自分に驚いたのだ。そうか、いわれてみれば確かに田中一光も琳派だった。そもそも琳派は血族で画風を脈脈と受け継いできた狩野派などとは違って、俵屋宗達と本阿弥光悦の装飾スタイルを、17-18世紀の尾形光琳、19世紀の酒井抱一らが時代も場所も階層も超えて継承してきた流派なのだ。だから宗達はもちろん、光琳も抱一も自分が琳派だと自覚していたわけではない。だいたい「琳派」という名称自体20世紀につけられたもの。明治以降まず光琳が評価されて「光琳派」と呼ばれ、それが「琳派」と略されたのは戦後の話だという。だからいま、琳派のスタイルを受け継いで「われこそは琳派」ということはできるのだ。もっとも認められるかどうかは別だが。そう考えると、現代の琳派の最右翼にデザイナーの田中一光の名が挙がってもおかしくはない。むしろそこらの日本画家よりずっと琳派の真髄を理解していたともいえるだろう。

会場に入ってまず目にするのが一光の《JAPAN》というポスター。背を丸くした鹿をあしらったデザインで、これは宗達の《平家納経》から鹿の絵柄を借用したものであることから、本人もかなり琳派を意識していたことがわかる。宗達の原本はないけれど、隣に田中親美による模本が展示されているので比べてみるといい。琳派はそれぞれ世代が離れているので、こうした模倣によるスタイルの継承はむしろ当たり前なのだ。ちなみに一光の鹿の背はほぼ正円で、しかも上に「JAPAN」と書かれているせいか、なんとなく日の丸を思い出させる。

その先には、修復後初のお披露目となる伝宗達の《槙楓図》と、光琳の《白楽天図》という2点の屏風のそろい踏み。とくに《白楽天図》はほとんど抽象パターンと化した波涛に、比較的リアルな白楽天と船頭たちの人物描写を重ねることで、飄々としたユーモアを醸し出している。ほかにも、抱一の《秋草鶉図》、其一の《四季花鳥図》、近代の琳派ともいうべき神坂雪佳による絵や工芸、さらに日本画家の速水御舟、福田平八郎、奥村土牛、加山又造、そして再び田中一光のグラフィックアートまで、幅広く集めていて楽しめる。

同展を見て思い出したのが、14年前に東京国立近代美術館で開かれた「琳派 RIMPA」という企画展だ。李禹煥や中上清といった日本の画家だけでなく、クリムト、マティス、ウォーホルら外国の画家たちの作品も並べられていた。「琳派的」美意識は海外にも飛び火していたのだ。今回はさらに拡張してアートだけでなく、デザインにまで琳派の影響を見ようとする試みといえる。これをさらに広げて、デジタルアートまで視野に入れるとどうなるだろう。「琳派」の捉え方は時代によって大きく変わっていってもいい。

2018/05/30(村田真)

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