artscapeレビュー

《栗原邸》「山本忠司展」

2018年07月15日号

[京都府]

京都にて、本野精吾が設計した《栗原邸》の一般公開に足を運んだ。これは1929年の竣工だから、前日の夜に会食した、一部に洋風のステンドグラスを組み込んだ《吉田山荘》(1932)よりも早い。すなわち、日本における最初期のモダニズム建築である。大きな特徴は、外壁を観察すると、はっきりと表われているように、中村鎮のコンクリート・ブロックを用いていること。現在も京都工芸繊維大学が学生たちと取り組んで、少しずつ修復を継続しているようだが、あえて天井を仕上げず、内部の構造にもコンクリート・ブロックが使われていることを明示する部屋があった。敗戦後にアメリカ軍が接収し、当時に改修された痕跡も残っている。窓辺を見ると、壁がとても厚いことがわかる。またエントランスの半円のポーチに並ぶ太い2本の柱や、室内のプランは、モダニズムの自由な構成とは違い、むしろクラシックな性格が強い。そうした意味では過渡期にある建築だろう。一方で室内に設置された本野自身がデザインした家具は、ヨーロッパの新動向を取り入れている。つまり、空間としてよりも、モノとしての近代を強く感じる建築だった。現在、この家を購入し、保存しながら使う住人を探しており、「継承のための一般公開」が行なわれていたのである。

同日に京都工芸繊維大学の美術工芸資料館で開催されていた「山本忠司展」展を訪れた。本野だけでなく、山本も、ここの卒業生だったことを知る(ちなみに、白井晟一もそうである)。同大建築学科の底力と歴史を大事にしている姿勢がうかがえる(実際、歴史系の教員も多い)。展覧会では、図面、模型、写真、新聞、ノートによって、山本の作品をたどるが、日本建築学会賞(作品)を受賞した《瀬戸内海歴史民俗資料館》を世に送りだしながらも、県職員だったこともあり、やはり寡作だった。ちなみに、現存しないが、若き日に北欧の影響を受けた《屋島陸上競技場》(1953)や、システマティックな《県営住宅宇多津団地》(1975)などの作品も手がけている。なお、彼は丹下ほか多くの建築家の作品を香川県にもたらした金子知事の時代を経験しており、ハコモノ行政と批判されない、地方の公共建築が祝福されたよき日々を知っている建築家である。






2018/06/02(土)(五十嵐太郎)

2018年07月15日号の
artscapeレビュー