artscapeレビュー

あいちトリエンナーレ2019 情の時代|小泉明郎『縛られたプロメテウス』

2019年11月15日号

会期:2019/10/10~2019/10/14

愛知県芸術劇場 大リハーサル室[愛知県]

「過去を再演する(再現的に反復する)」という演劇的アプローチにより、現実/演じられたフィクションが秘かに通底する共犯関係、感情移入の回路とその露悪的な暴露について、「共同体の夢」であるナショナリズムや戦後日本社会が清算できない加害のトラウマと結び付けて提示する映像作品を制作してきた小泉明郎。VR技術を用いた上演形式の作品が、あいちトリエンナーレのパフォーミングアーツプログラムのひとつとして発表された。本作の肝は「二部構成」にあり、「前半30分」で観客がVRのヘッドセットを付けて知覚のめくるめく拡張を体験した後、「後半30分」では、同じ語りが、「見る/見られる」「虚構/現実」の反転とともに、没入/客観視、恍惚/覚醒、知覚の解放感/身体的束縛の落差をもって(再)体験される。

「前半」では、「子どもの頃に見たSF映画の続き」を夢見る、ある男性の語りが、ゴーグル越しのVR映像とともに展開される。徐々に身体が動かなくなり、呼吸も困難になっていったこと。自分の口で最後に言える言葉は「ありがとう」だろうと言う彼は、死後の魂の世界、そして自分の脳がコンピュータと繋がったSF的未来を夢想する。そこでは自己と他者、過去と未来が繋がり、彼は自分の(想像上の)息子と触れ合う喜びについて語る。VR映像は、初めモノリス/棺を思わせる黒い直方体だったものが無数の立方体に分裂し、不安の塊のような黒い球体が増殖した後、死後の世界やSF的未来の想像シーンでは、魂が雲上を浮遊する臨死体験的な感覚や、過去と未来を行き来する高速の光の矢に包まれるような感覚を味わう。



[Photo:Shun Sato]


一転して後半では、観客はVRのヘッドセットを外し、「VR体験空間」の裏に用意されていた、狭い通路上の空間に誘導される。対面する壁には「覗き窓」が開けられ、「次の上演回の前半」を体験中の観客たち(=過去の自分自身の鏡像)を眼差すことになる。また、モニターに流れる映像には、電動車いすに乗ったALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の男性が、かろうじて動かせる口回りの筋肉を使って、必死に発話する様子が映し出される。

スクリーンの表/裏の同期/ズレに仕掛けられた虚実の反転や「タネ明かし」、「逆再生」という時間的反転による意味の反転といった構造や、それがもたらす後味の悪さや残酷さは、これまでの小泉の映像作品においても顕著な特徴であった(例えば、故郷の母を気遣う電話(に見えたもの)が事務的な応対を繰り返すコールセンターの担当者との不毛なやり取りにスライドする《僕の声はきっとあなたに届いている》、戦地に赴く夫と見送る妻の「感動のドラマ」(に見える映像)が裏側の「メイキング」で暴露される《ビジョンの崩壊》、第二次大戦中に大陸で子どもを殺害した日本兵の証言が、実は事故で記憶障害を患う男性のおぼつかない暗誦であり、「加害の記憶喪失」を患う日本を批判する《忘却の地にて》、「逆再生」により、「宣言」と「蘇生」の儀式が「断罪」と「集団処刑」に反転する《私たちは未来の死者を弔う》など)。

本作においても、こうした反転作用や後味の悪さが複数の層で体験され、見る者にさまざまな問いを突きつける。それは、VR技術(ひいては、集団で虚構世界に没入する「演劇」)そのものや、私たちの知覚や想像力に対する反省的問いでもある。VRの疑似体験によって、知覚を拡張し、あるいは他者の知覚世界や感情をどこまで共有できるのか? それは、ALS患者の男性の独白であることが明かされることで、不可能性と切実な希求の落差として差し出される。また、VRがもたらす全能感にすら満ちた没入体験は、「今ここにいる私の身体」を希薄化し、ほとんど消去するが、その事態は「実際に身体が不随意な障害者」へと反転させられる。その落差を突きつけられる居心地悪さは、「自分自身の鏡像を見ること」に加えて、「無遠慮にまじまじと見るべきでない」とされる障害者の姿を直視し続けねばならないという、二重、三重に増幅されたものとして体験される。知覚が拡張される解放感と、「指示された座席に座り続けねばならない」という束縛。だがこの「束縛」は、(VR装置を外したにもかかわらず)「彼」の身体環境の疑似体験でもある点では、一種の希望の回路でもある。ここに、単なるVR/演劇批判を超えた、本作の真の意義がある。

最後に発せられる「私たちの垣根は無くなる 私たちはひとつになる」という宣言は、他者への共感と包摂に満ちた希望的未来の到来なのか? それとも、「個」が「全体」へと同化吸収されるディストピアなのだろうか。


公式サイト:http://aichitriennale.jp/


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2019/10/13(日)(高嶋慈)

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