artscapeレビュー
VISIONEN -ドイツ同時代演劇リーディング・シリーズVol. 9 『HOMOHALAL(ホモハラル)』
2019年12月15日号
会期:2019/11/23~2019/11/24
FLAG STUDIO[大阪府]
現代社会をテーマにしたドイツ語圏の劇作家の戯曲をリーディング公演で紹介する、「ドイツ同時代演劇リーディング・シリーズ」。9回目は、シリア出身のクルド人劇作家、イブラヒム・アミールによる『HOMOHALAL(ホモハラル)』(2017)。エイチエムピー・シアターカンパニーの俳優、髙安美帆の演出により、日本人の俳優によって上演された。アミール自身、シリアの大学で演劇を学ぶも、クルド人学生運動への参加を理由に退学処分となり、ウィーンに渡った経歴をもつ。本作は、劇場や支援機関と協同し、難民たちと対話する演劇ワークショップをもとに執筆された。
舞台は、難民受け入れ問題で揺れた2017年から20年後の、2037年のドイツという仮想の未来。当時、難民の庇護権を求めて共闘していた若者たちは、親世代となり、仲間の1人の葬式で久しぶりに再会する。シリア、イラク、パキスタンなど出自の異なる彼らは、ドイツ社会に馴染み、市民権も得て、恋に落ちて難民どうし結婚した者もいるなど、穏やかに暮らしている。だが、ゲイである息子を父親は受け入れることができず、夫婦や友人間の亀裂といった日常的な諍いから会話は次第に綻びや対立の相を見せ、社会に完全に溶け込めない疎外感、異文化間の軋轢、ヨーロッパ社会の偽善や自己満足に対する糾弾、同化吸収=文化的なルーツの喪失への批判といった「剥き出しの本音」が噴出し、「安全のためには自由を制限すべきだ」と叫ぶ者の演説で幕を閉じる。タイトルは「ホモ」と「ハラル」(イスラムの教えで「許されている」を意味するアラビア語)を掛け合わせた造語だが、「ホモ」には、「ホモセクシャル」(ひいては何らかのマイノリティ性を持つこと)と「同質性」(社会のマジョリティに同化吸収しようとする圧力)という二つの意味が引き裂かれながら内包されている。
本上演はリーディングだが、「演出」の要素が強く打ち出されていた。そこには、「ヨーロッパにおける難民問題」という主題が、「日本で日本人俳優が日本語で演じる」上演において、演出的な介入を必要とせざるを得なかったという力学が浮かび上がる。とりわけ肝となるのが、冒頭のシーンだ。登場した俳優は、自分自身の名前を(繰り返し)名乗りつつ、シリアから地中海をボートで渡る危険な航海を経てウィーンに辿り着いた経験を語る。そして、今や難民がプロの俳優に取って代わり、自身の体験の「悲惨さ」「非人道性」を語ることが引っ張りだこであるという、ヨーロッパ演劇界の「政治的正しさ」に対して強烈な揶揄を繰り出す。初演では、この冒頭のパートは、実際の難民が本名を名乗って登場/出演した。だが、「難民」が不可視化され、「単一民族」神話の浸透した日本という上演の文脈において、「ヨーロッパの観客」向けの強烈な批判をどう俎上に載せるのか? という難問が立ちはだかる。戯曲に書かれた内容を、日本人俳優がそのまま「難民役」として演じた場合、演劇の「約束事」に吸収され、無害化・無効化されてしまう。ドイツ語から日本語へ、という言語間の翻訳とは別に、「文脈の翻訳」の作業が必要となるのだ。本上演では、このパートを、別のマイノリティ性を持った俳優に発話させるという置換の作法により、マイノリティ性・異質性を担保してみせた。
また、もうひとつの仕掛けとして、「演じる役のポートレート」が描かれたパネルの効果的な使用がある。1人の俳優が2~3役を演じ分ける際の視覚的なわかりやすさに加えて、難民を「固有の顔貌を持った個人」として顕在化させる機能を持つ。同時に、仮面としての「役柄」の提示は、日本人の俳優/中東出身の(元)難民というズレや乖離を常に意識させ続ける装置としても機能する。
ラストシーンでは、それまでずっと「妻」「母」の立場で発話していた者が、「安全のためには自由を制限すべきだ」「誰かがドアを押さえないといけない」と語り出し、モノローグは激しさを増す演説へと変貌していく。そこでは鬱屈の噴出というよりも語る主体自体が曖昧化し、「保守主義の権化」が実体化してしゃべっているようにも見える。彼女を取り巻く他の俳優たちは、ポートレートの描かれたパネルを裏返し、裏面の「白紙」をプラカード/バリケードのように掲げる。それは、全体主義的な社会への同化吸収によって、個人の顔貌が消されて匿名化していく事態の暗示とも、排他主義的な演説に抗議して止めさせようとしている身振りとも取れ、極めて両義的だ。
ドイツの同時代戯曲の紹介という意義、「難民」「共生社会」というテーマに加え、「ヨーロッパにおける難民問題、劇場文化への批判」をどう日本での上演に接続させるかという困難な問題に関しても問いを投げかける上演だった。
2019/11/24(日)(高嶋慈)