artscapeレビュー
松本卓也『創造と狂気の歴史──プラトンからドゥルーズまで』
2019年12月15日号
発行所:講談社
発行日:2019/03/13
これまで、『人はみな妄想する』『享楽社会論』を始めとする著書を世に送り出してきた松本卓也(1983-)が今年上梓したのが、本書『創造と狂気の歴史』である。すでに刊行から半年以上が経過しているが、本書の読者層は意外に美術に関心を寄せる人々と重なっていないのではないかと思い、年内最後のこの機会に当欄で取り上げることにした。
著者が勤務する京都大学での講義をもとにした本書は、語り口こそ平易であるものの、その射程はきわめて遠大であるといってよい。西洋の思想を「創造と狂気」という観点から捉え、古代ギリシアのプラトン、アリストテレスから、20世紀フランスのデリダ、ドゥルーズまでの2500年におよぶ長大な歴史が辿られる。これだけでもそのスケールの大きさはうかがい知れるだろうが、これほど長大なスパンに及ぶ書物であるにもかかわらず、クロノロジカルに進む各章の緊張感がまるで失われていないことは、加えて特筆に値する。おそらくその理由は、第1章で提示されるひとつの前提が、本書を強力に牽引しているからだ。すなわちその前提とは、近代において「創造と狂気」の関係を問うてきた病跡学という学問が、狂気のなかでも統合失調症のなかに優れた創造を見いだしてきた、という事実である。はるか過去のプラトンやアリストテレスに始まる本書の思想史的作業も、病跡学の言説を支配する「統合失調症中心主義」(23頁)がいったいいかなる条件のもとに成立したのか、という問いをめぐって進められるのだ。
本書前半では、古代ギリシアにおける「ダイモーン」および「メランコリー」、キリスト教世界における「怠惰」の否定的なイメージとその転換、さらにはデカルトやカントが排除しようとした「狂気」の内実が、それぞれ手際よく整理されていく。だが、議論が佳境に入るのは、やはり本書の主役であるヘルダーリンの登場後にあたる後半部だろう。ヤスパースはほかならぬヘルダーリンを念頭におきながら、統合失調症者においては、一時的にせよ「形而上学的な深淵が啓示される」と論じた。いっぽうハイデガーは、ヘルダーリンから大きな影響を受けながら、「詩の否定神学」(218頁)とでも呼ぶべき思索にいたった。そのハイデガーを経て、ラカンやラプランシュといったフランスの精神分析家により、この「否定神学」的図式が20世紀にいかに構造化されてきたのかが、本書ではきわめて説得的な仕方で論じられる。さらにそれにはとどまらず、前述のような「病跡学」的な見方の問題点を突くアルトー、デリダの議論を経由して、最終的にはドゥルーズの文学論のなかに、データベースとアルゴリズムに依拠し、偶然と賭けを肯定する「ポスト統合失調症」的な文学観が見いだされる。
以上のような専門的な内容を含みながらも、前述のように大学での講義をもとに書き下ろされた本書の説明は、終始丁寧なものである。最終章に登場する草間彌生と横尾忠則の対比をはじめ、全体の議論に挟まれる個々のケース・スタディもきわめて興味深い。他方、これはあくまで評者の印象だが、一般的に美術に関心を寄せる人々のあいだでは、そもそも本書において「統合失調症中心主義」や「悲劇主義的パラダイム」と結びつけられる従来の病跡学についての認識すら、ほとんど共有されていないように思われる。そのような人たちに対する病跡学への入門書としても、本書は好適な一冊である。
[hontoウェブサイト]2019/12/09(月)(星野太)