artscapeレビュー

村田沙耶香×松井周 inseparable『変半身(かわりみ)』

2020年01月15日号

会期:2019/12/18~2019/12/19

ロームシアター京都 ノースホール[京都府]

「サンプル」主宰の劇作家・演出家の松井周と小説家の村田沙耶香が共同で原案を務め、それぞれが演劇と小説で発表するプロジェクト「inseparable」。共同体、家族、生殖、性、高度医療、倫理、変態といったテーマの共通性をもつ2人のコラボレーションだ。舞台版では、現代日本社会の縮図のような架空の島「千久世島」を舞台に、温暖化による気候変動と海面上昇を生き延びるため、人間が遺伝子操作によってイルカと融合するポストヒューマン的な近未来と、古事記の「国産みの神話」を元ネタとする神話的イメージとが交錯する、ぶっ飛んだ世界観が展開された。



東京公演より [© 引地信彦]


舞台となる近未来の日本は、遺伝子医療が高度に発達し、生殖が国家の管理下におかれた、徹底した管理社会として描かれる。体内の遺伝子を改変し、身体機能の強化や疾患治療、アンチエイジングを行なう「ゲノム操作」が普及し、産まれる子どもについても、ゲノムを編集された「カスタム」か「ナチュラル」かを選択できる(ただし課税率が異なる)。だが子どもをもつには、国家による「生殖免許」を取得する必要があり、生殖を目的としないセックスは「野良交尾」として「リビドー防止法」によって禁止されている。また、ゲノム操作に必要な「レアゲノム」の配分は、国民に義務化された成績表である「スコア」の点数で決められる。「東京ではみんな少しでもスコアを稼ごうと、我さきに年寄りを担いで走っている」と揶揄されるほど、エゴと配慮が逆転した社会だ。

そんななか、外界から隔絶した孤島「千久世島」では、世界的に希少なレアゲノムが発見され、ゲノム採掘が島の新たな産業となる。だが島の経済は、東京の企業の資本に依存/搾取され、劣悪な労働条件下にある山中での発掘作業は海外からの技能実習生が担い、ゲノムが出る山地に住む「山のもん」と資源を持たない「海のもん」という共同体間の対立がより浮き彫りになっていく。

島では、レアゲノムの密猟を防ぐため、ゲノムの採掘と供給を独占する東京の企業から派遣された指導員の下、4名の男女が監視を務めている。そのひとり、秀明は、2年前に島の奇祭「ポーポー祭」で弟の宗男を亡くし、弟の昔の恋人と「夫婦」の免許を取得している。だが、死んだはずの弟が戻ってきた出来事を境に、現代社会批判の要素が強かったドラマは加速度的に混迷を深めていく。

「カラオケルームのような暗い部屋で、モニター越しに現世を見ていた」と臨死体験を語る宗男。その暗い空間に、プレッピーな学生スタイルの兄の秀明が現われ、「卒業試験のためのプレゼン」と称して、荒唐無稽な「国産みの神話」を紙芝居風に説明し始める。その昔、「ポーポー神」が混沌の塊のような黒い球体から自らの分身をつくった。この神は下半身に「とんがった部分とくぼんだ部分」を持つ両性具有だった。だが、分身には肛門が無かったので、糞詰まりで膨張して苦しんだ。そこで神は「とんがった部分」を尻に刺して口まで貫き、消化管をつくった。肛門から流れ出た水が海となり、最初の子ども「イルコ」(ヒルコのもじり)は海へ流され、そのあと、突起を突き刺す度に、日本列島、動植物、人間が産まれたのだという。こうしてできた「この世界」とは、実は秀明が手にする「カプセルの中で培養されるゼリー状の物体」であり、彼が「神様の世界の卒業試験」をパスできるかどうかは、その培養物の存続/崩壊にかかっているのだ。もしパスできなかったら、「就職できず、結婚もできず、親の資産頼み」とぼやく秀明の姿は、「管理社会を入れ子状に制御しているメタ世界もまた厳然たる管理社会である」という皮肉を示す。

崩壊が進む「この世」では、地球温暖化による気候変動と海面上昇を生き延びるため、遺伝子操作によるイルカとの融合化が進み、動物/人間の境界が融解する。「イルカのゲノムを入れた」秀明の妻の背中には背びれが生えて変態していく。イルカ語が公用語になり、イルカ相手の性風俗が島の新たな産業になり、イルカと人間の交尾の常態化が暗示される。一方、一度死んで「この世」と「あちら」を行き来できる宗男は、「この世界の糞詰まりから人類を救う」ため、ボイスの「社会彫刻」をもじった「ソーシャル・エネマ(社会浣腸)」を提唱する。そこには、高度遺伝子医療が進展して「自然死」がなくなった結果、循環が停滞した糞詰まり状態になり、逆説的に滅びに向かうという皮肉が示唆される。

また宗男の死の原因は、祭の高揚感のなかで「野良交尾」した際、崖から落下したことも語られる。崖を転がり落ちながらも「生の実感」に溢れ、「自分たちはもっと動物に近いはず」と言う彼は、遺伝子操作や国家による性と生殖のコントロールの枠外の象徴だろう。だがゾンビのような身体を引きずる彼は「死ぬことができない」ため、島民たちに自分の体を食べるように頼む。「今年の祭の代わりに」島民たちが彼の腹から内臓を引きずり出して食べるラストシーンは、共同体存続のための「祭」「儀式」の虚構性とともに、グロテスクながらもその原初的な美を示していた。ポストヒューマン的な新人類にとって「前時代」の象徴である彼は、新たな創世記の「神」として昇華/消化されたのだ。



東京公演より [© 引地信彦]


タイトルの「変半身(かわりみ)」には、音読が示唆する「下半身」も含め、複数の意味が交錯する。遺伝子操作による異種混淆。人間/動物、人間/神の融合。両性具有。そして、自らの「半身」への思慕。弟の宗男は、同性で兄である秀明への思慕を押し殺して生きてきたことを告白する(じつは宗男は、「あちらの世界」の秀明が自らの細胞から培養し、「この世」に飛ばした半身だったことが明かされる)。「下半身」つまり性の欲望が徹底して抑圧・管理される社会と、ヘテロセクシャルの規範から逸脱する、生殖に結びつかない性。国産みさえ、イザナギとイザナミという「男女」の神ではなく、両性具有神と性別不明の分身とが浣腸=肛門性交を行なうことで成立したのだ。現代日本社会批判、ディストピア的な近未来像、土着的な神話世界、性(生)と倫理への問いを情報過多なほど混ぜ合わせた怪作だが、「最愛の人に看取られて死ぬ」というラストは、救いととるか、エモーショナルに回収したオチととるかで、評価が分かれるだろう。

公式サイト:
http://samplenet.info/inseparable/ [演劇版]
https://www.chikumashobo.co.jp/special/kawarimi/ [書籍版]


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