artscapeレビュー

ヌトミック『それからの街』

2020年03月01日号

会期:2020/02/07~2020/02/11

STスポット[神奈川県]

2015年11月に初演され翌16年に再演、17年には第16回AAF戯曲賞を受賞し鳴海康平演出によっても上演された『それからの街』。作者の額田大志は音楽家でもあり、ミニマルミュージックの技法を用いて言葉や場面を細かく反復・変奏する戯曲の形式は大きな注目を集めた。「戯曲はほとんど書き換えずに臨みました」と言いつつ一方で「リクリエーション」と冠された今回の再再演では作品にどのような変化があったのだろうか。

戯曲に複雑な筋はない。描かれるのはまり(深澤しほ)・ハル(原田つむぎ)の姉妹とその友人の詩織(坂藤加菜)、そして詩織のバイトの後輩らしきオタベ(串尾一輝)らの日常と、彼らの住む街の風景だ。最近デモの多いその街では、参加者の溜まり場になるという理由で遊具が撤去されようとしている。それが理由というわけではないが街を出て行く人も多く、姉妹の住む団地では取り壊しの決まった棟もある。詩織もまた、家族とともに北欧へと引っ越すことになるのだった。

[撮影:タカラマハヤ]

[撮影:タカラマハヤ]

額田自身の演出による初演・再演では、ミニマルミュージックが持つイメージそのままに、幾何学的で機械的とも言える反復が俳優の演技の基調をなしていた。緻密で抑制のきいたその演技に感情の表出がなかったというわけではない。むしろ、淡々と繰り返される日常=演技の向こうには徐々に切実な感情が滲んでいく。別れと喪失の物語もあいまって、予感されるのはやがて訪れる破綻だ。無限に繰り返されるものなどない。

リクリエーションでは反復の不可能性はより直接的に表われる。何よりもまず、額田自身が初演再演の己の演出を繰り返すことが不可能になっていた。当日パンフレットに額田は「3年ぶりに戯曲を読み返したとき、今の自分とは考えていることも、言葉の扱い方も、音楽の価値観も、演劇への理解度も全てが違うなと思いました」と書いている。時間は経過する。

今回の演出ではミニマルミュージック的な戯曲の構成はそのままに、俳優の演技のモードはいわゆる「普通の」演劇に近づいていた。「自然」な感情と「日常的」な身ぶりがそこにはあった。もちろん、それらは寸断され反復されるので全体としては「不自然」で「非日常的」なものにならざるを得ない。だが発せられる個々の言葉の背後には確かに登場人物たちの感情が息づいているのが感じられたのだ。

しかし彼らのやりとりが孕む空気は反復のなかでときに急速に不穏さを増す。象徴的なのは詩織の「甘かったね」という言葉だ。もともとはフランス語、イタリア語、ドイツ語で「美味しい」を言ってみせ得意げなオタベに対して「私が行くの、北欧だよ」「詰めが甘かったね」と詩織が返すというだけの場面なのだが、繰り返されるうちにそのやりとりは変調し、やがて糾弾するかのような強い調子で「甘かったね」という言葉は放たれることになる。それはなかば観客に突きつけるかのようでさえあった。

初演再演では女性によって演じられていたオタベだが、今回の再再演では男性によって演じられた。拒絶とも取れる詩織の強い言葉は、オタベとの関係の危うさを匂わせる。交わされる言葉自体はなんということのないものでも、それが相手にどのように受け取られているのか、本当のところを知ることはできない。同じ出来事がまったく違ったように受け取られ、あるいは記憶のなかで変質していく可能性は十分にある。

[撮影:タカラマハヤ]

さまざまに調子を変えながら同じ言葉を、同じ場面を繰り返してみせる登場人物たちは、その場面を繰り返し想起しているようにも見える。だが記憶は思い返すたびに少しずつ色を変え、失われ、過去が完全に再現されることはない。思い出は互いに食い違い、想起は失敗する。

作中ではっきりと言及されるわけではないが、デモや他国への移住といったモチーフからは戯曲の背景に東日本大震災とそれに伴う原発事故があったことがうかがえる。初演の時点ですでに2011年からは4年が経過していた。それからさらに5年が経った。

初演再演が精緻に組み立てられたガラス細工だとすれば、再再演は砕け散りバラバラになった破片を拾い集める、まさにリクリエーションとしてあった。登場人物たちの想起がうまくいかないように、額田もまた、過去の自分を忘れていた。「あのとき抱えていた不安はいつの間にか消えていきましたが、あのとき書かれた言葉は残っていました」。そこに戯曲を上演するという演劇の形式のひとつの意義がある。

[撮影:タカラマハヤ]


公式サイト:https://nuthmique.com/

2020/02/11(火・祝)(山﨑健太)

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