artscapeレビュー

ドナルカ・パッカーン『女の一生』

2020年03月01日号

会期:2019/11/06~2019/11/10

上野ストアハウス[東京都]

「誰が選んでくれたのでもない。自分で選んで歩き出した道ですもの。間違つてゐたと知つたら自分で間違ひでないやうにしなくちやあ」。

森本薫『女の一生』の主人公・布引けいの有名な台詞だ。2019年、ドナルカ・パッカーンは、文学座が杉村春子の主演で繰り返し上演してきた森本薫による戦後の改訂版(補訂:戌井市郎)ではなく、1945年4月に初演された「戦時下の初稿版」(『シアターアーツ』第6号掲載)を上演することを選択した。冒頭に引いた台詞は戦後すぐのものとして受け取るか敗戦間際のそれとして受け取るかで帯びる響きが変わってくる。そこにあるのが痛烈な皮肉であるならば、それは現在の日本にこそ有効だ。

『女の一生』はそのタイトルの通り、布引けい(内田里美)という女性の少女時代から初老に至るまでを描いた「大河ドラマ」だ。背景にあるのは日清戦争から太平洋戦争までの複数の戦争。日清戦争で親をなくしたけいはある偶然から堤家に引き取られ、長男・伸太郎(田辺誠二)と結婚し、やがて支那貿易に手腕を発揮する女傑となっていく。

[撮影:三浦麻旅子]

この作品が繰り返し上演されてきたのは、それが現在にも通用する、ある意味でベタなメロドラマとして書かれているからだろう。密かに思いを寄せていた次男・栄二(鈴木ユースケ)とは結ばれず、堤家への恩返しのために伸太郎との結婚を選ぶけい。しかし堤家のためと商売に注力するほど家族とはうまくいかず夫とは別居状態に。久しぶりに帰ってきた栄二をけいが特高に引き渡してしまったことをきっかけに娘・知栄(海老沢栄による人形遣いのかたちで演じられた)も家を出ていってしまう。時が経ち、再会した夫との間に再び思いが通い合うかに見えるが直後、夫はけいの腕のなかで息を引き取るのだった。改訂版ではさらに、戦後、帰ってきた栄二と堤家の焼け跡に佇むけいとが劇的な再会を果たす場面が物語の全体を挟み込むように冒頭とラストに置かれている。

「戦時下の初稿版」に戦後の場面は当然ない。冒頭とラストは1942年の正月、つまり真珠湾攻撃の直後に設定されている。栄二が不在の間、堤家は彼と中国人の妻との間にできた4人の娘(辻村優子、宇治部莉菜、城田彩乃、大原富如)を預かっている。家の外から軍歌が聞こえくるなか、けいは言う。「あなた方はみんな中国へ帰つて、新らしい時代を造る、お母さんになる人達です」。正月はけいの誕生日であると同時に彼女が堤家にやってきた日であり、そして先代しず(丸尾聡)の誕生日でもあった。ここには明確に「母」の継承の構図がある。

[撮影:三浦麻旅子]

改訂版では家を失ったけいが栄二と再会し、再びひとりの女として栄二の手を取り踊ろうとするところで幕となる。「私の一生ってものは一体何だったんだろう。子供の時分から唯もう他人様の為に働いて他人様がああしろと言われればその様にし、今度はそれがいけないと言って、身近の人からそむいて行かれ、やっとみんなが帰って来たと思ったら、何も彼もめちゃめちゃにされてしまい、自分て言う者が一体どこにあるんだか」と言うけいに栄二は「今までの日本の女の人にはそう言う生活が多すぎたのです。しかしこれからの女は又違った一生を送る様になるでしょう」と応じる。敗戦は同時に家からの解放となる、はずだった。

実際はどうか。「女も三十を越して一人でゐるといふことは、精神的に工合が悪いやうだな」「男つてほんとうに勝手なものだわ。結婚するまではさんざ気嫌をとつて、人の後からついて廻つておきながら一度一緒になつてしまふと、とたんに威張り出すんですからね。二言目には大きな声を出して怒鳴るし」「女には、どうしても女しかもつてゐないつていふものがある。お前にはそれがないのだ」。これらの台詞は初演から75年が経ついまなおリアルなものとして聞こえ得る。その事実はこの作品の普遍性ではなく、ある面において日本社会が一向に変わっていないということを如実に証立ててしまう。女傑として家を切り盛りするけいも結局は「家」に取り込まれた存在に過ぎず、さらにその営為を次代につなごうとする。構造の再生産。それはいままでのところ十分にうまくいっているようだ。

[撮影:三浦麻旅子]

「私は今感じるのです。自分よりも、家よりも、もつと大事なものがあるつてことをね」。栄二を特高に引き渡したけいはこう言っていた。『女の一生』は家という、国家という装置によって駆動するメロドラマだ。国策的なプロパガンダ組織である「日本文学報国会」の委嘱によって書かれたこの作品は極めて「教育的」であり、同時に痛烈にアイロニカルでもある。

家からの解放を結末においた改訂版ではなく「教育的な」初稿版をこの時期に上演するという選択は企画者であり演出を担当した川口典成のアイロニカルな慧眼であり、それはおそらくいくばくかは初演時の森本の意図とも重なっていたのではないだろうか。一部男女逆転の配役や人形遣いによって演じられる子どもなど、「普通」から外れた人々がひとりまたひとりと物語から退場していくのも不穏だ。ドナルカ・パッカーンはこれまでにも「日本における演劇と戦争の蜜月にあった『歓び』を探求」するという宣言の下、平田オリザ『暗愚小伝』、太宰治『春の枯葉』、森本薫『ますらをの絆』を上演してきた。ある大きな流れがあったとき、単にそれに反対するのではなく、そこに向かう動きをこそ注視すること。「同質性とは別の『異質の演劇』を志向する」川口の試みにはまだまだ見るべきものがあるだろう。

[撮影:三浦麻旅子]


公式サイト:https://donalcapackhan.wordpress.com/
ドナルカ・パッカーンブログ:https://note.com/donalcapackhan(作品背景についてはこちらを参照のこと)
森本薫『女の一生』(青空文庫):https://www.aozora.gr.jp/cards/000827/files/4332_21415.html

2019/11/8(金)(山﨑健太)

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