2024年03月01日号
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artscapeレビュー

仮想劇場短編演劇祭

2020年09月15日号

会期:2020/08/22~2020/08/24

仮想劇場ウイングフィールド[大阪府]

「仮想劇場ウイングフィールド」は、大阪の小劇場ウイングフィールドが、コロナ禍の状況下、実験的なオンライン配信に取り組む場としてウェブ上に立ち上げた企画である。「仮想劇場短編演劇祭」では、展示や舞台公演でテクニカルスタッフとして活動するイトウユウヤを企画アドバイザーに迎え、若手団体の連続上演を行なった。劇場での無観客上演をライブ配信する形式だが、各団体ごとに、生の芝居に「映像」を介入させる戦略の方向性やその成否が異なり、興味深い対比となった。

かしこしばい『さえこのモーニングルーティン』は、一見平凡なOLの朝の身支度、満員電車での通勤、始業時間までが女優の一人芝居で演じられる。ルーティンの反復と差異のなか、どうやら彼女は、飼い犬とは別に、「ゾンビになった、女子大の元同級生」と「同居」していることがわかってくる。本作の特徴は、モノローグだが「さえこは~する」という三人称の語りであることに加え、メイン/サブを切り替える2カメ撮影で配信した点だ。毎日の動作を客体化して語る三人称の語りは、正面性の強いメインカメラが捉える一方、奥のもう一部屋に横たわる「ゾンビ」に語りかけるシーンは、ローアングルの別カメラが至近距離で映し出し、秘密めいた親密性を獲得する。映像配信を前提とし、「語りの人称や視点、客観化の度合い」とカメラの切り替えをうまく組み合わせる演出手法は、さらに可能性があるだろう。



かしこしばい『さえこのモーニングルーティン』


[フキョウワ]『ヒツジオトコ』は、俳優と先輩の男性2人が、劇場付近の繁華街を歩いていると、スーツ姿で頭部が羊の謎の「ヒツジオトコ」に延々追いかけられるという、コメディタッチのホラー。俳優たちがその場で足踏みすると、手持ちカメラで撮影した路上の映像が、歩調のリズムを刻みながら背後のスクリーンに投影される。映像=彼らの(疑似的な)視界に突然現われた「ヒツジオトコ」に追いかけられ、無我夢中で逃げると、カメラの映像も共振的に激しく揺れ動く。映像の演出意図は、「俳優の空間移動」と「路上の映像」をリンクさせ、「生の芝居/記録映像」「劇場の内/外」を接続させることにある。だが、映像を「背景描写」ではなく、「主観ショット」として用いたために、奇妙なズレが生じる。俳優たちが前進する向き(舞台前面方向)と、映像中のカメラの進行方向(路上を奥へ向かって進む)とが、真逆になって齟齬をきたしてしまうのだ。また、「ほうほうの体で劇場に逃げ込んだら、そこにヒツジオトコがいた」というオチ、すなわち「虚実の境目を突き破って、恐怖の対象がリアルな空間に侵蝕してきた」という演出は、観客の身体と地続きのリアルな劇場空間でやってこそ活きるのであって、「劇場内部へのヒツジオトコの出現」それ自体も「映像画面」に回収されてしまう配信では、失敗に終わったといえる。



演劇想像ユニット[フキョウワ]『ヒツジオトコ』


一方、リアルタイムの舞台映像を、時間差を伴って背後のスクリーンに入れ子状に投影し、瞬時に「過去」へと転送/何度でも反復可能なものとして再生させる映像の特性を、「記憶」「共同体」「語りの主体」というテーマとうまく結びつけて秀逸だったのが、うさぎの喘ギ『いたたまれなない』。抑制された身振りのなか、男女2人の俳優は、ハイナー・ミュラー『ハムレットマシーン』や宮沢賢治の詩などの引用を交えつつ、断片的な言葉を紡いでいく。「その日、私に津波は届かず、津波の映像が届いた」という冒頭の(そして反復される)台詞が示唆的だ。震災や原爆といった「大きな事象」の記憶の共有をとおしてナショナルな「私たち」の共同体が形成されること。「たくさんの悲しみが届いた」と発話した直後、「届いている」と言い直す時制のズレは、記念日として管理され、安全に反復される過去と、「過去」として凍結できないトラウマの回帰という、両者の断絶を指し示す。タイムラグを伴って投影された自身の映像と向き合う俳優の姿は鏡像を思わせ、「私/私たち」という語りの主体が内部に抱え込む共振と分裂を指し示す。卑近な日常の出来事への共振の可能性と、「私たちの記憶」として共有できない分断。小道具の使い方も美しく計算されていた。iPadを掲げた俳優が焚くフラッシュの光は、「表象」として切り取り領有する欲望、それが他者の承認欲求として肥大していくSNSの回路、映像=光を見ることや記憶のフラッシュバック、そして原爆の閃光を示唆する。また、掲げられた白い旗は、降伏の白旗と同時に何ものかへの反旗でもあり、そこに既視の映像が投影される/未だ到来せざる光景を待つ「スクリーン」でもある。映像配信を前提とした上演ではないものの、抽象的かつ重層的なテーマを洗練された映像の使用が支えていた。



うさぎの喘ギ 『いたたまれなない』


2020/08/22(土)(高嶋慈)

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