artscapeレビュー
釜石市、住田町、大船渡をまわる
2020年09月15日号
[岩手県]
おそらく釜石市は建築家の復興プロジェクトがもっとも多いエリアだろう。前日に訪れた鵜住居のほか、都市部ではヨコミゾマコトによる《釜石市民ホールTETTO》(2017)、千葉学の復興住宅群、これに隣接する平田晃久の《かまいしこども園》(2015)などがあり、南下すると、小さい湾に面した唐丹地区に乾久美子の《唐丹小学校・中学校》(2018)がある。釜石市の復興ディレクターに伊東豊雄や小野田泰明らが入っていることが大きいだろう。
大屋根をもつ広場が印象的な《TETTO》(鉄の都とイタリア語の屋根の意味をかけたネーミング)をのぞくと、シーラカンス、千葉、平田、乾らの建築は、いずれも新築だが、集落のような空間のイメージを志向している。なるべく、大きなワンヴォリュームとはせず、分棟とし、風景になじませながら、配置していく。東北の地域性を意識した復興建築のパターンといえる。なお、移動する途中で、平田地区の仮設住宅と、山本理顕の《みんなの家》を思い出し、再訪したところ、もちろんもう使われてはおらず、建築はまだ残されていたが、解体工事に着手するようだった。
住田町は、2011年3月末、盛岡から岩手の被災地をまわったとき、最初に訪れたところである。当時、いち早く木造の仮設住宅に着工するというので立ち寄ったが、震災後に登場した2つの注目すべき公共施設も、やはり林業の町として、木造を売りだしていた。前田建設工業の《住田町役場》(2014)と、SALHAUS による《大船渡消防署住田分署》(2018)である。前者はトラス梁とラチス耐力壁、後者はCLTを使いつつ、耐震壁をとらない、貫式木造ラーメンの構造をもつ。それぞれ異なる設計思想だが、いずれも木造で大型の建築をつくれることを示す、ショーケースとしての意味ももつ。
2020/08/11(火)(五十嵐太郎)