2020年09月15日号
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artscapeレビュー

萩原弘子『ブラック 人種と視線をめぐる闘争』

2020年09月15日号

発行所:毎日新聞社

発行日:2002/06/30

BLM(Black Lives Matter)運動の再熱は、人種差別抗議デモにとどまらず、銅像への抗議や引き倒し、奴隷制下の南部を理想化して描いた映画への批判など、「表象」と差別の構造的再生産に関わる問いへと拡張している。例えば、黒人と先住民を従えたセオドア・ルーズベルト大統領の騎馬像がアメリカ自然史博物館前から撤去され、南部バージニア州では、南北戦争時の南部軍司令官リー将軍の騎馬像も撤去が決定された。奴隷制や植民地支配に関わった人物の彫像に対する抗議は、イギリスやベルギーにも波及した。また、「従順な良き使用人」として黒人をステレオタイプ化し、奴隷制下の南部を回顧的に美化していると批判された映画『風と共に去りぬ』(1939)は、動画配信が一時停止。制作当時の時代背景や問題点の解説付きで配信再開された。同様に、理想化されたユートピアとして南部の農場を描いたディズニー映画『南部の唄』(1946)をテーマとした、米国内ディズニーランドのアトラクションも改装が発表された。

ただし、「偶像破壊」や問題のある描写の「削除」だけでは、偏った歴史と表象文化の関わりについての批判的検証の機会を奪う点で、「抹消」(そして将来的な忘却)という別の暴力性を有している。白人中心の歴史観や白人にとって都合のよい黒人表象が、視覚文化のなかでどのように生産・受容され、黒人アーティストたちはどのような批判的視座から介入し、抵抗し、観る者の眼差しを更新してきたのか。本書の刊行は2002年だが、黒人の表象文化に関わる理論的枠組みと、主に90年代の映画と現代美術作品の具体的分析で構成され、深い洞察と示唆に富む。著者の萩原弘子は黒人文化研究者で、フェミニズムの理論家グリゼルダ・ポロックの著作『女・アート・イデオロギー』(1992、ロジカ・パーカーと共著)、『視線と差異』(1998)の翻訳を手掛けるなど、ジェンダー研究にも携わっている。

「理論編」の第一章では、西洋近代が自然科学の「正当性」を根拠に支配の言説として打ち立てた「人種」というカテゴリーとその適用の恣意性、アイデンティティの政治学が「主体の再構築」として抵抗の手段になるとともに排他や本質主義に陥るジレンマ、映画を中心としたステレオタイプな黒人表象の分析研究の蓄積、「Black/black」および「ブラック/黒人」という表記をめぐる問題について概説する。「『人種』はフィクションだが、人種的周縁化は現実である」と述べる著者が「黒人」表象をめぐる政治学に着目するのは、「黒人」の分類概念が西洋近代と奴隷貿易によってつくり出され、その政治学を問い直す黒人アーティストたちの実践が、「西洋近代」とその正当性を批判的に逆照射するからだ。

特に重要なのが、「彼ら」をどう呼ぶかという呼称と命名の権力に関わる問題である。白人が支配のための分類枠として用いた「black」に対し、1960年代アメリカのブラック・パワー運動で、一方的に名付けられた側が連帯の基盤を表わす自称として奪還したのが、語頭を大文字で綴る「Black」である。著者はこの「Black」の持つ意味に敬意を払いつつ、その語を(自称ではなく)他称として用いざるをえない自身の葛藤に誠実に向き合う態度を選ぶ。さらにやっかいなのは、「ブラック/黒人」という日本語が抱える、翻訳と文脈移植の問題である。「Black」をそのまま音訳した「ブラック」に比べ、「黒人」は「色による人の分類」をより強調するが、「ブラック」の表記では、経験と闘争の共有という原語のもつ複雑なニュアンスがこぼれ落ちてしまう(著者はタイトルに「ブラック(Black)」を採用し、文中では「ブラック/黒人」を使い分けている)。

第二章では、スパイク・リーやアイザック・ジュリアン、トリン・T・ミンハなど、ハリウッドから実験的短編映画までが論じられる。通底するのは、誰が、どのような観客に向けて(奴隷制を「安全な過去」としてノスタルジックに消費する白人観客? あるいはスクリーン上で見られる[性的]対象としても視線の主体としても最も排除されてきた黒人女性観客?)、どのような欲望や視点から過去を語り直すのか、という問いである。

第三章では、イギリスで活動するブラック・アーティスト8人の作品分析が展開される(西インド諸島からの再移民やインド亜大陸にルーツを持つ者も含み、奴隷制に代わる支配システムである植民地支配の歴史も含み込む)。植民地期イギリスの富裕層の肖像画や室内空間を「アフリカ布」で覆い、富の供給源の暴露と「真正で純粋な民族性」への懐疑を示すインカ・ショニバレ。イングランド的とされる田園風景の不調和な侵入者として、黒人女性である自身のポートレートを撮影・彩色し、その美しい風景が激しい排他的空間であることを示すイングリッド・ポラード。黒人ゲイ男性として抱くエロティシズムを視覚化しつつ、ブラック・パワー運動の男性中心主義を批判するアジャムの写真。「犯罪の匂いのする不良」というメディアの黒人男性イメージを演じつつ違和感を差し込む、改宗ムスリムのフェイザル・アブドゥアラ。黒人をデザインした雑貨や玩具を、皮膚の漂白クリームにまみれさせて展示ケースに押し込め、大衆文化の愛玩・蒐集行為と博物館的装置における他者の文化の奪取や視線の非対称性を問題提起する、シャヒーン・メラリ。

本書を貫くのは、単一の「黒人性(Blackness)」があるのではなく、ディアスポラとしての経験、ナショナリティ、階級、ジェンダー、セクシュアリティ、文化的・宗教的帰属など、多面的で複雑な差異の交差するものとして捉える必要性である。「ブラック」が、連帯しえない人々とのあいだを区切る政治的境界でもあることを自覚しつつ、政治的課題に応じて差異や分断を超えて連帯するための枠組みとして用いること。その射程は、人種主義にとどまらず、「近代」への根源的な問い直しに向けられている。

2020/08/29(土)(高嶋慈)

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