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ツヴェタン・トドロフ編『善のはかなさ──ブルガリアにおけるユダヤ人救出』

2021年08月01日号

翻訳:小野潮
発行所:新評論

発行日:2021/07/15

戦後フランスで活躍した思想家ツヴェタン・トドロフ(1939-2017)は、もともとブルガリアに生まれ、大学卒業後にフランスに移住し、生涯をそこで過ごした。そのトドロフも数年前にこの世を去ったが、かれが1999年に編纂した書物が、このほど日本語に翻訳された。それが本書『善のはかなさ──ブルガリアにおけるユダヤ人救出』である。

本書は、第二次世界大戦中のブルガリアの政治状況をめぐる、このうえなく貴重なドキュメントである。1941年、当時のブルガリア王国はドイツ・イタリア・日本の枢軸国に加わった。それと前後して、ナチスドイツの圧力のもと、ブルガリアでも反ユダヤ的な政策が取られるようになる。その最たるものが1941年1月21日に公布された「国民保護法」である。

しかし結果的に、ブルガリアのユダヤ人は誰一人として収容所に送られることはなかった。これは言うまでもなく、当時のヨーロッパにおいて「類を見ない」(ハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン──悪の陳腐さについての報告』[1963])ことであった。本書は、その経緯と、それがいかにして可能になったのかを示す資料集である。その立役者としては、代議士ディミタール・ペシェフ、国王ボリス三世、ブルガリア正教会ステファヌ主教をはじめとする複数の人物が浮かび上がる。しかしトドロフが言うように、この出来事の背後にいたのは、たったひとりの「至上の英雄」ではなかった。そのような結果がもたらされたのはいくつかの複合的な理由によるものであり、とりわけそれは、つねに歴史に翻弄されてきたこの国の類稀な「良心」に支えられていた、というのがトドロフの考えである(62-63頁)。

いまからおよそ20年前、トドロフがどのような使命感から本書を編纂したのか、いまとなってはその意図を推し量るほかない。本書のタイトルは若干わかりにくいのだが、ここでいう「善のはかなさ(fragilité du bien)」とは、むろん善の無力さのことではなく、それが脆弱でありつつも可能であることの謂いである。編者とはいっても、本書におけるトドロフの解説は最小限に抑えられており、かわりにさまざまな立場の人間が残した当時の文書が大半をしめる。これらの資料は、戦時中、誰がどのような立場で何を行ない、何を行なわなかったのかをまざまざと伝えている。ごくありきたりなことを言うようだが、本書の一読を通じてあらためて痛感させられるのは、後世に事実を歪みなく伝えるための「公文書」の重要性である。

2021/07/19(月)(星野太)

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