2021年09月15日号
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artscapeレビュー

ほろびて『あるこくはく [extra track]』

2021年08月01日号

会期:2021/06/19~2021/06/22

SCOOL[東京都]

5月の第11回せんがわ劇場演劇コンクールでグランプリ、劇作家賞(細川洋平)、俳優賞(吉増裕士)を受賞したほろびての短編『あるこくはく』が、新作短編『[extra track]』を加えた二本立て公演『あるこくはく [extra track]』としてSCOOLで上演された。

第11回せんがわ劇場演劇コンクールは新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受け、劇場での一般観覧を中止。私は配信でコンクールの様子を視聴したが、解像度も十分とは言えない引きの固定カメラを通しての映像は大いに物足りないものだった。また、日本では短編演劇作品を上演する機会はきわめて限られており、このようなコンクールで上演された短編はしばしばその後、二度と日の目を見ないままに終わってしまう。グランプリ受賞作の生での観劇の機会を提供するという意味でも、短編作品の上演機会を創出するという意味でも、今回のほろびての公演には大きな意義があったと言えるだろう。


[撮影:渡邊綾人]


『あるこくはく』は愛海(鈴政ゲン)が恋人(藤代太一)を連れて実家の父(吉増)を訪ねる話。ところがその恋人というのは石で──。家の中に突如として線が出現する『ぼうだあ』、人を操るコントローラーが日常を狂わせていく『コンとロール』と同じく、ひとつの奇妙な設定を起点に物語は極めてシリアスな主題を展開していく。

定石通り、父は娘の結婚を認めようとしない。恋人が石であるということに最初は戸惑う父だったが、やがて怒り出し、「日本の憲法では石に人権は与えられてないし日本国民にもなってない」と言い放ったうえ「石蹴り」と称して石を蹴りつける。


[撮影:渡邊綾人]


[撮影:渡邊綾人]


藤代演ずる石は石の被りものをすることで石であることを表現しているが、しかし見た目はもちろん人間である(これはどうやら物語の設定上もそうらしい)。ゆえに、父の行動は暴力を伴なう直球の差別に見える。だが、恋人が石であるというあまりに奇妙な設定は、私にそれを差別だと断じることを僅かにためらわせる。石だったらそれはまあ蹴ってもよいのでは……?

ここに、人間が石を演じるという企みのねらいがあるだろう。「差別をしてはいけない」という当然のことをお題目として反復するだけではそれを演劇としてやる意味はない。実際に差別をしていてもそれを差別と認識していない人、「差別をしてはいけない」と思っている人は多くいるはずだ。むしろ、だからこそ差別はなくならない。おそらく、ただの石を蹴ることに抵抗を覚える人はほとんどいない。だがこれが虫だったら? 人形だったら? あるいは、舞台上で蹴られているのが本物の石だったら私はそこで起きていることを差別だと断じることができただろうか?

結局、父は付き合いを認めず、愛海も一度距離を置こうと言い出す。彼女は「先に進むための考え」として「石が人間になる」ことを提案しもするが、それが石にとってはアイデンティティの放棄を意味することには無頓着だ。ここにも無意識の差別があり、石は深く傷ついてしまう。一方、石が人間になるといういかにも荒唐無稽な提案は、ではどのようなアイデンティティならば自らの意思で変えることができるのかという問いを私に突きつける。

ところで、この物語には登場人物がもうひとりいる。三者の対面の場に同席しながら、しかしその存在を無視され続ける女(橋本つむぎ)は、実は愛海にしか見えていないらしい。終盤になってようやく、四葉と呼ばれるその女が愛海の(あるいは父の?)祖母の妹であること、関東大震災のときに避難した先で石を投げつけられて亡くなっていたことが明らかになる。「わたしはそこで、日本人じゃなかったみたいで」という言葉からは彼女が朝鮮人だと思われて(事実そうだった可能性もある)石を投げられたらしきことが推察される。その意識はなくとも、石もまたかつて差別に「加担」し、愛海の血縁の命を奪っていたのだ。

石と四葉が愛海を介して手を伸ばし合い、「はじめまして」と自己紹介を交わすところでこの作品は終わる。父の態度は過去の経緯に起因するものだろうか。だが、死者の姿をきちんと見ているのは父ではなく愛海の方だ。最後に手を伸ばし合う二人とその手探りを仲介する愛海の姿には、そこに未だ困難があるとしても、希望を見たい。


[撮影:渡邊綾人]


『[extra track]』は『あるこくはく』と同じ4人の俳優が順にモノローグを語っていく構成の作品。マチュピチュ、バンコク、阿佐ヶ谷と異なる場所について語る人物はそれぞれの場所で「石」を拾い、次の語り手となる俳優に手渡していく。語り手となる俳優は代わっていくが、そこで語られているのは連続した「私」であるようにも思われる。

最後のひとりは「残した記録を消すことを命じられ」「もうこのような仕事を続けられないために、命を終える」と語る。だが、それは「語り手とは違う、文字としての『私』」なのだと。2番目の語り手は、自殺した大学時代の同級生の葬式に出向きながら、線香も上げずに帰ってきてしまったと語っていた。3番目に語られる、阿佐ヶ谷で石を拾ったという「私」は「あるこくはく」の愛海のようでもある。世界を構成する無数の「私」は異なっていて、しかしどこかでつながっている。そのそれぞれが無意識に積み重ね手渡したイシが、投擲された石のごとくひとりの「私」の命を奪う。だが同じように、言葉に宿るイシは、俳優を介して観客である私にも届けられてもいる。財務省の決裁文書改竄に関与させられ自殺した近畿財務局の赤木俊夫氏が遺した「赤木ファイル」が開示され遺族のもとに届けられたのはこの公演の最終日、2021年6月22日のことだった。


[撮影:渡邊綾人]


[撮影:渡邊綾人]


10月27日(水)からはほろびての新作『ポロポロ、に(仮)』がBUoYで、8月5日からは細川が戯曲を書き下ろしたさいたまネクスト・シアター『雨花のけもの』が彩の国さいたま芸術劇場小ホールで上演される。


ほろびて:https://horobite.com/
第11回せんがわ劇場コンクール:https://www.chofu-culture-community.org/events/archives/456


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