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《函館市北方民俗資料館》、函館市青函連絡船記念館摩周丸ほか

2021年10月15日号

おそらく20年ぶり以上の函館訪問である。改めて、《旧函館区公会堂》(1910)、《函館市旧イギリス領事館》(1913)、修復中の《函館ハリストス正教会》(1860)のほか、リノベーションされた《金森赤レンガ倉庫》(1909)や《旧ホテルニューハコダテ(旧安田銀行函館支店)》(2017)など、多くの近代建築が今でも多く残りつつ、坂道が独特の風景を生みだしていることに感心させられた。



《金森赤レンガ倉庫》


個人的に印象深いのが、《函館市北方民俗資料館(旧日本銀行函館支店)》(1926)である。ここはアイヌ民族の資料を展示する施設になっているが、内部空間のあちこちに館長自ら、もしくは学芸員が手書きで細かい建築意匠の解説をしていたからだ。文体もユーモラスで、自己ツッコミなどもあるのだが、思わずじっくりと建築を観察してしまう。 これは筆者が企画した「装飾をひもとく」展と同じ精神である。もっとも、日本橋高島屋の展示室内で細部の装飾を解説し、ハンドアウトをもって館内を散歩してもらったのに対し、北方民族資料館では、トイレや壁に直接、解説するパネルを貼っており、便利なことこのうえない。展示品だけでなく、かつての日銀という建築も楽しんでもらおうという心意気を感じた。


《函館市北方民俗資料館(旧日本銀行函館支店)》


函館市北方民俗資料館の館長のコメント


さて、函館市で足を運ぼうと思っていたのが、函館市青函連絡船記念館摩周丸である。1988年まで運行した青函連絡船をそのまま博物館化したものだ。実は青森市でも、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸を訪問し、鉄道をレールでそのまま船内に引き入れて運ぶ、車両甲板を見学して盛り上がったのだが(失われた交通テクノロジーだが、現在、ここでライブなども行なうらしい)、1954年に台風で沈没した洞爺丸事故の記憶がどのように伝えられているかも関心を抱いていた。全体では5隻が遭難し、1400名以上が犠牲になるという日本海難史上最大の事故である。もっとも、青森側にはわずかな情報があるだけで、その理由はすべて函館港で沈没や座礁したからだ。しかし、摩周丸の展示も、複数のパネルによる説明のみで決して多くはない。20世紀の一時代を築いた輝かしい歴史を振り返るのが主目的だとしても、やはりこうした負の歴史がきちんと表現されていないことに311後の伝承館と同根の問題を感じた。


青函連絡船記念館摩周丸


青函連絡船記念館摩周丸内 洞爺丸事故についての展示パネル


八甲田丸の車両甲板


八甲田丸の展示

2021/09/15(水)(五十嵐太郎)

2021年10月15日号の
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