2022年07月01日号
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artscapeレビュー

「わが町」アクセス 徘徊演劇『よみちにひはくれない』

2021年12月15日号

会期:2021/11/27~2021/11/28

岡山市表町・京橋地区[岡山県]

「老いと演劇」をテーマに「OiBokkeShi」を主宰する劇作家・演出家であり、介護福祉士の菅原直樹が演出する市街上演作品。「徘徊演劇」と銘打たれているように、「街を徘徊する認知症の病妻を探す老人」という設定の下、商店街や河畔を俳優とともに移動しながら観劇する。「OiBokkeShi」の「看板俳優」である95歳の岡田忠雄は、自身も実際に認知症の妻を在宅で介護する当事者でもある。また、本作は、NPO法人アートファームが企画・主催し、2023年秋にオープン予定の岡山芸術創造劇場のプレ事業「わが町」シリーズの一環として実施。建設予定地に隣接する商店街での上演は、街と劇場の距離を架橋する試みであると言える。地域の協力をあおぎ、商店街の路上に加え、実店舗の内部も上演場所となった。さらに、演劇へのアクセシビリティは「バリアフリー上演」としても整備され、手話通訳者の同伴や盲導犬を連れた観客の受け入れなどの観劇サポートも充実していた。



公演風景


「老い、介護、認知症」と「市街劇」を掛け合わせた形態として、「徘徊演劇」というキャッチフレーズは新奇な期待を抱かせる。だが、本作を見終えて感じたのは、「徘徊」の内実が、「20年ぶりに岡山に帰郷した主人公が街を彷徨う自分探しの物語」にすり替わってしまったという失望感だった。物語は、帰郷した30代男性の「神崎」が、子供の頃に可愛がってくれた高齢男性と偶然再会するシーンから始まる。「認知症で行方不明になった老妻を捜してくれ」と頼まれた「神崎」が、商店街の中をひとり探し歩くうちに、父親との確執や好きだった幼馴染の病死といった「彼の過去」が次第に明らかになっていく展開だ。「かつて父の営む店舗があった」空き地で語られるのは、病に倒れた後、以前にも増して暴力を振るうようになった父から逃げるように上京した経緯だ。「幼馴染の実家」の洋品店に立ち寄ると、彼女が癌ですでに亡くなったことを告げられる。河畔で泣き崩れる「神崎」の前に立ち現われる、幼馴染と父親の霊。上京してミュージシャンとして成功する夢も叶えられず、失職中でおまけに自分の浮気が原因で離婚調停中という「仕事も家庭もダメな男、神崎」だが、ラストシーンで高齢男性に再会して「病妻への深い愛情」を知り、現状を叱咤され、過去の確執とも決別して(商店街の店舗の)「外」へと一歩踏み出す……というストーリーだった。



公演風景


このように、本作における「徘徊」とは、「夢も愛情も人生の道も見失った傷心の男が、帰郷すなわち自分の原点に立ち返り、『男としての先輩』である高齢男性に諭され、再び希望と道を見出だす」まで街を彷徨う道のりに変貌してしまっていた。また、「父との確執」が軸になる一方、圧倒的な「母の不在」が影を落とす。だが、「母」はドラマに巧妙に埋め込まれている。「公園で遊んでいたら幼馴染が蜂に襲われ、大声で大人に助けを呼んだ」という彼の子供時代のエピソードに留意したい。「あなたは、自分が思っている以上に優しくて頼れる人だよ」と語る幼馴染(の霊)こそ、「ダメな自分」を全肯定して自信を与え、優しく見守り、無償の愛を注いでくれる「母」の代替なのだ。本作で実質的に描かれるのは、男の自己慰撫の物語に過ぎず、「認知症による徘徊」は、主人公が街を彷徨うための「口実」でしかない。

だが、「老い、介護、認知症」と「パフォーミングアーツ」の交差には、もっと豊かな領域が広がっているのではないか。こうした交差領域にある試みとして、重度身体障害者や認知症高齢者の介護士が普段の介護労働を実演する村川拓也の演劇作品や、老人ホームの入所者とダンスを踊り言語化する砂連尾理、「老いと踊り」を生産的な批評の場に載せるダンスドラマトゥルクの中島那奈子などが挙げられる。菅原の「OiBokkeShi」の特異性は、「看板俳優」自身が老老介護の当事者である点だが、「実生活に近い高齢男性役」としての出演にとどまる点に限界を抱えていた。だが、例えば、実体験をドキュメンタリー演劇として取り込む手法も考えられるのではないか。

また、「徘徊演劇」の真のポテンシャルは、「現実の市街地の風景の上に、『演劇』という虚の世界を上書きする」市街劇の構造と、「今ここにある現実とは別の『現実』を生きている認知症者の知覚世界」を重ね合わせるメタ的な手法にあると言える。本作の後半では、「認知症で街を徘徊中の病妻」がすでに死亡しており、彼女を捜す高齢男性自身もじつは認知症を患っていることが明かされる。「病妻がまだ生きている世界」に暮らす彼の知覚世界を共有し、「実在しない彼女」の姿を求めて街を彷徨う私たちは、「演劇」の世界に身を置いているのか、「認知症者の知覚世界」をともに生きているのか。そこでは、両者の弁別や現実/虚構の不確かな境界が瓦解すると同時に、「他者を人格ある個人として尊重し、否定ではなく寄り添う」というケアの原理もまた浮上する。さらには、「男性とケア」というアクチュアルな問題をジェンダーの視点とともに主題化し、男性中心主義的な価値観や性別役割分業の問い直しへ結び付けることもなされるべきではないか。

2021/11/28(日)(高嶋慈)

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