artscapeレビュー
パメラ・B・グリーン『映画はアリスから始まった』
2022年06月01日号
近ごろ女性芸術家の発掘・再評価が進んでいるなか、世界初の劇映画を撮ったとされる女性映画監督、アリス・ギイ(1873~1968)の生涯をたどる『映画はアリスから始まった』の試写があった。つい2カ月前に見た『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』が、史上初の抽象画家が女性であることを証した映画だったことを考えると、忘れられた(または消された)女性芸術家シリーズはまだまだ続きそうな気がする。いや別に女性に限らず、これまで正しいとされた歴史や記録をどんどん覆し、知られざる事実を掘り起こし、新たな解釈を付け加えていってほしいと思うのだ(が、問題はぼくみたいな高齢男性が受け入れるかどうかだ)。
映画に詳しくないぼくでも、19世紀末にリュミエール兄弟がシネマトグラフを発明し、20世紀初頭にメリエスが劇映画を開発したことくらいは知っている。ところがアリス・ギイは両者のあいだに、というより映画発明の翌年、早くも初の劇映画を撮っていたというのだ。パリジェンヌのアリスは、1895年にリュミエール兄弟が開いた世界初のシネマトグラフ上映会に参加。リュミエールの映画は蒸気機関車が走ったり、労働者が工場から出てくる場面を写しただけの記録フィルムだったが、動く映像に可能性を感じた彼女は翌年から映画製作に携わるようになり、最初のストーリーのある映画『キャベツ畑の妖精』を撮影。以後、サウンド映画やカラー映画に挑戦したり、クローズアップやスローモーションを試みるなど、監督・製作・脚本家として千本を超える劇映画を残した。にもかかわらず、彼女は名前も作品も忘れられてしまう。それは結婚後アメリカに移住し、離婚後再びフランスに戻るなど大陸間を移動したため、両国の映画史から漏れてしまったこと、フィルムがほとんど残されていないこと、そしてなにより女性だったことが大きいようだ。ある男性が書いた映画史では、彼女の作品が別の男性監督の作品として書き換えられているのだ。忘れられたというより、意図的に消されたというべきかもしれない。
この映画は、パメラ・B・グリーン監督が「なぜアリス・ギイの名前が忘れられたのか」を丹念に追い、彼女の子孫を通してアリスの論文や日記など資料にアクセスし、関係者の証言を通してアリス・ギイの仕事を浮かび上がらせていくドキュメンタリー。映画監督のアニエス・ヴァルダやピーター・ボグダノヴィッチらが証言し、映画界の「強い女性」としてジョディ・フォスターがナレーションで参加している。
余談だが、今回ウィキペディアで「映画史」を検索してみたら、リュミエール兄弟以前に、1893年に発明王として知られるエジソンがキネトスコープを公開していた。でもこれは箱を覗き込んで動画を見る仕組みで、スクリーンに投射する現在の映画の起源はリュミエール兄弟に帰されるとの記述があった。しかし映画はその後テレビモニターという箱で見るようになり、現在はパソコンやスマホの画面で個人的に鑑賞することが多いばかりか、そのために製作される映画も増えている。とすれば、映画の発明はスクリーンを必要としなかったエジソンに帰せられてもいいのではないか。いや、あくまで映画館のスクリーンに投影するものでなければ映画ではないと言う人もいるかもしれないが、しかし同じ内容のものを映しているのだから、テレビやスマホで見ても映画であることに違いはない。要は、だれが、いつ、どの視点に立つかによって歴史はいくらでも書き換えられるということだ。
2022/04/18(月)(村田真)