artscapeレビュー
筒|tsu-tsu『全体の奉仕者』(「KUMA EXHIBITION 2022」より)
2022年06月01日号
会期:2022/04/01~2022/04/10(「KUMA EXHIBITION 2022」Part.2)
ANB Tokyo[東京都]
71名の若手作家が奨学金を得た成果を発表するために開催された「KUMA EXHIBITION 2022」では所狭しと作品が並ぶ。私の目当てのひとつが筒|tsu-tsu(以下、筒)の『全体の奉仕者』だった。学校法人森友学園をめぐる財務省の公文書改ざん問題で自死した近畿財務局職員の赤木俊夫さんの朝のルーティーン、特に赤木さんの「2016年4月4日の6:35〜7:35」を筒が演じ続けるというパフォーマンス作品である。
作品名は、赤木さんの手帳に挟まれ擦り切れていた「国家公務員倫理カード」の「国民全体の奉仕者であることを自覚し、公正に職務を執行していますか?」に由来するのだろう。このカードの存在は多くの記事になった。読者たちはどこに信を置くべきか把握不能な事件に対峙する手立てとして、カードの「擦り切れ」という物の経年変化の状態から赤木さんの身振りや思いを推察して偲んだ。そして本作の鑑賞者は筒を通して赤木夫妻の日常に耳をそばだて、目を凝らす。
パフォーマンスは半透明なビニールシートで覆われた赤木さんの書斎を再現した一角の中で行なわれる。他作家の映像作品の音声や挨拶の声も入り乱れる会場での筒の1時間近い演目は、十全な鑑賞を提供することは難しい。しかし、それは問題ではないのかもしれない。
先ほど「鑑賞者は筒を通して赤木夫妻の」といったが、「筒が赤木俊夫を演じること」が重要なのだ。筒は鑑賞者のためにいるのではない。鑑賞者が筒のために存在するのだ。そしてそれを鑑賞者は見る。会場では「Acript」が配布されており、演目のすべてのト書きと台詞が事前に開示されていて、鑑賞者はその一語一句を待ち受ける。
雅子「手、冷たいで」
俊夫「ええよ」
雅子「いい?」
俊夫「いいよ」
雅子「めっちゃ冷たいよ」
想像していた言葉遣いとどう違うのか、どうして自分はそう想像したのか。どうしてこう演じられているのかと。
KUMA EXHIBITION 2022:https://kuma-foundation.org/exhibition2022/
筒|tsu-tsu(Twitter):https://twitter.com/ttsuth
2022/04/09(土)(きりとりめでる)