artscapeレビュー
オペラの舞台美術『ランメルモールのルチア』『ボリス・ゴドゥノフ』
2022年12月01日号
日生劇場、新国立劇場[東京都]
田尾下哲が演出したオペラ『ランメルモールのルチア』を観劇した。すでに2020年にコロナ禍の影響を受けて、舞台上に多くの人をだせないという制限を逆手にとって、主人公(歌手)と亡霊(=歌わない黙役の俳優)のみが透視図法的な奥行きを与えられた部屋の中にいる形式をとり、音楽の構成(曲や場面をカットしたり、金管が使えないなど)も変えた『ルチア あるいはある花嫁の悲劇』を上演している。言い方を変えれば、非常時だからこそ可能な方法を実験的に試したのかもしれない。ともあれ、今回はそうした縮減はなく、フルバージョンでオリジナルの楽曲と台本をもとに上演された。
これまでもオペラの『蝶々夫人』(2013)や『金閣寺』(2015)など、田尾下は空間の演出がおもしろいのだが、『ランメルモールのルチア』では、2020年バージョンにおける部屋のデザインや光の効果を継承しつつ、主にその手前で繰り広げられるもう一つのメインの舞台を加えている。すなわち、入れ子状の舞台内舞台であり、手前と奥の部屋はさまざまな関係を結ぶ。例えば、手前で歌が進行する途中、背後では後で重要になる別の出来事が起きていたり、ルチアの部屋に男たちがズカズカと侵入する(この物語は男性社会がもたらす女性の悲劇だ)。冒頭では、手前の葬礼の場面に対し、奥の部屋にリアリティがなく、スクリーン上の映像のようにも感じられ、両者は別世界のようだった。いったん低く下げたシャンデリアのろうそくに順番に火を灯したり、終盤におけるレンブラントの絵画のようなシーンも印象深い。そして血だらけになった白い花嫁衣装は、ほかの出演者の服の色とかぶらず、鮮やかに赤が映える。オペラが進行すると、ルチアの部屋は向きを変えたり、階段が貫通するなど、空間も劇的に変容していく。
こうした演出・美術(松生紘子)・衣装(萩野緑)・照明(稲葉直人)の工夫については、日生劇場舞台フォーラムで詳細に説明されており、あわせて見ると大変に興味深い
。田尾下のコンセプトを実現すべく、それぞれがただの背景ではなく、物語の効果を意識して制作しており、まさに総合芸術としてのオペラである。もちろん、舞台美術だけではない。政略結婚の悲劇の果てに狂乱した花嫁の長い独唱(森谷真里)と、後を追う恋人役の宮里直樹の歌が凄まじく、とんでもない作品に化けていた。花嫁が寝室で新郎を刺殺したあと、精神がおかしくなった状態で歌う場面では、グラスハーモニカも演奏され、ソプラノと絡むことで、幻想的な雰囲気を高めている。ちなみに、この楽器は、近世の幽霊ショーでよく使われていたらしい。
11月は最後に男性が狂乱するムソルグスキーのオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』(新国立劇場)も鑑賞した。ポーランドのマリウシュ・トレリンスキが演出しており、ロシアのウクライナ侵攻によって、ワルシャワの公演が中止となり、結果的に東京初演となったものである。皇帝の息子を障がい者=黙役にしたこと(これをポーランドの女優、ユスティナ・ヴァシレフスカが演じるのだが、歌わない重要な配役は、オリジナルの楽曲に縛られないので、演出の腕の見せ所だろう)、光るキューブのめまぐるしい移動、映像の多用、合唱隊の効果的な配置、ガスマスク・大きな顔・狼のかぶり物など、インパクトのある演出が続き、圧巻は終盤の暴徒による集団殺戮が血みどろのシーンになることだ。これだけ暗くて凄惨なオペラはめずらしい(大人数のカーテンコールで、なんと1/3以上は血がついたまま)。かくして記憶に残るドラマとなった。すなわち、罪の意識に苛まれるロシアの皇帝が絶望の挙句、息子を殺した後、自らは処刑され、民衆が熱狂するなか、もっと悪どい僭称者=獣が新しい皇帝に君臨する。幕が降りても、すぐに拍手とはならず、しばし呆然とする悪夢のような終幕に現代の世界が重なってしまう。
ランメルモールのルチア
会期:2022年11月12日(土)、13日(日)
会場:日生劇場(東京都千代田区有楽町1-1-1)
ボリス・ゴドゥノフ
会期:2022年11月15日(火)〜11月26日(土)
会場:新国立劇場(東京都渋谷区本町1-1-1)
2022/11/13(日)(五十嵐太郎)