artscapeレビュー

中林舞ソロ企画『ゴーストの友人』

2022年12月01日号

会期:2022/11/23~2022/11/27

SCOOL[東京都]

快快の久しぶりの新作として8月に上演された『コーリングユー』は快快の恩師であり「極私的」という言葉を発明した人物でもある「詩人・鈴木志郎康を原作にした舞台」だった。鈴木の詩を無数に引用して構成された作品はしかし同時に、快快という集団と出演していたメンバー自身の体験をもとにした演劇、言わば「私演劇」でもある。快快のメンバーのつくるソロ作品にも、大道寺梨乃の『ソーシャルストリップ』『それはすごいすごい秋』や日記映画、野上絹代が三月企画として上演した『ニンプトカベ』、山崎皓司のドキュメンタリー『Koji Return』とごく個人的な体験から立ち上げられているものは多い。今回、快快の元メンバーである中林舞のソロ企画として上演された『ゴーストの友人』(出演・演出:中林舞、脚本:北川陽子)もまた、一見したところそれらの系譜に連なるもののようにしてはじまる。


[撮影:加藤和也]


会場のSCOOLに入ると白いテーブルクロスのかかった大きな丸テーブルが中央に置かれている(舞台美術:佐々木文美)。その周囲には形のまちまちな椅子。水場のあるカウンターにはコーヒーサイフォンが置かれていて、そのカウンターと丸テーブルを挟んで対面するような位置に緩く弧を描いて客席が配置されている。カウンターから右手に視線をずらすと床に直置きのモニター。その画面には中林が三鷹駅の改札を出てSCOOLの扉にたどり着くまでの様子を捉えた映像が繰り返し流されている。だが、その動きはどこかギクシャクして見える。よく見ると中林以外の人々は逆向きに歩いている。どうやらこれは中林がSCOOLから三鷹駅の改札へと逆向きに歩いた映像を逆再生したものらしい(映像:林靖高、中林舞)。


[撮影:加藤和也]


開演ブザーが鳴ると中林はコーヒーサイフォンの仕組みを説明しながら実際にコーヒーを淹れてみせる。夫が買ってきたサイフォンで最近ようやくコーヒーを淹れられるようになったのだなどという中林の語りはしかし、気づけばそのサイフォンを買ってきたという夫のそれへとすり替わり、喫茶店の奥さん、常連客、マスター、店の前で雨宿りをする小学生などなどと次々にその視点を変え世界を広げていく。観客は中林が巧みに演じ分けるキャラクターの連なりに寄り添い、まるでゴーストのようにともに物語世界のなかを移動していくことになる。その旅路はそれだけでも十分に楽しい。なるほどこれは「私演劇」ではなく中林が無数のキャラクターを演じ分けるタイプのひとり芝居らしい。


[撮影:加藤和也]


かと思えば、連なりの先にはふいに子供時代の中林と思しき人物が現われたりもするのだから油断がならない。子供時代の中林にはときたま窓の外に現れるゴーストの友人がいたのだという。ドンドンドンドンドンとノックの音がする。それは大人になった中林自身だ。かつての「私」が窓の外にいる「私」に何か言おうとした次の瞬間、世界は崩れ落ちる。膨張を続けて最後には完全に消え去ってしまう極大サイズの宇宙のイメージがコーヒーサイフォンのフラスコに生じる真空状態のイメージと重なり合い、崩れ去った世界はフラスコ内へと戻っていくコーヒーとともに再び中林の日常へと収縮する。


[撮影:加藤和也]


[撮影:加藤和也]


作中には『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』のセリフなどともに宮沢賢治「春と修羅 序」から「あらゆる透明な幽霊の複合体」という一節が引用されている。複数の役を演じる俳優という存在がゴーストに重ね合わせられていることは明らかだろう。この作品自体もまた、中林らが摂取してきたフィクションの複合体であり、それは彼女たち自身についても言えることだ。あるいは、現実と虚構を往還する俳優の姿をフラスコとロートを行き来するコーヒーサイフォンの液体と重ねて見ることもできる。往還のたびに変化し続ける俳優はまさに「あらゆる透明な幽霊の複合体」なのだ。


[撮影:北川陽子]


ムービングライトなどの照明(松本永)と複数チャンネルによる音響(佐藤こうじ、田上篤志)は、いわゆる劇場としての設備が整っているわけではないSCOOLに「ゴースト」のモチーフを立体化するのに大きな役割を果たしていた。そうして立ち上げられた虚構の世界はしかし、終演とともに消滅を迎えることになる。「あくせどぅつぉーがうぃさたぅ」と発した中林は5回ドアをノックするとSCOOLの扉を開け外に出ていく。虚構は現実へと解き放たれ、中林もまた現実の世界へと帰還する。だがそれはすでにかつての中林ではない。フラスコからロートへと吸い上げられた水が再びフラスコに戻るときにはコーヒーになっていたように、中林もまた幾分かは「しびれるような香り」をまとっているはずだ。それは観客についても言えることだろう。劇場でひとときの虚構を体験した観客はやがて現実へと戻っていく。もしかしたら少しだけ「心うきうき」した状態で。『ゴーストの友人』とはフィクションの謂であり、それを立ち上げることこそが俳優の謂でもある。そしてそれが中林の仕事なのだ。ならば、これはやはり「私演劇」と呼ぶべき作品なのだろう。


中林舞:http://nakabayashimai.com/

2022/11/27(日)(山﨑健太)

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