2023年02月01日号
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artscapeレビュー

よみがえる川崎美術館─川崎正蔵が守り伝えた美への招待─

2022年12月01日号

会期:2022/10/15(土)~2022/12/04(日)

神戸市立博物館[兵庫県]

よみがえる「川崎美術館」? そんな美術館、聞いたことないなあ。出品作品も日本の古美術ばかりで食指が動かない。なのにわざわざ神戸まで見に行ったのは、「ようこそ 日本初の私立美術館へ」とのキャッチコピーに惹かれたからだ。あれ? 日本初の私立美術館は1917年に設立された大倉集古館じゃなかったっけ。その前身である大倉美術館は、実業家の大倉喜八郎が収集した日本の古美術品を公開するため1902年に開館、その15年後に財団化して大倉集古館となった。ところがこの川崎美術館は1890年開館というから、大倉に10年以上も先駆けているではないか。なぜ川崎美術館は消えたのか? そもそもだれが、どんな経緯で設立したのか? なんで川崎なのに神戸でやるんだ? いったい川崎美術館とはなにものか?

川崎美術館とは、神戸に造船所を創業した川崎正蔵が、古美術コレクションを公開するため設立したもの。川崎は、明治維新期に廃仏毀釈で日本の伝統文化が粗末に扱われていたことを憂い、古美術が海外流出するのを防ぐために収集を開始。こうして集めた千数百点に及ぶコレクションを多くの人に見てもらおうと、1890年に現在のJR新神戸駅近くの自邸の一部を美術館として公開したという。

ここまでで興味深いことが2つある。ひとつは、川崎正蔵と大倉喜八郎の共通性だ。どちらも同じ1837年生まれ、明治初期に実業界で財をなし、古美術の海外流出に抗うためにコレクションを始めたというのも同じ。つまり彼らは成金の骨董趣味で集めたのではなく、日本の伝統文化を守るために美術品を収集し、社会的義務としてそれらを公開したのだ。これが明治時代の実業家のパトロネージというものだろう。

もう一つ興味深いのは、川崎の後を継いで同造船所の社長となったのが松方幸次郎であることだ。松方はいうまでもなく西洋美術の一大コレクションを成し、国立西洋美術館の基礎を築いた人物。川崎のパトロン精神がどう松方に受け継がれたのかも知りたいところだ。ちなみに、川崎が弱冠31歳の松方を社長に抜擢したのは、アメリカ帰りの有能な若者だったこともさることながら、同郷の松方の父正義が政治家として川崎の事業を手助けし、また川崎が幸次郎の留学の費用を援助するという持ちつ持たれつの関係があったかららしい。その正義も古美術のコレクターとして知られ、川崎に収集の手ほどきを受けたのではないかといわれている。

本筋に戻そう。川崎美術館は昭和初期の金融恐慌により事業が傾いたため、1928年からコレクションの売り立てを余儀なくされ、40年足らずの活動を終える。追い打ちをかけるように1938年の阪神大水害で美術館の建物は被災し、1945年の神戸大空襲により一部を残して焼失したという。踏んだり蹴ったりだが、美術品は売り立てにより各地の美術館やコレクターに引き継がれていたため難を逃れたというから、不幸中の幸いといわねばならない。

こうして川崎美術館の存在は忘れられ、「日本初の私立美術館」の称号も大倉集古館に譲られていく。だがそれは美術館が消滅したからというより、もともと「美術館」の名に値する存在であったのかという疑問がある。日本でいちばん早く開館したといっても、公開されるのは年に1回あるかないかで、期間も数日間だけ、しかも縦覧券(招待券)を持つ人たちしか入れなかった。19世紀まではそれで美術館として通用したかもしれないが、現在の基準に照らし合わせれば美術館の条件を満たしていない。これがもし大倉集古館のように財団化されていたら、基本的に常時だれでも見ることができただろうし、また不況にあっても散逸は避けられていたかもしれない。そういう意味では、美術館と称するのが早すぎた。

そんなわけで、川崎美術館について紹介される第一章「実業家・川崎正蔵と神戸」、および第三章「よみがえる川崎美術館」は興味深く見ることができたが、それ以外は川崎が収集し、散逸したコレクションを日本中からかき集めた古美術ばかりなので、ほとんど素通りしてしまった。いやもちろん、狩野孝信の《牧馬図屏風》をはじめとする華麗な金地屏風や、国宝の伝銭舜挙筆《官女図(伝桓野王図)》、今回約100年ぶりに再現された円山応挙の障壁画など逸品ぞろいだが、どうにも関心が向かない。

そんななかで「おっ!」と足を止めた作品が2点あった。1点は、奇石ばかりを墨で描いた円山応挙の《石譜図巻》。樹木のようにも山のようにも見える奇石を5メートル余りにわたって描き連ねたこの絵巻、静物画としても風景画としても、なんなら抽象画でもシュルレアリスムでも通用しそうなほど正体不明の魅力がある。現在は個人蔵なので見られる機会は少ないはず。もう1点は、最後に展示されていた伝顔輝による《寒山拾得図》。川崎が自分の命の次に大切なものとして愛蔵した作品というだけあって、さすがにすごい。あえていえば、正統派の「奇想の系譜」だ。岸田劉生がこれに着想を得て「麗子像」のひとつを描いたというのもうなずける。


公式サイト:https://kawasaki-m2022.jp

2022/11/02(水)(村田真)

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