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文学座『アナトミー・オブ・ア・スーサイド─死と生をめぐる重奏曲─』

2023年11月15日号

会期:2023/09/21~2023/09/29

文学座アトリエ[東京都]

文学座9月アトリエの会として『アナトミー・オブ・ア・スーサイド─死と生をめぐる重奏曲─』(作:アリス・バーチ、演出:生田みゆき、翻訳:關智子)が上演された。本作は2017年にケイティ・ミッチェルの演出でロンドンのロイヤル・コート劇場で初演。2019年に同じくケイティ・ミッチェルの演出で上演されたドイツ版はその年にドイツ語圏で上演されたすべての作品から「注目すべき10作品」を選出するテアター・トレッフェンに選ばれるなど高い評価を得ている。

日本では2021年2月に『自殺の解剖』というタイトルで国際演劇協会日本センター主催の「ワールド・シアター・ラボ」の一作としてリーディング上演が行なわれており(演出・翻訳は同じく生田、關)、今回の文学座での上演はその成果を踏まえたものということになる。「ワールド・シアター・ラボ」は「海外で創作された現代戯曲の翻訳と上演を通して、次代を担う翻訳者の紹介・発掘と、私たちが生きる同時代の世界の現実をよりよく理解する視点に触れる機会をつくること」を目的としたものとのことで、同年1月にはリーディング公演に先がけてファシリテーターに瀬戸山美咲を迎えた戯曲読解ワークショップも実施されている。同時代の海外の劇作家の戯曲がこれだけ丁寧なステップを踏んで紹介されることは珍しく、それが文学座での上演として結実したことは事業の大きな成果といえるだろう。


[撮影:宮川舞子]


ほとんど装飾のない殺風景な舞台の奥にドア枠と思しきものが等間隔に三つ。正方形の部屋が三つ横に並んだような舞台でキャロル(栗田桃子)、その娘アナ(吉野実紗)、そしてアナの娘ボニー(柴田美波)の三世代の女性の生が同時に描き出される。「死と生をめぐる重奏曲」という副題が示唆する通り(ただし副題は原題にはなく邦題として新たに付されたもの)、三世代それぞれの場面に現われる言葉や身振り、モチーフは互いに呼応しながら連なっていく。文学座の俳優は素晴らしいアンサンブルでもってその構造を見事に浮かび上がらせていた。


[撮影:宮川舞子]


[撮影:宮川舞子]


緻密に編まれた戯曲はしかし、その美しい構成でもってキャロルの、アナの、そして誰よりもボニーの生を縛り上げ窒息させようとするかのようだ。冒頭の場面からキャロルの自殺未遂が示唆され、精神的不安定と希死念慮は通奏低音のように作品全体を覆うことになるだろう。死と娘への愛に引き裂かれながら何とか生き続けようとしたキャロル。薬物依存を抱えながらジェイミー(山森大輔)と出会い、幸せな生活を夢見て娘を産んだアナ。医者となり忙しい生活を送るも、自分も母たちのようになるのではないかという不安から同性の恋人ジョー(渋谷はるか)とうまく関係を結べないボニー。戯曲を構造として支えるフーガの形式は出産によって命が、生が連なっていくことを示す一方、自殺という結末が世代を超えて繰り返されてしまっていることを示すものでもある。

しかも、キャロルとアナの死はそれぞれの物語でその結末に至るより先に、下の世代の物語のなかで語られてしまうのだ。三世代の物語が同時に提示されることで、キャロルとアナの結末は避けられない運命としてあらかじめ決定されてしまう。娘の生こそが母の死を決定づけるかのような作品の構造は残酷だ。

ボニーにとって母になることと自殺してしまうこととはほとんど不可分なものとしてある。だからこそ、自分もまた母や祖母と同じように自殺してしまうのではないかという不安を抱えるボニーは(それは自分も死を次の世代に引き継いでしまうのではないかという不安でもあるだろう)、子宮摘出によって両者を完全に断ち切ることを決意する。ボニーの決断はフーガに終止符を打ち、自らの生を生きるためのものなのだ。


[撮影:宮川舞子]


[撮影:宮川舞子]


ボニーは祖母キャロルからアナ、そして自分へと引き継がれてきた郊外の家も手放すことを決めるだろう。物語は、ボニーが、買い手としてその家を訪れた母娘に、キャロルが好きだった庭のプラムの木の果実を勧める場面で幕を閉じる。生田演出ではここで殺風景な舞台の背後に突如として緑溢れる庭が浮かび上がったのだった(美術:乘峯雅寛)。子を産まずともボニーもまた生命の、世界の大きな営みの一部であることを視覚的に示し、ボニーのこれからの人生を祝福するかのような美しい終幕だ。

だが、それでよいのだろうか。なるほど、ボニーの決断は自らが生き延びるためのものであり、それは肯定され祝福されるべきものだろう。そこに第三者の価値判断が入り込む余地はない。しかし、本来ならばボニーに、アナに、キャロルにその決断をさせるに至った状況こそが問題であるはずだ。作中で決断の明確な理由が示されることはない。しかし、家父長制をベースとした社会規範とそれに基づく周囲の人間の言動が女としての、母としての、クィアとしての彼女たちを抑圧し傷つける場面は繰り返し描かれていたではないか。真に断ち切るべき連鎖は、世代を超えていまなお連綿と受け継がれ生き延びているそのような社会のあり様の方だろう。終幕の美しさはともすればすべてを肯定し、断ち切るべき鎖から目を逸らす目眩しにもなりかねない危険なものだ。彼女は自らが囚われてしまった鎖を自分なりのやり方で断ち切った。私に求められているのはそこに心を寄せることではなく、では自分はどうかと問い行動することのはずだ。


[撮影:宮川舞子]


[撮影:宮川舞子]



文学座:http://www.bungakuza.com/

2023/09/26(火)(山﨑健太)

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