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KYOTO EXPERIMENT 2023(後編) アリス・リポル/Cia. REC『Lavagem』、ウィチャヤ・アータマート/For What Theatre『ジャグル&ハイド(演出家を探すなんだかわからない7つのモノたち)』

2023年11月15日号

『Lavagem(洗浄)』は、ブラジルの振付家アリス・リポルが、リオデジャネイロのスラム街・ファヴェーラの若者たちと結成したグループ、Cia. RECのダンス作品である。有機的生命の誕生を思わせる冒頭から始まり、パワフルなコンタクト、集団/個の融解、アクロバティックな「出産」と、ダンサーの身体性の強さを見せつける印象的なシーンが続く。冒頭、舞台上に現われるのは、巨大な卵のようなブルーシートの球体だ。中に潜むダンサーたちの動きにより、生き物のように形を変えて転がるブルーシートの塊。シートと床がこすれる、波や葉ずれのような音。何かがまさに生まれ出ようとする気配。そしてシートの中から姿を現わしたダンサーたちは、奇声を発しながらシートをリズムカルに床に打ちつける。めまぐるしい回転と体勢を変えながらのリフト。祝祭的な音と運動の爆発。バケツがドラミングのように激しく叩かれ、水しぶきが飛び散り、頭どうしを接触させたコンタクトを行なうデュオが一体の生き物のように蠢く。そして再び広げられたブルーシートの上には、石鹸を入れた水が撒かれ、ダンサーたちも身体を洗い、熱気と汗が石鹸の匂いで清められていく。



アリス・リポル/Cia. REC『Lavagem(洗浄)』[撮影:吉見崚 提供:KYOTO EXPERIMENT]


中盤では、ダンサーたちが組み体操のようにさまざまな体勢で手足を絡ませ、身体と身体の「隙間」に身を押し込んだひとりのダンサーが床に滑り落ちる。今まさに羊水の中から生まれ落ちたかのように、てらてらと光る身体。潤滑油として働く石鹸水。産み落とされた身体は、すぐに次の「有機的な出産機構」の一部となり、個と集団の境が融解していく。



アリス・リポル/Cia. REC『Lavagem(洗浄)』[撮影:吉見崚 提供:KYOTO EXPERIMENT]


後半では、バケツとバケツのあいだに橋のようにタオルが張り渡され、ダンサーたちはリズミカルな歌や足踏みとともに、バケツの中で石鹸を泡立て、「白い泡の塊」を生産し続けていく。陽気な集団労働のようでもあり、横たわったひとりのダンサーの身体の上に「泡」を載せて覆っていくさまは、謎めいた葬儀の儀式のようでもある。終盤、石鹸水に漬けたタオルで頭部を覆ったダンサーたちは、「フーッ」「シュコーッ」という息の音とともにシャボン玉の塊を吹き出し、幻想的な光景が出現する。頭部から吐き出されるシャボン玉の塊は、息の結晶化であると同時に、抑圧された言葉のメタファーも思わせる。ガスマスクを付け、聴こえない言葉の塊を吐き出し続ける異形の者たちの徘徊。そして彼らの背後には、泡で覆い隠された遺体が横たわっている。



アリス・リポル/Cia. REC『Lavagem(洗浄)』[撮影:吉見崚 提供:KYOTO EXPERIMENT]



アリス・リポル/Cia. REC『Lavagem(洗浄)』[撮影:吉見崚 提供:KYOTO EXPERIMENT]


タイトルの「Lavagem」はポルトガル語で「洗浄」を意味する言葉であり、「マネーロンダリング」や「洗脳」を意味する表現にも用いられる。石鹸の泡は汗や体臭といった「不快なもの」を洗い流して消すが、「黒い肌のダンサーの身体」を白く覆い隠し、不可視化する。それはまた、清掃や消毒といった、社会の衛生維持を支えつつ不可視化された労働を示唆する。

ダンサーの身体性の強さと「石鹸」という小道具の効果が見る者を惹きつける本作だが、「振付家と出演者の人種的ヒエラルキー」について、振付家がどこまで自覚的に考えているのかが気になった。出演者は全員、肌の色から黒人系のルーツと思われ、作品のコンセプトも「黒と白」の対比に戦略的に支えられている。だが、アフタートークに登場した振付家のアリス・リポルは白人系のルーツと思われ、「衝動的にモノを床に叩きつける」「動物のような鳴き声を立てる」「叫び声やハミングなど“明確な言語”を話さない」といった振付言語が「動物性」「野生」を強調するだけに、振付家/出演者という構造的ヒエラルキーが、肌の色で可視化される社会的ヒエラルキーを再生産しているように感じられた。「出演者のマイノリティ性を演出家・振付家が共有していない」という点では、中編で取り上げたバック・トゥ・バック・シアターもそうではないかという意見があるかもしれない。だが、「上演の外部の出来事」ではあるが、両者の相違は「アフタートークに誰が出演するか」に表われていたのではないか。バック・トゥ・バック・シアターのアフタートークでは、演出家に加え、出演者3名も参加し、「本番はまだ続いているのでは?」と思わせる自由闊達な意見交換が繰り広げられた。一方、本作のアフタートークは振付家だけだったことは対照的だ。


そして、こうした個々の出演者に貼り付けられた属性のラベルすら飛び越えて、「出演者」それ自体の置かれた抑圧的構造を文字通り舞台に上げるのが、ウィチャヤ・アータマート/For What Theatre『ジャグル&ハイド(演出家を探すなんだかわからない7つのモノたち)』である。二部構成からなり、第一部「ジャグル」では、タイの演出家、ウィチャヤ・アータマートが自作の歴史とタイの現代史を織り交ぜながら語るレクチャー音声が流れる。アータマートの作品自体、タイの政治問題を扱うものであり、検閲を免れるためにメタファーとして小道具を使用してきたことが、記録映像と、舞台上に召喚されるさまざまなモノたちによって紹介される。書籍や写真などの資料、日常雑貨、ミニチュアの置物、おもちゃといったモノが低い台の上に所狭しと並べられ、レールを走るおもちゃの列車に搭載されたスマートフォンのカメラが捉える映像がスクリーンに中継される。



ウィチャヤ・アータマート/For What Theatre『ジャグル&ハイド(演出家を探すなんだかわからない7つのモノたち)』[撮影:中谷利明 提供:KYOTO EXPERIMENT]


第二部「アンドハイド」では、歴史的日付、額縁、歌、ピザ、扇風機といった小道具たちが共同戦線を結成し、自分たちに一方的に意味を押し付けて搾取してきた演出家の権力性や独裁性に対して異議申し立てを唱える。もちろんこれは演出家自身の筋書きによる「自作自演」であり、終盤、「仲間割れ」を起こして、自壊するかのように動き続け、光を明滅し続けるモノたちの反乱/運動もプログラムされたものではある。

だが、「上演終了」後、舞台上に並べられたモノたちを観客が自由に見学し、写真撮影も許可された時間が設けられていることに注意したい。ここで初めて観客は、「ビデオカメラによる中継映像」すなわち演出操作を介さずに、自らの目で直にモノたちと向き合うことになる。そして、この時間のあいだ、次のような文言がスクリーンに映し出される。「これからみなさんがご覧になるのは『演出家を探すなんだかわからない7つのモノたち』というタイトルのパフォーマンスです(……)最後の観客の方が劇場から立ち去ったときに 上演も終了します」。前編と中編で取り上げたチェルフィッチュやバック・トゥ・バック・シアターの演劇作品は、「舞台/客席」の境界や分断を反省的に問うものだった。本作では、観客も「上演」を担う一部として一種の共犯関係にあることを突きつけつつ、「舞台上の出演者(モノ)の方へ観客が一歩踏み出す」時間と関係性を担保する姿勢に、境界や分断の解消へ向けた希求が感じ取られた。



ウィチャヤ・アータマート/For What Theatre『ジャグル&ハイド(演出家を探すなんだかわからない7つのモノたち)』[撮影:中谷利明 提供:KYOTO EXPERIMENT]



アリス・リポル / Cia. REC『Lavagem(洗浄)』(trailer)



KYOTO EXPERIMENT2023 アリス・リポル / Cia. REC『Lavagem(洗浄)』

開催日:2023年10月6日(金)、10月7日(土)
会場:ロームシアター京都 ノースホール(京都府京都市左京区岡崎最勝寺町13)


KYOTO EXPERIMENT2023 ウィチャヤ・アータマート / For What Theatre『ジャグル&ハイド(演出家を探すなんだかわからない7つのモノたち)』

開催日:2023年9月30日(土)、10月1日(日)
会場:京都芸術センター 講堂(京都府京都市中京区室町通蛸薬師下る山伏山町546-2)


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